白昼堂々

白昼堂々

作者 雨森傘

https://kakuyomu.jp/works/16817330660351264132


 ときどき何もかも嫌になる女子高生の橙子は、夜の公園でお酒を飲まされた悠と出会う。落としたパスケースを届け、彼と母親が営む子ども食堂の手伝いをお願いされる。先天性の色覚異常の彼に、「青という色は、悠さんみたいだと思います」と思わず告げ、「悠さんは私にとっての夏なんでしょうね」彼に返せば「橙子さんは彩り豊かな人だと思いますよ」といわれてしまう。期待や誰かの理想に雁字搦めになって彩りとはかけ離れている気がするが、彼を否定する気にはなれず、「青いな……」と礼を告げる話。


 純文学。

 悠と出会ってようやく青春を迎えた、そんな夏の話。

 橙子が小難しいことを考えるのは、麻薬みたいな季節だからかもしれない。


 主人公は、十六歳、女子高生の橙子。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。自分の心情をよく語っている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 一人っ子の女子高生、橙子は親の期待を一身に受けることをつらいと感じながら、贅沢な悩みなのもわかっている。時々なにもかもが嫌になり、夜になると外出する主人公に両親は「いってらっしゃい」とだけ言われる。我が子の行動に口出しする人たちではなかったが、彼らの態度は自分の信頼があってのものなのはわかっているから、今日もまたスマートフォンの位置情報機能をオンにした。

 そんなとき、公園のベンチで蹲っている人に声をかけられ、水を求められる。500ミリリットルのペットボトルを購入して手渡すと、「まだ飲めない歳だってのに、バ先の先輩にジュースとすり替えられちゃって……」と受け取る彼は「さっき泣いていたでしょ」「声が、泣いた後って感じで」と当てられる。

「僕の家、こども食堂やってるんですよ。いつか自分もそのあとを継ぎたいと思っているんですが、なんだか照れ臭くって言えなくて、結局よその飲食店でバイトしてたんです。でも、これで辞める理由……というか、自分の思いに真っ直ぐ向き合う理由が出来た。結果オーライってわけです」と語り、ありがとうと帰っていたあと、パスケースを拾う。生徒証明書と思しきものの向かいに挟まれていたのは、隣町にあるこども食堂の名刺。名刺に記されている住所は、二駅向こうの土地を確認し、翌日土曜の昼間、届けに行く。

 店に入ると長テーブルを拭いている女性に声をかけられ、パスケースを届けに来たと告げる。

 昨日の彼・悠は「失くしたって大騒ぎしちゃって……めちゃくちゃ母さんに𠮟られました」助かりましたと笑ってくるので、「困ったときはお互い様ですよ」と手渡す。すると、「もしよかったら、うちのちびっ子たちの相手、手伝ってもらってもいいですか。あいつら、夏休みで暇してて、元気有り余ってるんですよ」と頼めれる。

 私で良ければと答え、相手をすることになる。彼に一人っ子かと聞かれてそうだと答える。そのながれでどこの大学へ通っているのか聞かれて、「私まだ十六なので」と答えれば、「年下⁉」と驚かれる。

 翌日、昨日の三人に二人を加えた五人が自由に過ごしているなか、主人公は彼から、問題を聞こうとする。勉強の苦手な彼には主人公が賢そうに見えるらしい。子供たちは、「悠にぃも勉強嫌いならさ、オレたちと一緒に遊ぼうよ」と彼にいうと、「そういう訳にはいかないんだな、僕たちの年になると。自分の都合で逃げちゃ駄目なのさ」と答える彼。子供たちは今のままがいいと駄々をこねる。

 堕落しないよう自生するのが成長とわかっていても、嫌なものを嫌と言葉にする機会がないと疲弊し摩耗する。無力なのに、自分の好き嫌いの基準で世の中を判断しようとする偉そうな振る舞いに疲弊し、何もかもが嫌になって投げ出したくなる。それが母の言う思春期に当てはまっているのか、不安に思う。

 そんなとき、子供に青い色鉛筆を取ってほしいと彼は苦労しながら見つけ出して手渡す。彼は子供たち用のお菓子を詰めるのを手伝ってほしいと主人公に伝えてくる。一緒に厨房へ生き、日曜日に帰る前に子供たちに渡しているという。そのついでに「僕、色分かんないんですよ。いわゆる全色盲ってやつで」と告白する。

