キリンジ・ボンジン

キリンジ・ボンジン

作者 ヤチヨリコ

https://kakuyomu.jp/works/16817330660293968662


 小説を読んで書くのが好きなだけの『ボンジン』である平野かなえは、黛高校文芸部で『キリンジ』である二人の天才、中村と櫻井と出会い、白眉文学賞の受賞を巡って競い合う高校三年間の話。


 数字は漢数字云々は気にしない。

 小説を通して、互いを理解し、優しさのかけらを磨いていく様を魅せられた。


 主人公は女子高生の平野かなえ。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 平野かなえと中村は男性神話の、櫻井は女性神話の、平野と櫻井は絡め取り話法の中心軌道に沿って書かれている。


 中学三年生の平野かなえは趣味で小説をかいているも、未熟である。神白学園黛芸術大学付属高等学校のオープンスクールで文芸部の冊子、文芸部誌を手にし、同年代にこんな小説を書く人がいるのかと背中の毛が逆立つ思いをする。

 文芸部顧問の津島修治に「君の入部を心待ちにしてるよ」といわれた訳では無いが、オープンスクール翌日には、志望校を決めた。

 先輩に教わっては同級生と競い合い、後輩には教えあう仲間と切磋琢磨し合い、研鑽を積む部活だと思って文芸部に入部したのだが、津島先生曰く、昨年の卒業生以外に部員はいない。先輩はおらず、部を存続していくために、入部した一年生が結果を出さなければならないという。

 眼鏡の男子は中村優。長髪の男子は櫻井秀俊。平野かなえ以外に残った唯一の女子は遠藤さん。中村と櫻井は天才であり、中村は情景を美しく描写し、櫻井は人間の心情を生き生きと描き出す。

 遠藤さんは作品を読むのが上手く、批評はずば抜けており、将来の夢は編集者という。

 文芸部の中で、主人公だけが書いて読むのが好きな凡人だったが、執筆を続けていく。

 数カ月後。神白学園黛芸術大学付属高等学校の母体、黛芸術大学は毎年、白眉文学賞を主催している。中学、高校、大学生の三つの部門があり、特に高校生部門では毎年、熾烈な争いが繰り広げられているという。最優秀賞、優秀賞、奨励賞、佳作の順に賞が用意されている。

 最優秀賞を受賞したいと望むも、天才の二人に敵わないと数カ月で思い知り、二人に勝とうと思わなければ苦しくないと諦め、奨励賞を目指すことにした主人公。櫻井に、諦めた瞬間は苦しかったけど、強がって勝つといえないことが悔しくなくて、これが諦めることなんだと自覚したことを話す。

 十一月の文化祭当日。文芸部もブースを出して文芸部誌を配布するが、中村と櫻井は学校に来なかった。その日、白眉文学賞の授賞式に出席していたのだ。努力しても天才には敵わない悔しい感情を胸の奥にしまい込む。

 二年生になると一年生が二人入部した。天才二人の白眉文学賞に受賞した作品を読んで入部したという。

 中村は中学部門でも最優秀賞を受賞し、櫻井も中学部門で入賞していたことを知る。

 職員会議で部活がないと知らせに来た津島先生から、赤入れされた原稿と、感想と総評を渡される主人公を見た櫻井は見たいと声をかけてくる。

 ファミレスで、全部で原稿用紙三百枚分の幾つかの作品を読んだ櫻井に「書くのに何カ月かかった?」と聞かれ、「だいたい一カ月くらいじゃない? 気にしたことないからわかんない」と答えると、彼の顔がこわばる。

 主人公は知っている。櫻井も津島先生や中村に見せては感想を聞き、遠藤さんに構成をしてもらい、これ以外にありえないとなるまで改稿、緻密にプロットも作っていることを。

 櫻井は、以前諦めたといっていたのに、どうして書き続けられるのかを聞いてきた。主人公は「だって、書くのも読むのも好きだもん。自分が読みたいのを書いてるだけだよ」「『好き』以上にない」と答える。

