星の海
星の海
作者 春野カスミ
https://kakuyomu.jp/works/16817330660778803649
五歳のとき両親を亡くし小さな食堂を経営する祖父母に引き取られた佐々木拓也は十年後、大好きな祖父が他界し、一週間後に過労で祖母が倒れる。独りになったとき、クラスメイトの早坂に祖父から教わったデミグラスハンバーグを提供。死んだ人は星になり、いつか会いに帰ってくると祖父に教わったことを思い出す。彼女と二人でふたご座流星群をみながら、祖父に思いを馳せて涙する話。
疑問符感嘆符のあとひとマスあける云々は気にしない。
つらく悲しいけれどもいい話。
試練を乗り越え、さらに自分自身と向き合って立ち直っていこうとする描き方がいい。
主人公は中学三年生の佐々木拓也。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。だからといって、自分の気持ちをなんでも書いているわけではない。心情を行動で描いているところが良い。
泣ける話なので、「喪失→絶望→救済」の流れで書かれている。
前半は男性神話、後半は女性神話、メロドラマの中心軌道に沿って書かれている。
拓也は、五歳に両親を交通事故で亡くした。泣いていた拓也に祖父は「お前の母さんが、よく食べてた」とデミグラスハンバーグを作って食べさせてくれた。その後、ペルセウス座流星群を見に行き、両親は星になり、星の海を泳いでいる。いつか流星となってお前に会いに来ると言われた。その日から食堂のメニューにデミグラスハンバーグが加わる。
そんな祖父母に引き取られて十年、ずっと暮らしてきた。
祖父は二十代から小さな食堂を五十年もの間経営している。そんな祖父が他界。葬儀の翌日には祖母が食堂を切り盛りしていた。食堂の手伝いを申し出るも、「拓也は気にしなくていいんだよ、勉強もあるし、友達とも遊びたいだろ? おばあちゃんは一人で大丈夫、なんにも心配いらないから」
一週間後。夏期補講からの帰り。祖母が倒れ、病院へ運ばれる。「あの店は、おじいちゃんとおばあちゃんの、宝物なんだよ。ううん、あの店だけじゃない。店に来てくれる常連さん、店に帰ってくる拓也も」「だからねぇ、守りたいんだ、どうしても。あの店は、おじいちゃんとおばあちゃんの、全てなんだ」と祖母は拓也に話す。「……死ぬまで続けるって、誓ったんだ、おじいちゃんと」「大丈夫。すぐに元気になって、また厨房に立ってみせるさ」拓也は泣くことしかできなかった。
家に帰り、厨房を片付けていると独りだと気づき、憂鬱になる。そこへ店に訪れたのは、クラスメイトの早坂だった。祖母が倒れて臨時休業だと伝えると、なぜか早坂が泣く。祖父が死に、祖母が倒れたのに、なぜ拓也は泣いていないのか言われて、泣いていないことに気付かされる。
早坂の両親は仕事で夕食を食べに来たのだった。拓也は自分が料理するからと午後六時に店に来るよう伝える。
彼女の言葉で、祖父が亡くなってから泣いてないことに気づき、
「今も、朝起きたら厨房にじいちゃんが立ってる気がして。本当は、分かってるのに。……認めたくないだけなんだ。僕が泣いたら、それは僕の中でじいちゃんの死を受け入れたことになる。情けない話だけど、でも、そうなんだ。僕はいつまでも、大人になれない」
祖父母の食堂の看板メニューは、ハンバーグを作り彼女に提供。これだけは作れるようになりたくて、祖父から教わったことを伝える。
食べ終えた彼女から「今日はね、ペルセウス座流星群の日なの」と教えられる。十年に一度の好条件だといわれる。
早坂とともに流星群を見る拓也。
十年前の星の海のように瞬き始めている。星空へと手を伸ばし、いつかきっと会いに来てくれると、星の海を泳いでいる祖父に思いを馳せる。
早坂に「僕はずっと、じいちゃんのことが大好きだったんだ」と語ったとき、胸が締め付けられるような思いがして、涙するのだった。
書き出しが祖父の言葉、「人のために生きろ」からはじまっている。
小さな食堂を経営してきた祖父だからこその言葉であり、生き方だったのだろう。自分本位の、偶然に過ぎない幸せを求める生き方ではなく、自分の周りが満足できるような生き方をしろと、主人公に教えたのだろう。