 軽くいわれて戸惑うも、「気づいていたんじゃないですか。ほら、色鉛筆の……」といわれると、「まあ、そうだね」とうなずく。

 各仕事は苦手と語った彼は、先天性の色覚異常で、色の概念を真に理解できず、グレースケールで物を見ていることを教えてくれる。

「同情は不要です。受け取るだけ、虚しくなるので。ただ、あなたには知っていてもらった方が、息がしやすくって」といわれるも、何処までが共感で道場七日の線引がいまいちつかめずにいた。

 夏休みに入っていることを確認し、これからも来てもらっていいか尋ねてから『明日、午前十時に店の前で待ってます』とメモを渡される。

 翌日、二人で買い出しに出かける。母親に、悠のセンスは奇抜だから、という理由からお願いされたことを知る。

 麻薬みたいな季節。主人公にとって暑い夏は苦手だが、青いフィルタのかかったようなエモーショナルを摂取できて、夏というだけで景色がいつもよりきれいにみえていた。 

 全色盲は先天性で錐体が無く、補助メガネを使っても効果がないらしい、と昨夜調べた程度の知識しかもっていないため、唸る。

「悠さんは、色を知っている人よりもずっと真っ直ぐで彩のある人だと思いますよ。私の中では、ですけど。その苦悩は、褪せた人間には分かりっこない」

 色が分からなくても、鮮やかなのは分かるのだろうか。何が彼には鮮やかに見えたのか疑問に思うも、まだ聞くには早い気がした。

 彼に空の青さを聞かれ、「澄みきった青が広がっている快晴です」と答えれば、「青という色は、悠さんみたいだと思います」と思わず口にしてしまう。まどろっこしい恋愛小説の口説き文句かもしれない、と思う自分が嫌になるも「青って、夏の始まりの色なんです。それでいて、夏の終わりも青いんですよ」という。

 彼と出会った日の夜の公園を思い出し、間違いなく夏が始まる色だったことを思い出し、「悠さんは私にとっての夏なんでしょうね」彼に返せば「橙子さんは彩り豊かな人だと思いますよ」といわれてしまう。

 他人からの期待や固定観念や誰かの理想像に雁字搦めになっていて、彩りとはかけ離れている気がするが、色の分からないという彼の言葉を否定する気にはなれず礼を告げる。

 暑い中の信号待ちはつらいからと重い足をあげて信号を渡ると、草と泥の、夏の匂いがするのだった。


 三幕八場の構成で作られている。

 一幕一場のはじまりは、時々なにもかもが嫌になり、夜になると外出する主人公の橙子に両親は「いってらっしゃい」とだけ告げる。自分の信頼あってのことだとわかっているから、今日もまたスマートフォンの位置情報機能をオンにする。

 二場の主人公の目的は、夜の公園で酔っている悠を見かけ、水を買って渡し、彼の落としたパスケースを拾う。

 二幕三場の最初の課題では、隣町の子ども食堂にパスケースを届けに行く。四場の重い課題では、彼に渡した後、子供の相手を手伝ってもらいたいと頼まれ、引き受ける。

 五場の状況の再整備、転換点では、橙子が一人っ子で、十六歳の女子高生であり、悠より年下と知られる。子供たちと夕日を見る。

 六場の最大の課題では、悠のわからない勉強を聞かれる橙子。彼は勉強が苦手らしく、子供たちに嫌いなら一緒に遊ぼうと言われたとき、「そういう訳にはいかないんだな、僕たちの年になると。自分の都合で逃げちゃ駄目なのさ」と答えた彼に橙子も同意する。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、悠が先天性の色覚異常だと知る。夏休みに入っていることを聞かれ、明日の午前十時に店の前で待ってます』とメモを渡される。

 八場のエピローグでは、悠のセンスは奇抜なため橙子に一緒についていってもらおうと買い出しに同行する。青は悠みたいで、青は夏の始まりの色だと告げ、夜の公園で出会ったこと思い出す。彼にとって自分は夏なのだろうと声をかけると、「橙子さんは彩り豊かな人だと思いますよ」と返され、彩りとはかけ離れている自分に困惑するも、色のわからない彼を否定できずにお礼を告げるのだった。


 大きな謎として、主人公の橙子は、理由の分からない強迫観念なものを背負って息苦しくなるとうな、何もかも嫌になることを青春と呼び、自分は思春期を正常に体験しているのか、について悩んでいる。

