幾度の夏を越えて、また君に逢いたい

幾度の夏を越えて、また君に逢いたい

作者 福山慶

https://kakuyomu.jp/works/16817330651000306271


 花村沙織は幼い頃に出会って好きになった清を助けてと神様タヌキに懇願するも叶わなかったため、自身で彼の心を救い、大学在籍中に資格を取って祖父の神社を引き継いだ話


 悲しくも救いのある話だった。

 人の願いや思いは、ときに強く重く、人を縛ることもあるが、結びつけては繋ぐこともあることを思い出させてくれる。


 主人公は、花村沙織。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継でつづられている。ですます調で書かれている。とくに清の外見描写はされていて、状況描写も良く書けている。

 ミステリー要素もあるので、前半は受け身だった主人公は、後半積極的に行動していく。

 恋愛要素もあるため、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の順番で流れていく。

 

 男性神話と女性神話の中心起動の沿って書かれている。

 主人公の花村沙織の祖父、幸雄の姉である花村千代は、昭和十六年、清に告白されて付き合っていた。時代は太平洋戦争末期、清は徴兵で沖縄へ行くこととなる。彼を死なせないでと神様のタヌキに願う千代。代償は願ったものの命だった。広島の街へでかけた千代は原爆に巻き込まれて死に、清は不老不死となった。

 時が流れる。

 一九九六年の夏、帰省で祖父の家に来ていたとき、五歳の沙織は夜遅くに丘の上で迷子になっていたところ清に助けられる。以来十年間、毎年のごとくお盆の時期に彼と会い、自分にだけ見えている幽霊だと思いつつ、好きになる。

 二〇〇六年八月十五日、告白するも「忘れられない好きな人がいるから」と断られる。神社の宮司をしている祖父から清のことを聞こうとするも本人から聞きなさいと言われてしまう。「清さんの抱えている悩みはきっと解決する。けれどそれがまた新たな悲しみを生むだろうな。じゃけえ、これから沙織が寄り添ってやってくれ」

 その一カ月後、祖父は入院。二〇〇七年六月十日。七十二歳で亡くなる。神社を継ぐ気のない父は別の人に任せてあるといい、祖父母の墓は別の場所にあるため、帰省する理由がなくなってしまう。

 進路を真面目に考えなければならない高校二年の沙織は、祖父の言葉を思い出し、彼を想い、八月十五日に家を飛び出して神社を訪れ、清と再会。祖父が頼んでいた宮司は清だった。

 年末年始、巫女として助勤する沙織。一月七日の夕刻、巫女としての仕事が終わり、清と参拝。別れ際に彼は倒れてしまう。搬送された広島市民病院で心臓の病気だとわかる。

 毎週見舞いに通い、気づけば夏が来ていた。神社の蔵の鍵を見つけた沙織は、掃除をしていると写真と祖父の姉である花村千代の手記を見つける。千代と清のことを知ったとき、神様のタヌキが現れて話を聞き、幸雄が清の不老不死を解いてくれと願い、代償で祖父は死んだことを知るも、沙織は清を助けてと懇願。

『――僕が君の願いを叶えられない理由に僕が君を死なせたくないからと述べたが、実はもう一つ、それよりもっと重要な理由がある。一月七日、君たちは参拝しただろう。あの日、清はこう願った。もしも私が倒れて沙織さおりちゃんがあなたの力を頼ったとき、あなたはそれを拒絶してほしい、と。僕は花村の人間としかコミュニケーションを取れないが、これを約束とした。この約束は守らなければならない』と言われてしまう。

 見舞いに訪れる沙織に、何年も前から千代のお面影と重なるようになり、胸が苦しくなったと朦朧としながら語る清に、「私は千代だよ」と告げると、「そうか。千代、君だったか。私はずっと、また君に逢いたかった……」と呟いて清は永眠するのだった。

 清が亡くなってから五年後。大学に在籍しながら宮司の資格を取り、卒業した現在、祖父の神社の宮司をしている。神様のタヌキに『この神社を継いでくれてありがとう』『僕だけじゃなくて、清も幸雄も千代もみんなが思っていることだよ』と言われるのだった。


