面影

面影

作者 もずく

https://kakuyomu.jp/works/16817330660101917456


 過干渉の母親が捨てていいか聞いてきたのは、実家の志保の部屋にあったタオル。それは十年前の夏、夏樹との思い出の品だった。取りに実家へ行く途中、夏樹の面影を重ねてみていた旧友ゆかりから、結婚したから結婚式に出てと電話がかかる。ゆかりを通して「会いたいよ」といるかもわからない彼に伝える話。


 荒削りな感じもするが、大人女性を題材に、機微を描いている。

 しかも、夏樹の面影をゆかりに重ねてみていた回想部分は、実際に重ね描くところにも工夫があり、短い話なのに深く厚みを感じさせる作品となっているところが、素晴らしい。

 ねえ、高校生だよね。

 すごいな。


 主人公は志保。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。

 情景描写で主人公の感情を表す書き方をされている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 箱入り娘のように、小学生の頃からプライバシーが守られず囲われるようにして育ってきた志保。一度でいいから縛られないで息をしたくて、ある夏の日、夏樹と遠くの海へ出かける。特別綺麗だから見せてあげたかったと彼は言っていた。

 遊び疲れて浜辺で横になり目を閉じると潮の匂いを強く感じながら彼が、おやすみなさいとタオルを掛けてくれた。

「ありがとう」と呟くと彼に右手をぎゅっと握られる。指と指の間に少し冷たい指が絡まって、体が内側から熱を持っていく。恥ずかしくてたまらなくて身をよじりそうになったけど、わずかでも動いてしまったら離れていってしまう気がして目を瞑ったまま寝たふりをした。以来、彼は現れなかった。

 中学時代のゆかりに、どこか遠くへ出かけたいとメールを送っては、ゆかりの中身は彼だと信じたかったが、ゆかりの中に彼の面影は欠片もなかった。ゆかりと話すたびに受け入れられない事実を思い知らされ、やがて、彼の皮をかぶった別人が存在するように思えて会話がままならなくなり、ゆかりから逃げて疎遠となった。

 志保は現在、一人暮らしをしながら母の決めた会社で、毎日馬車馬のように働き、怒られては頭を下げ、その間にも母から膨大な量のメールを受け取っては返信が遅いと怒られ、また謝り、夜になったら足の踏み場のない部屋で身を縮こませて眠る生活をしていた。

 前回の実家帰宅から二週間後の休日の午後、母からメールが届く。

 仕事を家に持ち帰らない休日は久々で、ここぞとばかりに寝巻きのままくつろいでいたところだった。『このタオル捨てていい?』と送られてきた、スポーツブランドのロゴがついた青いタオルの写真。どこにあったのか尋ねると実家の自分の部屋を片付けていたらでてきたという。『今から取りに行くから』『捨てないで』とメッセージを送って、入念に化粧をする。

 少しでも不健康そうな様子が見受けられると、実家に戻ってこいと言われてしまう。身支度が整うと、『ついでに豆腐二丁買ってきて』『あと大根もね』『あ、あとお惣菜! おいしそうなやつ半額になってたら買ってきてネ。お夕飯にします』『○○ちゃんの好きなプリン蒸しておくよ!』と連絡はやまない。

 電車を幾つか乗り換えたところで、久しぶりにゆかりから電話がかかってきた。馴染みのスーパーで買い物を済ませ、家に向かいながら互いの近況や同級生の結婚事情を話していると、ゆかりも結婚したという。

 ゆかりの中の彼を諦めるべきではなかったと思うも、もう遅かった。彼は別れ際に「またね」と言ってくれていたことを思い出す。

 ゆかりは結婚式に出てよ絶対と言い、紹介したい人がいると話す。

 実家の庭では青いタオルが干されている。自分が結婚し、子供ができたら、親にされた同じことを子にしてしまうかもしれない。自分が断ち切らなければ。同じ道を歩んでほしくないと思うと、甘い匂いが台所の換気扇から風に運ばれ、甘さが体中にまとわりついて喉を締め上げてくる。

