第8話


 お義父様がパチンっと指を鳴らすだけで、ぐちゃぐちゃになっていた部屋は元に戻り、私の傷も治った。


 シディルはゆっくりと瞼を上げ、私と目が合うと小首を傾げる。


「だぁれ?」


 え。


 キラキラとし純粋なルビーの瞳が射抜いてきて、揶揄われている様子は全く無い。

 中身も子供時代に戻ってしまったのだろうか。


 固まっていると、慌てた様子で現れたお義母様が私の胸の中にいるシディルを見て、顔面蒼白になった。


「外も雷であちこち穴があいているし、土砂崩れどころか、城下町までボロボロになってたわ…。しかも、シディルまでこんな」


「ままー」


 お義母様へと手を伸ばすシディルに、お義母様は一瞬驚いたように動きを止めたが、両手で顔を覆いのけぞった。


「ママって呼ばれるなんて何年振り!? ぐっ、かわいい…っ」


「暴走した後、幼児退行して記憶もないみたいで…私のこともわからなくなってて」


 シディルをお義母様に渡すと、安心したように擦り寄る姿に、少し胸が痛む。


 ほんとに、私のこと覚えてないんだなぁ。



 お義母様とお義父様は翌日から事態の収拾や人間の国の状況把握の為、出かけてしまったので、シディルの世話は私に託された。


 自分で歩けるはずなのに、シディルはどうやら抱っこが好きらしく、抱えたまま城内あちこちを歩かされている。


「フィン、あっち、あっち!」


 言われるまま、あっちへこっちへ…さっきから長い廊下を往復してるんだけど、どこへ行きたいんだろう。意味はないのか。

 きゃっきゃっと楽しそうだし。


 シディルは窓ガラスに丸いほっぺをくっつけて中庭を覗き込んだ。


「お外、行ってみる?」


 うんっと頷く満面の笑みの幼児にも、犬耳と尻尾が見え、可愛らしさに胸がぎゅんっと締め付けられる。


 今ならシディルの言うこと、何でも聞いちゃいそう。



 様々な花が咲き誇る中庭に来ると、シディルは走り出してしまった。


 シディルが蕾に触れると花が咲き、足元からは芽が出てきて、これも魔法だろうかと驚いていると、彼が駆け戻って抱きついて来る。


「おはな、きれいでだいすきなの」


 それは初耳だった。


 蕾と花が入り乱れていたはずの庭が、シディルの魔法によって満開となっていた。


 小さな手が辺りを見渡す私の髪を取り、匂いをかぐ。その姿は、シディルが何度か見せた王子様のような仕草と同じで、ドキリとした。


「フィンのかみもきれいで、だいすきだよ」


 幼子のはずなのに艶やかに笑うシディルが、大人の彼と重なって、目を見開く。

 そんな私に構わず、シディルは抱っこを強請ってきた。


 抱き上げてやると、子供らしく楽しげに頬を赤らめていた。


「私もシディルが大好きだよぉ」


 たまらず強く抱きしめると、私の頬へほっぺをくっつけてくれ、子供体温と柔らかさに癒される。



 外で走り回って満足したシディルを再び抱き抱える頃には、あたりはオレンジ色になり肌寒くなってきた。


 自室に戻ると、お義父様がパッと現れて少し飛び跳ねてしまった。せめて扉から入ってきてほしい。


「暴走した魔王についての過去の文献を読んできたんだが、シディルは魔力を大量放出したことによって、一時的に幼児となっているらしい。すぐに戻る。安心しなさい」


 そうですかと答え肩を撫で下ろすと、今度はお義母様が部屋へ入ってきた。

 ツカツカと早足でお義父様に近づき、胸倉を掴んで振り回し始める。


「安心できないわ! 人間の国の城で勇者を中心に魔王討伐隊が召集されてるの!! 国を滅ぼしたわけでもないのに、どういうことなの!?」


 ブンブンと前後に振られているのに、お義父様は平然と受け止めていて、慣れている様子だ。


「滅ぼしかけたから勇者が目覚めたんだろう。文献によると魔王が幼児化して弱った所を倒しにきていたようだ。今回は現魔王である私がいる。シディルが倒されることはない」


「貴方は楽観的だから信用ならないのよ! もしシディルも貴方もいなくなったりしたら、私が国を滅ぼしてやる」


「そうなれば君は私の為に泣いてくれるのだろうか。それはそれで見てみたい」


「貴方が死んでたら私の泣き顔なんて見れないでしょ!!」


 私は一体何を見せられているんだろう。


 お義父様は首を絞められているというのにお義母様をうっとりと見つめているし、私に抱かれているシディルはぽけっとそれを眺めているだけだ。


 よくある光景なのだろうか、緊張感が全くない。


 確かに、お義父様が万全の状態でいるし魔力の強い魔女であるお義母様だっている。人間の勇者くらい、どうとでもなりそうだ。


 心強いなぁ。

 だけど、私は魔法も使えない出来損ないの魔女だし、役に立てない。



 せめて人の手でも出来る事をと、雑用をこなしながら、相変わらず幼いシディルの世話をして早3日。

 

 勇者御一行は魔王城へと迫ってきていると、森に住む魔物たちから報告を受けていて、今日には辿り着く予定だそうだ。


 自室でシディルを抱きしめる腕を強めてしまう。


 お義父様もお義母様もいるし、魔物たちも護衛してくれてる。

 シディルが倒されることなんてない。


「フィン、だいじょうぶ?」


 血の気が引いているであろう私の頬へ、小さな手のひらが添えられる。

 ハの字になっているシディルの眉をそっとなぞり笑いかけるが、不安げに揺れる瞳は変わらず射抜いてきた。


 私が怖がっていたら、幼いシディルはもっと不安だろうな。


「大丈夫だよ。みんなが守ってくれるから、平気」


「ぼくだって、フィンをまもれるよ!」


 シディルは仁王立ちして、手のひらから小さな炎を出し、えっへんと胸を張っている。

 その姿が愛らしく、気が抜けるようにクスクスと笑ってしまった。


「ありがとう、シディル」


 丸い小さな頭を撫でてやると同時に、玄関の方から大きな破壊音が轟き、咄嗟にシディルを抱きしめる。


 きっと、勇者だ。


 再び大きな音と振動が部屋を揺らす。


「ぱぱのまりょくと、しらないちからがぶつかってる。ぼくも、たたかいにいく!!」


 私の手を思い切り振り払い、部屋を飛び出していくシディルを慌てて追いかける。


 今の彼では、戦いの中では足手まといになってしまう。むしろ邪魔だからと、広間から遠い自室へ押し込まれたのだ。

 それに、自室にはお義母様に防御魔法をかけてもらっている。


 連れ戻さないと。


 シディルが開いた扉の先、廊下にはすでにシディルの姿は無かった。


「まさか、転移魔法を使ったの…?」


 ということは、広間にそのまま行ってしまったのでは。


 サァッと血の気が引く。


 シディルが、勇者に倒されてしまう。


 そう思ったら、考える間もなく広間へと駆け出した。


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