 十月三十一日、中村と櫻井と主人公は、津島先生に職員室へと呼び出され、中村は最優秀賞、平野は優秀賞、櫻井は奨励賞を受賞したことを教えられる。

 おめでとうと言われて歓喜したと同時に、後ろめたさをおぼえる。櫻井が取るべきはずの賞を取ってしまった。凡人の好きは天才の努力に劣らなければ、諦めた意味がない。

 授賞式の翌週、櫻井は文芸部をやめた。

 中村は津島先生の村グラを掴んで仔細を問いただすも、首を横に不rばかりで事情を話すことはなかった。

 校内で見かけても声をかけることはなく、接点の部活がなくなったいま、話す理由も意味もなくなってしまった。

 櫻井を思い出しては忘れようとするも、櫻井の姿が鮮明に浮かんでくる。放課後、櫻井を見つけて声をかけ、謝りたかったと話す。

「私なんかの『好き』で、あんたの『努力』を汚しちゃった」「ただ、それだけ。それだけ謝りたかったの」その場を立ち去ろうとすると彼は許さず、彼は自分の話を語りはじめる。

 中学一年生のときから、頭上には中村がいたという。

 どれだけ頑張っても天才には敵わない。高校に進学したら文芸部に入ろうと思って進学したら、中村がいた。

 天才には敵わないと思っていた高二で、自分たちがボンジンと呼んでいた主人公が櫻井の頭上にきたのだ。

 いつしか中村の友であるために書いていた櫻井は、主人公みたいに描くことが好きではいられなくなったので、文芸部を、小説を書くのを辞めたと答えた。

「君みたいに『好き』でい続けること、それも才能の一つだと思う」「君みたいな人を『天才』と呼ぶんだろうな」

 互いに、またねと手を振って別れたが、またがいつなのか、それとも今生の別れとなるのかはわからなかった。

 高三年の夏。一人の文芸部が入部し、最高学年として後輩を指導する立場となり、遠藤さんが部長、主人公が副部長となる。櫻井が辞めてからの中村の手綱を、遠藤が握っていた。

 中村の作品は、まるで神の目で見たものをそのまま書いたような雰囲気があり、感情を押し殺して書いているようにも読めた。

 中村に進路を聞かれ、黛芸術大学の文芸学科に進学して、教員免許を取ろうと考えていることを話すついでに、同じ電車に乗り合わせたときに櫻井と会って、通訳を目指して海外へ留学すると聞いたことを伝える。

 中村は「ふうん」と言って、学科違うけれど親は黛芸術大学の卒業生らしく、才能があるから黛芸術大学文芸学科を受けろと言われたという。学費が安くなるからって俺の意思は無視だぜ、無視」「天才っていうのも、楽じゃない」と笑う。

 櫻井がいなくなってから、思い通りに行かないことに癇癪をおこすようになり、物思いに耽ることが多くなって、表情が大人び、「天才」と呼ばれたとき、何かをごまかすように笑うようになった。

 十月、白眉文学賞の結果は、中村は最優秀賞を、私は奨励賞を受賞した。櫻井の才能を「好き」で潰してしまった自分がいなければ、よかったのだろうか。自分さえいなければ、櫻井の努力は穢されなかったのに。なんで文芸部に入ってしまったのか。なんで、と問いかけながら、結露で濡れた窓ガラスを拭って教室に戻る。

 十一月の文化の日に行われた授賞式会場で、落ち着かない主人公は、中村に「あんまりきょろきょろするな。みっともない」と小声で注意される。高校生部門で中村がスピーチをし、優秀賞の二年男子が喜びを語ったあと、主人公の番がまわってくる。中村が「思ったことを話せ」とアイコンタクトを送ってきたので、うなずいて、思ったことを話し出す。

 麒麟児の話をし、「ここにいる方々は皆、優れた文学的才能の持ち主だと思います。まさに、『麒麟児』だと」いって、麒麟を見たことがあるか問う。「本物ではなく、たとえです。皆さんに、互いに切磋琢磨する友やライバルはいますか?」

 主人公は見たことがあると答え、麒麟の才能に負けるのが怖くて勝負に挑むことすらしなかった。でも、麒麟は道標となるはず。だから、あなたの麒麟を見つけてくださいと語って、スピーチを終えた。