 メールを開けば、母からの心配するメールがいくつも来ているだろう。

 志保は電話で、ゆかりを通して、いるかもわからない彼に向けて「ねえ会いたいよ」と何度も何度も叫んだ。返事はなく、電話を切ると酷くむせた。体にこびりついて動けなくしている、粘っこい甘さを彼に取ってほしかった。

 庭に干されていたタオルの端からは、しずくを滴らせながら風に吹かれていた。


 三幕八場の構成になっている。

 一幕一場のはじまりは、一人暮らしをしている志保の休日の午後、母からメールで『このタオル捨てていい?』と聞かれる。二場の主人公の目的は、捨てちゃ駄目だからと伝えて実家へ取りに行く。

 二幕三場の最初の課題では、電車に乗っているときゆかりから電話がかかってくる。四場の重い課題では、十年前の夏、ゆかりに夏樹を重ねながら見ていたことを描きつつ、夏樹と旅に出かけたことを回想する。五場の状況の再整備、転換点では、遠くに行きたかった理由を彼に聞かれ、縛られることなく自分の人生を生きてみたかった、箱入り娘で干渉してくる親のいる家から出ていきたいと答えると、「じゃあ俺が志保のヒーローになるよ。志保が笑顔でいられるように、色んな場所に連れていく」という彼。

 六場の最大の課題では、海に詳しい彼が特別綺麗だから見せたかったとつれてきてもらった海で遊び、疲れて浜辺でY子になるとタオルを掛けてくれ、おやすいといって手を握ってくれた。今日のこと、彼のことを強く心に刻みつけて置こうと思った。以来、彼は現れなかった。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、彼を重ねてみていたゆかりと電話で、結婚したから結婚式に出てほしいこと、紹介したい人がいることを伝えられる。ゆかりの中に彼への面影を見つけられないとわかってから疎遠になったことを後悔する。八場のエピローグでは、結婚して子供ができたとしても親にされたことを子供にするかも知れないから、断ち切らなくてはいけない。それでも風に運ばれる甘さから親の干渉から抜け出せず、助けを求めるように、ゆかりを通して、いるかわからない彼へ「会いたいよ」と何度も告げる。庭に干されていたタオルからはしずくがこぼれながら、風に揺れていた。

 本作は恋愛ものでもあるので、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の流れにもなっている。

 夏樹自身を登場させなくても、彼がもっていたタオルからはじまって、彼と面影を重ねていたゆかりから電話がかかり、十年前の夏を回想を描くのだけれども、ゆかりと彼を重ねていたときの場面からさらに回想を描いていく。

 中編部分は、英文法で表現すると、過去形から過去分詞に行き、過去分詞から過去へという流れで書かれている。


 書き出しの、主人公の休日の様子を描きながら、物語の確信へと書き出していてテンポが良い。しかも、主人公の一人暮らしの様子がありありと描けている。

 掛け布団が、「床に放置した昨晩の冷やし中華の残り汁の上に掛か」り、「ジワジワと汁を吸って、角が茶色く侵食されていくのをひと通り眺めてから、ハッとして掛け布団を持ち上げた。もう遅い。汚れた部分を内側に丸めて部屋の端に追いやった」というところからは、主人公の性格がよく伝わる。

 いい加減でズボラで、だらしない。

 仕事で疲れて帰ってきたとしても、昨晩の冷やし中華は片付けていない。

 しかも、掛け布団の汚れた部分を内側に丸めて部屋の隅に追いやるというのは、自分の中ではきれいに片付けたとする子供っぽい考えである。

 箱入り娘のように他所から見られているけど、いつまでたっても子供扱いするように干渉されてはプライバシーもなく見られ、それが嫌で結局一人暮らしをしている主人公だけれども、子供っぽさからは抜け出せない部分を持ったまま、大人になった感じがする。