人のためにはもちろん、周りの人だけでなく、自分も含まれているはず。自分が作ったものを食べて、誰かが喜ぶ姿を見て、自分も喜ぶ。
悲しいや辛いは、道端にゴロゴロしているくらいたくさんあるし、誰もが体験し、経験する。泣くのはいい。悲しむのも大事。でも、いつまでも蹲っているわけにはいかない。だったらどうしたらいいのか。祖父は生き方を、両親が亡くなった主人公に教えたのだ。
祖父がどんな食堂を経営していたのかが、具体的に書かれている。「祖父は二十代の頃からずっと小さな食堂を経営してきた」
「寂れていて少し古臭く、現代風でもなんでもない」
「地元の人たちに愛されてきた食堂」
「祖父の丁寧なサービス」
「味に定評があった」
「五十年もの間細く長く営んでいた」
昔ながらの、町食堂である。
目に浮かんでくるようだ。
仕込み途中で倒れ、脳卒中で帰らぬ人になってしまう。
葬儀に参列した人のことが書かれていて、「多くが、祖父の食堂に通う常連客だった。中には、普段店に顔を出すことの少なかった僕のことを知るおじさんもいて、立派になったなぁ、と感慨深い表情で口にしては僕の肩をポンポンと叩いた」とある。
いかに、祖父は多くの人に愛されていたのかが伺い知れる。
学ランを来て火葬場にいたときのこと、三日たっても喪失が埋まらなかったこと、葬儀後に祖母が食堂を切り盛りする様子など、坦々と主人公に降り掛かった辛い出来事が書かれているから、余計に現実味を感じてしまう。
七十過ぎの人が、一人で飲食店を経営するのは大変。
常連客は、おそらく手伝ってくれているとは思うけど、食器運びくらいは。来客中はずっと立って作らないといけない。
主人公が手伝いたいと出だすのもわかる。
倒れた時に祖母が、「あの店は、おじいちゃんとおばあちゃんの、宝物なんだよ。ううん、あの店だけじゃない。店に来てくれる常連さん、店に帰ってくる拓也も」「だからねぇ、守りたいんだ、どうしても。あの店は、おじいちゃんとおばあちゃんの、全てなんだ」「……死ぬまで続けるって、誓ったんだ、おじいちゃんと」気持ちを語っている。
祖母も祖父と同じ。人のために生きている。
それに、祖母も祖父を亡くして悲しんでいるのだ。だけど、孫の前ではそんなことはいえない。生きがいとかではなく、祖父が守ってきたものを守らなければ、祖母も生きていけないくらい心が弱っている。
ひょっとすると、祖父の元へ行きたいという気持ちもあったかもしれない。でも、拓也を置いてもいけないし、頑張るしかない。
その結果、倒れてしまう。
実に辛い。
厨房の散乱を片付けるところを描いているところが良い。
より、辛さが読者に伝わってくる。
作りかけの祖母の料理を食べると「……うまい」とつぶやいたあと、自分は店に一人しかいないことに気づく。
祖父母が作っていた美味しい料理は、祖父がなくなり、祖母が倒れ、もう食べれなくなるかもしれない。
ひょっとしたら、祖母が作ってくれた最後の食事になるかもしれない。
しかも七十過ぎだから、そう遠くない先には、祖母も亡くなって必ず拓也は一人になる。なにもかもいなくなってしまう日が来る。
その予行練習みたいな出来事が起こった。
だから、「果てしない憂鬱に襲われた」のだろう。
そんな時に訪れる、顔見知りのクラスメイトの早坂。
事情を説明して彼女が泣き、「逆に、なんで佐々木くんは泣いてないのよ!」というけれど、現実でも泣けない。
目の前で起きた出来事に戸惑いながらも受け入れ、寂しさと辛さから憂鬱になっている。祖母が心配なのと、この先どうしたらいいのかと、厨房の片付けは全部終わっていないはず。やることや考えることも一杯で、泣いている暇がないのだ。
「正確には入院している祖母に付き添っている時は泣いたけれど、祖父の死に対してまだ一度も泣いていないのだ」
祖母の前で泣くのは、無理して倒れたとはいえ、祖父のように亡くなることはなかったので安心もあって泣いたのだと思う。
第三者で、事情を聞いてかわいそうと思ったから早坂は泣けたのだろう。
「子供の頃よくここに来てたから、何だかなつかしくなっちゃって」
五十年も営業していると早坂のようにおもっている人達は、大勢いるに違いない。
「今日は両親が仕事でいないから、夕ご飯はここで食べようと思った」と語っている。思い出して来店してくれるお客さんは、ありがたい。それだけ祖父母の料理は美味しく、接客もよくて、また着たいと思ってくれたのだ。