 中村は主人公の平野を「ボンジン」と呼び、平野は中村を「キリンジ」と言い返す。

「私はいつかあんたを超えてやる! あんたが死ぬまで地の果てまで追いかけて、そして追い抜いてやる! 首洗って待ってろ!」「『キリンジ』はいつでも勝つんだろうけど、『ボンジン』だって負けないことはできるんだから!」

 中村はぽかんとした顔の後、「やってみろ!」と笑った。

 ようやくいえた気がして、目の前が晴れるのだった。


 三幕八場の構成で書かれている。

 一幕一場のはじまりは、平野はオープンスクールで文芸誌を見て、同年代にすごい作品を書く人がいることを知り、黛高校文芸部に入るも先輩は卒業しておらず一年生の自分たちだけで部の存続は自分たち次第だと顧問から言われ、先輩に教わり仲間と切磋琢磨して行く部活を思い描いていたのに、裏切られた気持ちに陥る。

 二場の主人公の目的を持つでは、母体である黛芸術大学が主催する白眉文学賞に応募する予定だが、二人の天才、中村と櫻井が最優秀賞と優秀賞をもっていくので、平野は奨励賞受賞を目指す。

 二幕三場の最初の課題では、平野は櫻井に、二人の天才には勝てないから挑むのを諦めたと話す。四場の重い課題では、文化祭の日に白眉文学賞授賞式が行われ、二人の天才だけが出席。平野は入賞できなかった。翌年には、二人の天才に憧れて部員が二人入ってくる。津島先生に赤入れと総評をしてもらっていた平野は、読みたいといった櫻井に読ませる。諦めると行ったのにどうして書くのか聞かれ。好きで書いているだけと答える。

 五場の状況の再整備、転換点では、ニ年の白眉文学賞では中村が最優秀賞、平野が優秀賞、櫻井が奨励賞を受賞する。授賞式の翌週、櫻井は文芸部をやめる。

 六場の最大の課題では、放課後に見かけた櫻井に自分の好きで櫻井の努力を汚したことを謝る。彼は、中学の時から頭上に天才の中村がいて、いつか抜こうと思って高校に進学して文芸部に入ったら、中村がいた。自分たちがボンジンと呼んでいた平野に追い抜かれた後き、天才には敵わないと思い、書くことが好きでいられなくなって辞めたという。別れ際、平野に「君みたいな人を『天才』と呼ぶんだろうな」と言葉を残す。

 三幕七場の最大の課題、どんでん返しでは、櫻井がいなくなってから中村は荒れ、作品は人間味が薄れ、感情を押し殺しているように思えた。そんな彼に進路を聞かれ、黛芸術大学文芸学科に進学して教員免許を取ろうと考えていることを話すついでに、櫻井は通訳を目指して海外へ留学することを伝える。中村の親は黛芸術大学の卒業生らしく、才能があるから黛芸術大学文芸学科を受けろと言われたと笑う。「天才」と呼ばれたとき、何かをごまかすように笑うようになった。

 八場のエピローグでは、白眉文学賞の結果、中村は最優秀賞、平野は奨励賞を受賞。スピーチで平野は、切磋琢磨するライバルの麒麟児がいる人はとても幸せで自分の道標となるので、ぜひ見つけてくださいと語る。麒麟児である中村に、「『キリンジ』はいつでも勝つんだろうけど、『ボンジン』だって負けないことはできるんだから!」と平野は宣戦布告。中村は「やってみろ!」と笑うのだった。


 本作には、大きな謎と小さな謎が書かれている。

 大きな謎とは、オープンスクールでみかけた「膨らみかけた花のつぼみ」。小さな謎は主人公、平野かなえに起こる様々な出来事である。

 名前のわからない花は、退部した櫻井と再会したあと、「あの花は根腐れを起こして、枯れてしまったのだという」と書かれたあと、「あの花があった場所には、別の芽が顔を出している。――花の名前なんか、なんで知りたいと思ったのだろう。わからない」と登場するも、結局名前はわからずじまい。