 タオルがみつかって、『それ捨てちゃだめ』『今から取りに行くから』『捨てないで』と実家へ行くことになる。

 ひょっとすると母親は、娘を実家に呼ぶ理由探しに、実家の部屋を掃除と称してあさっているのかもしれない。

 ちなみに、親子であっても手紙を勝手に開封してはいけない法律があるので、むやみに引き出し開けたり日記やスマホの中を覗いたりするのもやめた方がいい。


「お菓子の食べ終えた袋や脱ぎ散らかした服に埋もれた化粧品箱を発掘し、なけなしのメイクをする」おそらく、主人公の家はゴミ屋敷のようになっていると推測される。

 母親が見たら、びっくりするに違いない。

「私が実家を出て一人暮らしを始める時に猛反対していた母は、会うたび粗探しをしているようにも見えた。だからあなたには一人暮らしは無理なのよ、と」

 粗捜しするまでもないほど、片付けるのが苦手だと思う。

 結局、家や部屋の片付けをしてきたのは母親なのだろう。


「親にとって子供は何歳になっても子供」はその通り。

 親から見たら、子供はずっと子供。

 子供からすると、もう子供ではない、一人の人間として自立していると言いたい。そういっていた子供が子を持つ親になると、自分の子はいつまで立っても子供で可愛く思えるものなのだ。


 母とはメールのやり取りをしていると書いてある。ラインなどのメッセージアプリではないかと考えてしまう。

 そんなアプリが出る十年くらい前なら、こまめにメールを送ることは普通に行われていた。 


 ゆかりと夏樹をダブらせて描かれている。

『出かけたい』『どこでもいいから、遠くに』とメールしては夏樹と海に行ったことがあるのだろう。その後、会うこともなくなったあと、ゆかりを彼にダブらせてみていたのかしらん。

 それとも、中学からの親友のゆかりといつも出かけるように夏樹と海にでかけたことがあったのか。

 主人公の志保の中で、二つの思い出が重なり混ざっているのだと推測する。

 そもそも主人公は、部屋の片付けが得意ではないし、「夜になったら足の踏み場のない部屋で身を縮こませて眠る」生活を過ごすような人なので、彼女の頭の中も散らかったままになっているから、混ざったような回想になるのだろう。


「この先のことが不安になったり、勉強に行き詰まったら、よくひとりで電車に乗って出掛けるんだ。俺の家は父子家庭で、最近は進路のことで親父としょっちゅう揉めるから、その都度。もう帰ってやるもんか! ってね」

 おそらく夏樹のセリフ。

 進路のことで揉めるとあるので、高校二年か三年と考える。

 十年前の夏の話なので、現在の志保は二十七か二十八歳。


「どこか遠くへ行きたいときって、何かを求めるために行きたい場合と、何かを忘れるために行きたい場合があると思う。修学旅行とかは、断然前者だよね」 「そうそう。大切な人と思い出を作りたいっていうもの、きっとあるんだろうけど。俺はそれだけじゃなくて、気持ちをリセットしたり、忘れたり、その場に置いてくることができるのが旅行のいいところだと思うんだよ」

 彼の考え方は素敵だ。

 気持ちのリセットは必要だから。


 電車に乗りながら、「ねぇ、志保はどうして遠くへ行きたかったの?」と聞かれている。つまりカウンセリングを受けているようなもの。志保は内面にある自分の気持ち、「自分の人生を生きてみたかったの。私の人生には、私の意思がなかったから。だから、一度でいいから、縛られないで息をしてみたかった」と語り、あの家をすすていきたい気持ちが一番だとたどり着く。

 しかも、その考えを否定するのでもなければ、変なアドバイスをするでもなく、「じゃあ俺が志保のヒーローになるよ。志保が笑顔でいられるように、色んな場所に連れていく」と肯定してくれる。

 彼はヒーローであり、主人公はまさに少女漫画のヒロインである。


 彼と海を過ごした場面は、具体的で、恋に落ちた様子がすごく素敵に描かれている。

 恋に落ちたと書かず、「両手で掬うと海は透明で、空に撒くと宝石のように煌めいた。宝石の向こうには彼がいて、笑っていた。いたずらっぽくて、泣きそうなくらい温かくて、綺麗な笑顔だった」と情景を描き、「目が合った途端、何かがぐっと込み上げるのを感じた。胸の中で炭酸みたいに弾けて、じんじんと熱を持って、息が苦しくて、でも嫌じゃなかった」自分が感じたことを語り、「ゆかりやクラスの女の子たちが話していたことがようやく理解できた。自分には縁遠い話だと思っていたけれど、こんなにも呆気なく、思いがけず、私は落ちてしまったようだった」と共感したことをまとめる。