 小さな謎は、彼女に起こる様々な出来事。この二つが結びついて最後どうなるのかを描いている。

 実に上手く、よく考えて書かれているのがわかる。 


 書き出しの印象が暗い、というか重い。

 それでも、季節はいつなのか、を伝えてくれている。

 最近の梅雨明けは七月後半、夏休みがはじまる辺り。

 蝉が鳴きはじめるのは地域によって差はあるのだけど、七月の初旬頃。蝉の種類にもよるので、早いのか遅いのかもいい難い。

 蝉の寿命はアブラゼミが三十二日間、ツクツクボウシが二十六日間、クマゼミが十五日間。実際には十日ほどと言われている。なので、梅雨明けに死んでしまう蝉もいるかもしれない。

 梅雨の中休みがあって、途中の暑い時期に成虫となった蝉が、実際の梅雨明け後に死んだと想像する。

 ただ、これから夏が始まるのに、夏の代名詞である蝉がもう死んでいるなんて、夏が終わったような気持ちに主人公がなっていることを表したいと推測する。


「時折、全部嫌になって投げ出したくなることがある。以前、そんなことをぼやいたら、母は『そういうお年頃なのよ』と返してきた」ことや、「理由の分からない強迫観念のようなものを背負っていて、たまに息をすることさえ苦しくなる」「できるだけ、『正常』な自分でいたいのだ」から、思春期と呼んでほしいと強く願っているのがわかる。

 つまり、今抱えているものを思春期と呼ばないのだったら、蝉の死骸と同じく、自分の思春期は終わってしまったということになってしまう。

 橙子は十六歳。

 ひょっとすると、まだ高校一年生かもしれない。

 高校生になったのに、思春期も青春もおわってしまったら、愛も恋も知らずに大人になってしまったのかと、不安と寂しさを抱えている状態なのだと思う。


 夜に出かけるけど「いってらっしゃい」と両親は見送る。

 この子は間違いを侵さないと思っているし、事実、悪いことをするために出かけるのではないし、心配かけないようスマートフォンの位置情報機能をオンにするなど、実に物分りの良い子で、子供がもっている我儘なところがない。

 親が心配していないので、以前から彼女は手のかかるような子ではなかったのだ。

 子供時代を、子供らしくない生活を送ってきたため、思春期が終わってしまったような思いに、橙子自身が囚われている。

 彼女の中では、遅れた思春期を体験しようと、夜に出かけていくのだろう。


 誰もいないから泣いてみようと思うのも、そういった思いからの行動だと考える。

 泣けば、自分の気持ちに気づき、わかることができるのではと思ったのではないだろうか。


うっかり蝉の死骸を蹴り飛ばしてしまった。過去にないほど長かった梅雨がようやく明けて、夏も始まったばかりだというのに、随分と早い臨終だ。


 橙子が泣いていたことを、悠が気づけたのは、色覚異常だったからかもしれない。視覚が不自由だからこそ、他の感覚、聴覚が他の人よりも鋭敏に働いたのだろう。


「いやぁ、まだ飲めない歳だってのに、バ先の先輩にジュースとすり替えられちゃって……」

 バイトの先輩はわざとやったと思われる。

 おそらく、彼が色盲なのを知っての軽い嫌がらせ、だったのではと邪推する。


「星が見えるなら、酒飲まされてもいい夜だなぁ」 

 おそらく彼には星が見えない。

 つまり、酒を飲まされるなんて嫌な夜だったといっているのだろう。


「私たちは本当に同じ空を見ているのだろうか」これ、伏線だったのだと、あとで気づく。星の見え方は人それぞれだとする考え方は、そうだよねと納得していて気が付かなかった。


「僕の家、こども食堂やってるんですよ。いつか自分もそのあとを継ぎたいと思っているんですが、なんだか照れ臭くって言えなくて、結局よその飲食店でバイトしてたんです。でも、これで辞める理由……というか、自分の思いに真っ直ぐ向き合う理由が出来た。結果オーライってわけです」

 星が見えているかどうかはともかく、彼にはいいきっかけだったのはたしかだ。 


「夏も泣いているみたいだ」

 ここでは、彼が去った後、雨上がりの匂いが肌にまとわりついていることを表しているが、ここも伏線だったのかと思えてくる。

 のちに、「青という色は、悠さんみたいだと思います」といったあと、「青って、夏の始まりの色なんです。それでいて、夏の終わりも青いんですよ」「悠さんは私にとっての夏なんでしょうね」と彼を表現している。

 自分もさっきまでは泣いていて、公園で出会った彼も泣いているみたいだと思ったことを、夏にひっかけて呟いているのかなと邪推したくなる。


 勉強が苦手な悠に子供たちが「悠にぃも勉強嫌いならさ、オレたちと一緒に遊ぼうよ」と声をかけて「そういう訳にはいかないんだな、僕たちの年になると。自分の都合で逃げちゃ駄目なのさ」といって、今のままがいいと子供の一人が声を上げる場面がある。