 ただし、わからないことから、なぜ自分が受賞したのか、なぜ文芸部に入ってしまったのか、と自問をくり返す小さな謎へとつながっている。

 何気ないものを象徴として意味をもたせ、二つの謎が合わさり、最後は解けて花開く。実にいい構成である。


 また、本作品は、カクヨム甲子園に参加する高校生に向けて書かれたものだと推測する。

 カクヨム甲子園に参加している人なら、自分の作品を書いては他人の作品をも読んでいる。

 読むのも書くのも好きなはず。

 そんな主人公であるボンジンの彼女を通して、二人の異なる天才とともに、小説文学賞受賞を目指していく姿を描かれた本作。

 まさに、カクヨム甲子園に参加する高校生を読者として、意識して書かれたに違いない。

 誰に読んでもらいたいのかを意識して作られているところも、感服する。


 高校を選ぶオープンスクールは、夏休みに行われることが多い。が、八月の終盤になって「この高校に行きたい」と思っても受験勉強に間に合わない。

 できれば中二までに、少なくとも数校の文化祭や説明会に足を運んで志望校をぼんやりと決めておくのがいいとされる。

 これらから類推して、主人公は中学ニ年の文化祭に、黛高校を訪れたと考える。


 書き出しは、主人公の心情から始まっている。

「同年代にこんな小説を書く人がいるのか」

 黛高校文芸部が出している文芸部誌なので、卒業していく文芸部員の先輩が書いた小説を読んで、衝撃を受けたのだとおもう。

 主人公としては、この人と同じ部活に入って、教えてもらいながら切磋琢磨していけたらいいなと夢見たわけである。

 しかし、進学して入部したら、文芸部員は全員卒業しておらず、入部してきた一年生の自分たちだけ。

「騙されたっ」

 と、机を叩いてしまう気持はよくわかる。

 津島先生、ぜったい知っていたはず。知ってて黙っているのである。入部してこないと文芸部は廃部。顧問をしている津島先生としても、なんとかしようと思っていたに違いない。


 小説の二人の天才、中村と櫻井が登場している。

「中村は情景を美しく描写する。一見すると人間味がないように感じられるほど、中村の描き出す情景は神秘的かつ美麗で、私たち俗人には思いつかない瀟洒な表現がなされていた」

「櫻井は人間の心情を生き生きと描き出す。喜怒哀楽のようにはっきりとした感情から、誰もが持っていながら誰も名前を知らない、ぼんやりとした情緒的なものまで、櫻井の手にかかれば、あっという間に言葉として飲み込めるようになる」

 読者としては、説明ではなく、二人がどんな文章を書いているのかを描いてほしかった。

 自他共天才と言われ、受賞している彼らの文章に興味が湧く。

 そんな文章を、作者自身が描きわえるのが難しかった、あるいは応募規定文字数から考えて割愛したと考える。


 個人的には、遠藤さんが気になる。

 作品を読んで批評し、のちに校正もしている。こういう人と仲良くなりたい。彼女の進路も非常に気になったのだけれども、描かれていなかった。


 白眉文学賞のネーミングが面白い。

「学園の前身となった学校の名前から、私たちの高校は『ハクビ』と呼ばれている」

 神白学園黛芸術大学付属高等学校の神白学園の前身の名がハクビだったらしい。神白の白はその名残かしらん。

「わが校の母体、黛芸術大学(通称「マユ芸」)が主催する文学賞」

 マユ芸、つまり眉毛であり白眉につながる。

 

「オレ、中村先輩の白眉文学賞の受賞作を読んで、『この人、同年代なのにすごい小説を書くなあ』って思って、憧れて、それで志望校をここにしたんですよね」

「ボクも、櫻井先輩の受賞作を読んで、『こういう作品を書く人はどういう人なんだろう』とは思いましたね」

 こんなふうに後輩に言われて、憧れられた二人は、気持ちが良かったと思うし、反対に受賞もできず憧れても貰えない主人公は、肩身が狭かっただろう。


 ホームページには記載されていないけど毎回入賞している話をしているときの中村が、櫻井もすごいと話しているときの様子から、中村にとって櫻井は、ライバルであり友であり、主人口の言葉を借りるなら、道標となる麒麟児と認めていたのだろう。