 言葉に表せない景色を眺めつつの語らいは言葉も弾み、主人公がおぼえた共感は、読者の共感となって忘れない。

 この部分の書き方がすごく良い。


 でも、「またね」といった彼はその日以来、現れなくなる。

 どこへ行ったのか。

 親のせいかしらん。

 彼との付き合いが、日記まで見てくる親の知るところになったのだろう。

 そもそも、空の色が変わるほど海にいたのだから、帰宅は夜になったに違いない。彼との付き合いはできなくなってしまったと邪推する。


 彼がかけてくれたタオルだけが、夢ではなかった、自分の人生に確かに会った出来事だと証明する唯一の品なのだ。


 ゆかりのなかに、彼がいると思って見ていたのは、親のせいで主人公にはろくに友達がいないようなので、親友のゆかりをダブらせていたのだろうか。

 それとも、夏樹とゆかりはなにか関係があるかも知れない。紹介してくれたのが彼女だったのかもしれない。

 

 ゆかりと電話をしているとき、「お互いの近況や同級生たちの結婚事情について」話している。主人公にはろくに友達がいないはずなので、ゆかりが中学や高校時代のクラスメイトの結婚事情を話したのかも知れない。

 

 夏樹とゆかりが重なっているので、ゆかりが結婚したと聞いて彼が結婚したと思えたのだろう。「ゆかりの中の彼を、諦めるべきではなかった。もう遅い」

 でも、思うに、ゆかりのなかに彼がいると思っているのは主人公なだけであって、実際ゆかりの中に彼がいるわけではないはず。


 ゆかりが結婚式に来てよと誘っている。『志保に紹介したい人もいるの。旦那の友達でさ、実家が漁業系? 魚系? まあそんな感じらしいんだけど、本人は外資系。かなりやり手らしいよ。で、最初は静かめな人だったんだけど、成り行きで志保の話題になったら急にめちゃくちゃ食いついてきて、会ってみたいって……』

 現実ではありえないだろうけど、話の流れからすると、ひょっとすると旦那の友達は夏樹かもしれない。

 だから、参加すると良いな。


 ゆかりを通して、いるかもわからない彼に向けて「会いたい。助けて。お願い。またあの日みたいに」と助けを求める様子を読むと、本作は眠り姫のように、いつかは王子様が迎えてに来てくれるのではと夢見ている少女の話に思える。

 それでいて、もし結婚して子供が生まれて親になったら、自分がされてきたことを子供にするかもしれないと考えては、「私が断ち切らなければならない」と考える。

 断ち切ったらいいのでは、と思う。

 けど、子供の頃から干渉してきた親からは逃れられないみたいな悲しみが、読後に漂っている。

 最後の「タオルは端から滴を滴らせながら、静かに風に吹かれていた」は、主人公のかわりに泣き、風が慰めているようにも思えてくる。

 侘しさが胸に迫ってくるようだ。


「ねえ会いたいよ」と電話を聞いていたゆかりは、どう思って聞いていたのだろう。ちょっと志保は疲れているのかもしれないなぁと思って、また後で電話をかけ直そうと思って切ったのかもしれない。


 読後、面影について考えてみた。記憶は大人になればなるほど、遠く、より鮮明になって思い出されていく。いつでもすぐ側にいる感覚はするのに、歳月だけが遠ざかり、懐かしくてお気に入りだった場所も、見る陰もなく形をかけては色褪せ、もはや記憶の中にしか存在しないのかと思うと、言葉もなく寂しい思いにとらわれてしまう。

 そうなる前に、動きださないと後悔する。気持ちが決まっているなら動き出せると思っていたら、あっというまに歳を取ってしまう。

 タオルを大事に取っておくのなら、もっと早くに追いかけるべきだったのではと思えてならない。

 それにつけても、子離れできない親もまた問題である。

 子供はいつまでも可愛いのはわかるけれど、本当に可愛いのなら、子供の自主性を信じて過度な干渉はせず、見守ることも大事なのだ。

 でも彼女は、まだ諦めてはいけない。これまでよりも、今日の一歩が大事。自分が望む未来にむかって歩んでいくことを願う。 

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