 三幕八場の構成で作られている。

 一幕一場のはじまりでは、沙織と清との出会いが描かれ、二場の主人公の目的では、十年思い続けた彼に告白しようとする。

 二幕三場の最初の課題では告白するも忘れられない好きな人がいると断られる。四場の重い課題では、清に寄り添うよう頼んだ祖父が亡くなり、神社の宮司になった清と再会する。五場の状況の再整備、転換点では再度好きですと、祖父から頼まれたと伝え、月一回の頻度で来てもいいか尋ねるといつでもおいでと言われる。六場の最大の課題では、年末年始に巫女としてバイトする。

 三幕七場の最後の課題では、清が倒れ入院する。蔵で花村千代と清のことを知り、神様タヌキから話を聞き、彼を助けてと懇願するも叶えられない。朦朧とする清に、自分が千代だといって安心させて看取る。八場のエピローグでは、祖父の神社を継いで宮司となる。


 時間軸が壮大で、入り組んだ構造に見えるけれども、シンプルな作りをしている。

 幽霊だとおもっていたら、祖父の旧友で、人で、不老不死で、主人公の祖父の姉の恋人だったという、清の謎が明かされていく展開は驚きとともに面白さでもある。


 書き出しの「実は私、花村沙織は男性の幽霊が見えているんです」言い切りがすごい。

 清は幽霊ではなく、千代の願いをきいて神様タヌキが不老不死にしていたけれども、彼は人間だったというどんでん返しになっている。

 どんでん返しは、登場人物と読者の両方を騙さなくてはならないので、一行目のはじめから仕込んでおく必要がある。

 そのことを良くわかっての、書き出しだろう。


 五歳の女の子が、一人で山に行くのは危険。きっと、祖父も両親も、心配して探したに違いない。


「広島の夜景が一望できる丘で、あまりの美しさに、わあっと声を上げたことを覚えています」から、物語の場所は広島だと、さり気なく読み手に伝えている。のちに、千代が原爆に巻き込まれた流れに繋がっていく。

 

 主人公視点の、ですます調で書かれているからか、本当にこういうことが以前あった体験談が語られているように思える。

 

 清が幽霊と思った根拠として語られている中に、「私の家は代々神社を継いでいまして、常理では測れない摩訶不思議な出来事もあったみたいですから」があり、さり気なく神社のことを盛り込んでいる書き方が上手い。

 あくまで神社は、幽霊が見える根拠として出てきているだけで、設定を説明しているのではないから。

 とはいえ、ですます調のせいなのか、現実には幽霊はいないからという思考が働くので、きっと彼は幽霊ではないのだろうとする穿った見方をしてしまう。

 でも、幽霊かどうかは関係ない。

 大事なのは、この恋がどうなるか。

 そちらの関心のほうが強い。

 そう思えるのは、主人公が前半で告白しようと行動しているから。

 作品を全体的見ると受け身がちに書かれている。

 だけれども、恋愛ものの書き方をされているため、彼が幽霊かどうかよりも、告白がうまくいくかどうか、そちらに興味が行ってしまう。

 本作にとって、謎解きはお話を面白くするエッセンスなのだ。


 茂みから顔を出し、清の元へと歩いてくるタヌキがかわいい。

 人に懐くタヌキがいい。「幽霊さんの膝の上で丸くなっているタヌキを撫でます」抱っこしたくなる。

 

「おじいちゃんの神社はタヌキを祀っていますから、きっとこの御方こそが神様なのでしょう!」

 主人公が、早々と言い当てている。

 そもそも、タヌキを祀っている神社らしい。

 さりげないところで、物語の根幹が語られている。

 こういう読み手への見せ方はいい。


 告白したあと、話数と場面が変わって「結論から言いましょう。私の告白は失敗に終わりました」と、あっさり結論がでてしまう。

 テンポが良い

 

「ああ。夢を叶えるために努力するか、ここを継ぐかでな。結局宮司になったが、後悔はしてない。じゃから悩んで悩んで悩み抜いて、決断をせねばならんときがいつかくるとワシは思う。一番まずいのは問題を放り投げることじゃけえの」