祖父母が褒められているような気持ちにはなるだろう。同時に、祖父の言葉「人のために生きろ」も思い出したに違いない。
拓也は気持ちを切り替えて、「今日の夜、六時ごろ、もう一回ここに来て」「僕が料理を作る」と言えたのだ。
彼がどう思ったかは書かれていないけど、彼の行動から読み取ることができる。
デミグラスハンバーグを早坂に提供している。
本格のデミグラスソースを作るのには時間がかかるはず。フォン・ド・ヴォーから作るなら、最低でも三日はかかる。
祖父、あるいは祖母が作り残っていたものがあったのかもしれない。
少なくとも、二時間で散乱した店内を片付けて、客を迎える準備を整えたのだろう。
でも主人公の彼は、店の手伝いを祖母に断られている。
店内の動きをどうやって身につけたのかしらん。
祖父母が働いているのを見てきただけでは難しい。ということは、小さい頃からたまには店を手伝っていたのかもしれない。
祖父にデミグラスハンバーグの作り方を習っているくらいだから、可能性は十分考えられる。
でも、「ソースが出来上がった。僕はそれを皿に盛り付けたハンバーグの上にかけた」とある。
じっくり煮詰めてデミグラスソースを作っていたわけではないのかしらん。それとも温め、手をくわえたのかもしれない。
簡単な方法なら、ケチャップと醤油ととんかつソースを混ぜて火にかけたらいい。
もう少し手を加えるなら、みじん切りの玉葱を炒めて乾煎りした小麦を加えて粘りが出てきたら、ケチャップと醤油ととんかつソース、牛乳や赤ワイン、コンソメに水を入れて煮込めば完成する。
一週間ぐらいでは「じいちゃんが生きている可能性ばっか、考えてる」「今も、朝起きたら厨房にじいちゃんが立ってる気がして」と思う気持ちはよくわかる。
頭ではなくなったとわかっても、長年いるのが当たり前で生きてきたから、身体がおぼえていて、ギャップが埋まらない。
「情けない話だけど、でも、そうなんだ。僕はいつまでも、大人になれない」
早坂も言っているように、情けなくはない。
「美味しい……! すごい、小さい頃食べてた味そのまんまだよ!」 つまり祖父の味を、主人公は引き継ぐことができたのだ。
「これだけは自分で作れるようになりたくてさ。じいちゃんが生きてた時、必死に教わって、なんとか同じ味だって言われるまで練習したんだ」
いかに努力してきたのかがわかる。
いつ教わったのかわからないけれど、小学生の頃からくり返し頑張ってきたに違いない。
両親がなくなって悲しんでいる主人公に、母親もよく食べていたという温かいデミグラスハンバーグを食べさせて、お腹を満たしてあげたのが良かった。
大切なものをなくした主人公の空腹を温かい食べ物が満たし、それが「お前の母さんが、よく食べてた」ことを知り、間接的に母親を感じながら、しかも美味しくて、心も満たしていく。
そのあとで、星を見て、語る。
この流れが素晴らしい。
飢えと寒さと孤独が、人に絶望をもたらす。祖父は、温かいごちそうで飢えと寒さと孤独だった主人公を満たし、星になった両親は星を泳ぎ、「いつか必ず、流れ星になって、お前に会いにやってくる」と希望を語った。
だから彼は立ち直り、今日まで頑張ってこられたのだ。
早坂が言わなければ忘れていたみたい。
普段から星を見ることはないのだろうし、天気によって左右されるし、夜遅くにならないと見られないから、星を見ることをしなくなっていたのかもしれない。
十年前の星の海のように、流星がよく流れたのだろう。
祖父が好きだったことを彼女に語った後、「じいちゃんは星になって、僕の行く先を眩く照らした。未来が、無限に輝いた」の書き方がいい。
見えている景色は、幾つもの星がまたたき、流れ星も見えている。いつか祖父が会いに来てくれる。祖父は希望となったのだ。
最後、涙を流すところが良い。
ようやく祖父の死を受けとめ、しかも星になった祖父から希望をもらった。
本当にいい話。
読後、拓也は祖父の言葉を胸に、退院した祖母を手伝って店で働き、ゆくゆくはあとを継ぐかもしれない。早坂が手伝ってくれるかはわからないけれど、頑張っていくにちがいない。
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