 だから、櫻井が辞めたとき、荒れるのはよくわかる。

 進むべき道を見失った。

 その状況を打開するには、独自の才能を発揮しながら、櫻井から得た影響の両方を活かして状況を打開したからこそ、高校三年生のときの白眉文学賞で最優秀賞を取る。

 主人公も含めて、中村を天才というが、彼は彼なりに相当の努力と研鑽を積んで独自の才能を掴み取ったのだ。

 天才だけで片付けてはいけない。

 彼の才能はもちろん、努力も正しく評価するべきだろう。

 親に「おまえは才能があるんだから、ここに進学しろってさ」といわれたとあるけど、親も中村の努力を見ていないのだろう。

 ひょっとすると、主人公も中村の努力をまだ見ていないのかもれない。

 きっと、中村を追い越そうと追いかけていた櫻井だけが、中村の才能だけでなく努力も認めてくれていたから、中村にとって櫻井はかけがえのない友だったのだと推測する。


 主人公が辞めた櫻井を、「忘れようとする。忘れよう、忘れようと考えるたび、頭の中の櫻井の姿は明瞭になっていく。それは、まるで恋だった。違うとわかっていても、否定はし切れない」アイスコーヒーを一口飲んで「――だけど、恋ではないはずなのだ」と念を押すところから、主人公の優しさをみた気がする。


 彼女彼らが書いていた作品がどのようなものなのかは、本作では詳しく書かれていないのでわからない。が、学園が催している文学賞なので、娯楽用に書かれた小説とは考えにくい。

 現代ドラマやSF、ファンタジーなどのジャンルを用いた私小説かもしれない。

 作品には、作家の性格や内面が、意識無意識に関わらず現れる。

 主張や思想のある作品は、性格のきつい人間のようなもので、読む行為は、きつい性格の人間と付き合うことと同じである。

 すべてを受け入れなければ相手を理解できないため、読者には優しさ、寛容さが求められる。

 主人公は、読むことも書くことも好きだと言っている。

 櫻井の書いた作品も読んでいるだろう。

 リアルはもちろん作品を通してでも彼を知り、優しく接してきたのだから、櫻井に対する優しさのかけらを獲得しているはず。

 恋に似た感情を抱いていても、決しておかしくない。

 

 二人が「またね」と口にして別れた後、「また、がいつ来るのかもわからない。卒業するまでにあるか、それとも今日が今生の別れになるか。そんな妄想が頭をよぎる」「『また』の機会をつくる勇気は、臆病な私に阻まれて、はっきりとしないまま夕暮れの中へ消えていった」から、わかりあえた二人はもうこれっきり会えないのかと心配したのだけれども、電車で乗り合わせたときに進路をどうするのか聞いた話が書かれており、意外にはやく、あっさりと再会できてよかった。


 主人公が櫻井に、「書くのも読むのも好きだもん。自分がのが好きなを書いてるだけだよ」と答えたとき、孔子の「子曰く、之を知る者は之を好むものに如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」を思い出す。

「物事をよく知っているという人は、そのことを好きな人にはかなわない。また、それがいくら好きであっても、それを楽しんでいる人にはかなわない」という意味。

 好きこそものの上手なれということわざもある。

 いつの間にか、中村のために小説を書いていた櫻井が彼女に追い抜かれた理由がここにあると思う。


 主人公が麒麟児の話をしている。

 また、最後に中村に「『キリンジ』はいつでも勝つんだろうけど、『ボンジン』だって負けないことはできるんだから!」と宣戦布告しているのを読んで、「史記」淮陰侯伝の「騏驥の跼躅は駑馬の安歩に如かず」が浮かぶ。

 優秀な人でも怠ければ、凡人でも努力し続ける人にはかなわないという意味である。

 ほかにも、「麒麟も老いては駑馬に劣る」が浮かぶ。

 ボンジンである主人公が麒麟に勝つことだってあるのだ。


 読後、だからこんなタイトルなのかと合点がいった。

 タイトルだけでは、どんな話になるのかも想像できなかった。

 名前の分からない花は、文化祭が行われる秋に咲く花で、退部した櫻井と再会したころに「あの花は根腐れを起こして、枯れてしまったのだという」と対になるような書き方をしていることから想像して、十月から十一月にかけて花を咲かせる「フユザクラ」「ジュウガツザクラ」などと推測する。

 

 

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