 祖父のこの言葉は、本作ではかなり大事。

 主人公は悩んで結論を出したから、祖父の亡くなったあと、神社へ足を運ぶし、巫女もするし、清が倒れてから毎週見舞いに行き、最期を看取るし、宮司になって後を継ぐ。

 とはいえ、もともと主人公は、行動的な事して書かれている。

 五歳に夜、山へ飛び出し、幽霊と思っている清へ玉砕覚悟で告白した。

 祖父の言葉がなくとも、彼女ならば思ったら即行動するのではと思えてくる。

 それでも、「なんだか、産まれて初めておじいちゃんのことを頼もしく感じました」とあるので、影響があったと思いたい。


 それにしても、「産まれて初めておじいちゃんのことを頼もしく感じました」ということは、日頃の祖父は頼りなかったのかしらん。

 高齢になれば、人は頼りなく思えるのは仕方ない。


「思い出すのは告白したあとの彼の言葉。ここからは私の回想です」

 なかなか斬新な回想の入り方である。

 そもそも冒頭から、主人公はいい切っているので「ここからは私の回想です」からはじまっても、こちらが納得してしまうような勢いがある。


「社の影からひょこっと昼に見たタヌキが歩いてきました。おじいちゃんが目を開け、タヌキと見つめ合います。厳かな雰囲気が漂って、言葉を発することができません」

 特別なタヌキなんだとわかる場面。

 タヌキと見つめ合いながら、なにか言葉をかわしているのかもしれない。

 このとき、祖父は清を人間にしてほしいとタヌキに願ったのかもしれない。不老不死になった清をこのままにしておくこともできないし、孫娘が清を好きになってくれたのなら、彼の力になってくれるかもしれないという考えが、神様タヌキとのやり取りで出てきたのかもしれない。

 だから、「清さんの抱えている悩みはきっと解決する。けれどそれがまた新たな悲しみを生むだろうな。じゃけえ、これから沙織が寄り添ってやってくれ」といったのだろう。

 後のことは頼む、と。

 何気ない場面だけれども、重いことを頼まれている。

 主人公はなにもわかっていない。

 わからずに「うん」と答えてしまう。

 彼を託されたのだ。


 祖父が亡くなるのに、かなり時間がかかっている。

 二〇〇六年の九月に入院し、二〇〇七年の六月に亡くなった。

 九カ月ほどである。

 神様タヌキにお願いすると、代償の命はすぐに取られる訳では無いらしい。

 清も、一月七日に倒れて入院してから夏になるまでずっと入院していた。

 神様タヌキの願いが成就し、代償の命が取られるまで、八、九カ月掛かるのだろう。

 そう考えると、千代が清が死なないよう願ったのも、十二月くらいだったのかもしれない。


 清が宮司となっている。

 戦後、彼は宮司の資格を取っていたのかもしれない。


 主人公の沙織は面白い。

 祖父に頼まれたと行って神社に来て「というか、こうして職に就くってことは幽霊さんは本当に幽霊じゃなかったんですね。これから清さんとお呼びしましょうか」といったあと「じゃあ清さんって呼びます。清さん、好きです」

 ここでも告白する。

 一年前、断られているのに。

 めげない強さと行動力が彼女のいいところだと思う。

 思うけど本人は、「勢い余って変なことまで言ってしまいました! もうめちゃくちゃ顔が熱いです。気まずい時間が流れます。清さんを困らせてしまいました。ああもう、少し前の自分を叩いてでも止めたい!」と心の中ですごい葛藤が起きている。

 巫女をしていて、起き抜けに清と会ったあと、「布団から出てローテーブルの前に座ります。そして冷静に今の状況を分析します。寝起き姿を好きな人に見られました。好きな人に下の名前で、しかもちゃん付けで呼ばれました。というか、これって好きな人の家に泊まっていたことになりますよね。い、いけない! 考えれば考えるほど恥ずかしさでどうにかなりそうです!」の戸惑う様子はとても可愛い。

 一緒に参拝をしたとき、なにをお願いしたのか清に聞かれて「よくぞ聞いてくれた! というように私は胸を右手で叩きます」も面白い。

 高校生で、好きな人と一緒にいるから舞い上がる様子が目に浮かんでくる。


 清は、年末年始徹夜続きだったらしい。

 それだけ宮司は忙しいのだろう。

「今年の初夏からなんとなく本調子ではないなと思っていたけどね。クリスマスあたりから病気を疑ったけど年末年始を休むなんてできやしないよ」とあり、倒れた原因は年末年始の忙しさ以前にあるのがわかる。