 橙子は、好き嫌いを取捨選択できたら幸せだけど、好きなことだけしてたら堕落するから、自制するのが成長だとわかっている。でも、嫌なものを嫌といえないと疲弊し、感情が摩耗し、世の中すべてが嫌になって社会不適合者になるのが一番嫌い。だから自分の基準で判断しようとすると、おこがましいと思ってまた疲れて、ますます何もかも嫌になる。それが母の言った「思春期」に当てはまるのか不安だと、自分自身を振り返って心のなかで呟いているのだろう。

 つまり主人公の彼女は、いままで期待を裏切れず、言われるままにハイっといって、嫌をいってこなかった。だから感情が摩耗し、大人びた行動をして子供時代をすごしてきたのだろう。

 でも、本当にそれで良かったのか、いまのままの自分でいいのかを、目の前の子供と悠人のやり取りを見て、自問している。

 この場面が自分の殻を破るきっかけとなり、悠と買い物に出かけに行ったとき「青という色は、悠さんみたいだと思います」と、告白めいたことを思わず口にする展開へつながるのだろう。

 先に、悠が色覚障害だと、秘密を打ち明けていたことも影響しているはず。


 ちなみに、考えるときは好き嫌いを排除しなくてはならない。

 好みと感情は確かなものと思いがち。でも、天候や体調、手持ちの金銭やその時の状況によって変化する。

 感情が揺れているときはまともな判断はできない。

 損得や利害関係も排除して、頭を冷やしてから考えたほうが正しい答えに近づける。

 橙子は「好き嫌いを取捨選択できたら幸せ」といっているが、そんなことはない。

 大事なのは、多くの人にとって、なにが喜ばしいことかを判断基準にすること。多くの人には家族や周りの人はもちろん、自分自身も含まれている。


 では、橙子がいつ、悠に好意を持ったのかといえば、夜の公園で出会ったとき「……あなたは大丈夫ですか」「さっき泣いていたでしょ」といわれたときだと推測する。

 おそらく彼女は、これまでにも陰でこっそり泣いてきたはず。

 夜出かけるのは、一人になって泣くためだったのだろう。

 声の変化で泣いていたのがわかるなら、両親は気づいてもいいはずなのに気づかなかった。これまで何度も泣いたに違いない。

 初めて会った彼だけが、橙子が悲しんでいるのに気がついた。

 だから、彼女は彼に興味を持ったと考える。

 とはいえ彼女自身、まだまだ素直に慣れていないし、迷いもある。

 

 主人公である橙子はこれまで、自分の気持ちよりも周りの期待に答えることを優先してきた。

 つまり、感情ではなく理性で生きてきたのだ。

 彼と会って数日程度では、生き方を一気に百八十度変えるのは難しい。それでも、青色は悠さんみたいで、青は夏の始まりの色。あの夜の公園で出会ったことが自分にとっての夏の始まり。それでいて「悠さんは私にとっての夏なんでしょうね」あなたも私を好きなんでしょと投げかけているのだ。

 含みを持たせているものの、なかなか思い切ったことを、いっている。彼は彼で「橙子さんは彩り豊かな人だと思いますよ」橙子を褒めている。

 お互いに、愛や恋を形容するには足らず、友情なのかすらもよくわからないような、まだ曖昧な感じなのだろう。

 色の分からない彼をひていする気になれず、「大人しくお礼を告げた」とあるけれど、「……そうですかねぇ」はお礼ではない。

 どうも、と小さく呟いたか、軽く頭を下げたかしたのだろう。

 そのあと、

「青いな……」

 と呟いている。

 この「青いな」は、夏空の青さと自身にむけたと思われる。

 恋も友情もわかっていない、青二才。

 それでいて、青春の青も含んでいるはず。

 彼女の青春、思春期はまだはじまったばかりなのだ。


 周りの期待に答えようとする真面目な自分を変えようと、夜に出かけていた橙子に、読んでいて共感できる。

 わたしにもそんな時があった。

 だから、彼女の行動が少しわかる。

 彼女は建前で生きてきた。一人で出かけるときだけ、本音が出せた。でもそれは、夜に出かけてひっそりと泣く時に。

 ラスト、彼女は日の光のしたで、本音で悠と歩いていく。

 だから本作は『白昼堂々』というタイトルがついているのだろう。

 夏休みが終わることには、彼女は別人になっているに違いない。


 

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