 不老不死となっていた清は、祖父の願いにより、人間になった。 祖父が亡くなっ六月には人間になったと思われる。

 見た目は二十代と若い姿をしていても、元々は祖父よりも年上だったのかもしれない。人間になったことで、今まで止まっていた時間が動き出したような感じとなって、身体の老化がはじまったのだと邪推する。

 だから心臓が弱ってしまい、倒れたのではないかしらん。


【清くんが徴兵で沖縄に行くことになった。幸雄は清くんと一緒にサッカーしたりして懐いてたからとても泣いている。私も泣きたい。でも、泣いちゃいけない】

 戦中にサッカーはあったと思うけれども、敵性語排斥運動があったはず。とはいえ、国家が規制したわけではなく一部から始まった流行で、漢字に置き換えられることもあった。

 だから手記には、「蹴球」という書き方がされていてもいいのではと邪推したくなる。実際のところ、当時はどのように呼ばれていたのだろう。


『当時の僕は幼かった。だから僕のもたらす力について理解が及んでいなかった。僕は願いを叶えるのと引き換えに願った者の生命力を代償にしなければならなかったんだ』 

 神様タヌキさんも、代替わりがあったのかもしれない。

 ずっと同じタヌキが神様をしているわけではないのだろう。

 自分の力に代償があるのを知らずに、千代のお願いを聞いて「いいよ」と答えたら、死んでしまったという悲しい結果になってしまった。

 神様タヌキも申し訳ないことをしたと思ったに違いない。


 祖父の願いを聞いたのは、もう高齢だったためだろう。

 どうせ寿命で死ぬのなら、清をもとに戻してあげてほしいと願った祖父・幸雄の願いを了承したのだ。

 

『幸雄としても僕個人としてもあのまま清をひとりにするのは忍びなかった。まさか、すぐに病気を患うとは思ってもみなかったが』

 人間に戻したら病気になるとは思っていなかったことがわかる。

 神様タヌキは、願いを叶えてくれるけれど、叶えるとどうなるかまでは考えが及んでいないのだ。

 このあたりが、動物のタヌキらしい一面かもしれない。

 動物は、人間のようにもし行動したらどうなるのか予測しながら計画して行動するわけではないから。

 

『僕は花村の人間としかコミュニケーションを取れないが、これを約束とした。この約束は守らなければならない』

 清は、花村の人間ではないから、願いを聞かなくても良かったのに聞いたのはなぜかしらん。

 コミュニケーション、つまり、話してやり取りはできなかった。でも、彼が宮司をしていたから、約束を守らなければとしたのだろう。

 

 好きな人を看取り、相手のために、相手の想い人でありすでに故人の千代のかわりを務めた沙織は、大変だっただろう。だけど、自分にしかできない、彼を安心させて見送る唯一の方法だった。

 実に悲しいし、寂しい。


 「清さんはどういう思いでお盆にこの場所を訪れていたのか。それは自明のことですね。きっと今の私と同じ気持ちです」の書き方がいい。千代の日記に、丘でのことが綴られていて、その丘を毎年清が訪れていて、いま主人公の沙織も訪れている。

 彼のことを思うように、清は千代を思っていたことを、わざわざ書かなくてもわかるでしょ、としているところが良い。

 読み手に想像させて、主人公との気持ちに共感してもらう。

 そこで見えている景色「地平線の先に積乱雲がもわもわと昇っていました」から、彼への気持ち、思いが膨らんで、届くんじゃないかと思わせてくれる。


 最後、神様タヌキの『でもこれは僕だけじゃなくて、清も幸雄も千代もみんなが思っていることだよ』で終わるところがいい。みんなの思いがあって、今自分はここに立っていることを如実に感じさせてくれている。


 読後、いいタイトルだと思った。

 ラストの沙織の心情でもあり、これまでもこれからも丘の上に立って思いを馳せる人の気持ちでもあり、読者の恋しい君にもまた逢いたいと思わせる、そんなタイトルがつけられている。

 素敵な作品だ。

 


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