第43話 覇王への道

〇覇王への道

「ぎゃあああ」

 一瞬で苗は燃え上がった。八太夫は、慌てて自分の着物を脱ぎ、地下水の溜まりに浸すと、のた打ち回る苗の体に掛け、火を消す。洞内に瑞雲の笑い声が響いた。

「はぁーはっはっはっはっ!我が雷撃、『死中求活』は、強弱自在、威力も領内隅々まで百発百中!それを支える原料は、丿紫丸様より授かり、我が体内にて日々鍛錬の沸魄散!!沸魄散は、我が身中にあり!!!!」

 数名の使者が、永村を支え、後ろに引き下がった。

「さあ、お開きでござる。来た道をお戻りくだされい」

 瑞雲の高慢な大声が響いた。

 司千勝は雷撃が始まる前には、姿を消していた。万が一、瑞雲が無差別に死中求活を発した時への備えだった。

 司家用人の案内で使者たちは、無言で石段を戻っていった。言わば、死中求活という無敵・無数の大砲、鉄砲隊に狙われているようなものだ。一人ひとり、極度の緊張の面持ちで瑞雲に会釈をして、背中を向ける。


 祭壇から、「田代」と瑞雲が声を掛け、一言二言命じた。田代は、両肩を抱えられて歩いている永村忠進に声をかけ、本日の悔やみとそして恥をかかせたことについて深く詫びた。また、改めて小林家に挨拶に伺うことを約した。

 瑞雲は灰斎服にいくつかを命じて、祭壇を下りた。


〇絶体絶命

 用人の随伴で使者が出口に向かって石段を上がっていく。八太夫は、何度か地下水に浸した着物でかすかに痙攣する苗をくるみ、侍の列が終わるのを待っている。稀も頬かむりの手拭いを解き、水で絞って苗の顔を何度も拭った。二人の様子を忠厚と梅本が見守っている。忠厚は、こちらに向かってくる瑞雲に気づき、緊張を高めた。一方、梅本は、八太夫や稀の様子から、自分も苗の介抱を手伝えないものか思案していたが、

「うっ!お、お主!」と小さな声をあげた。

 ふんどし姿の八太夫の両足太腿に丸い矢傷と思われる痕跡がくっきりと残っていたのだ。八太夫は、梅本の方を振り向き、その視線から、自分の正体が露見したと知り、「しまった」という顔をした。

「その表情!間違いない!お主!」と、刀の鞘に手をかけた瞬間、背後に、瑞雲の声がした。

「おおっ、これは、伊藤殿、梅本殿」

 瑞雲は、歪んだ笑顔を向けて、二人に対峙した。瑞雲は、自分を捕縛した忠厚らに深い怒りを持っている。また、あからさまに実力を見せつけ、身分も追い越したことを心から愉快に感じていた。今、この場で、どのように二人を弄び、貶めるかといった嗜虐心(相手に苦痛を与えることに喜びを感じる心)を沸き立たせた。忠厚は、激しい威圧感にじりっと後ずさる。だが、梅本は、そんな自分にほぼ背中を向けて、刀の鞘に手をかけているのだ。訝しい顔で瑞雲は、梅本の視線の先を見た。

 そこには、ほぼ全裸で苗をかばって跪き、こちらを見上げる六(八太夫)がいた。

 半呼吸置いて、瑞雲も両足太腿の矢傷に気づいた。この傷は、老猟師との戦いで、ここにいる梅本から受けた傷に間違いなかった。

「や!やはりお前は山猟師!!傷痕…、その体…、それは沸魄散、沸魄散を使いおったな!!」

 ただ瑞雲は、本来の万障沸魄散に老人が若返るほどの威力があることなど思いもよらない。

「山猟師!お前はどんな妖術を使ってそのような姿になった!!」

 瑞雲の声が雷のように洞内に響き、身体に浮き出た血管が明るい紫色に不気味に輝いた。

「お前には、これまでの礼もたっぷりとせねばならん。そうだ。徹底的に痛めつけて、十寸が嗅ぎつけてくれば好都合。おびき寄せた上で思い知らせてくれるわ!」

 再び、瑞雲は、両腕で拳を握り、ゆっくりと両腕を擦り合わせる所作に入った。八太夫は、苗をかばった状態では逃げようがない。また、忠厚、梅本も、太刀を抜けば、刀をめがけて「死中求活」が炸裂する。ただ、じりじりと稀をかばって後ずさりするしかなかった。


〇決意の行動

 その時、瑞雲の目前に意を決した稀が飛び出し、立ちはだかった。

「あ、兄上!!!」

燭台のわずかな灯と遠い篝火の中で、それは、ただのやせ細った小者そのものに見えた。片手で払い飛ばしてしまおうとした瑞雲の手が寸前で止まる。

「ま、稀!」

 思わず、瑞雲は数歩退いた。

「な、なぜこんなところに……、なぜそのような恰好をしているのだ!」

 少しうろたえた瑞雲からは、後ろめたく、また、妹を気に掛ける兄の素顔が垣間見られた。

「旅の途中で出会った、伊藤様、梅本様に助けられ、お社で兄上が悪鬼魔物になってしまったと聞きました。往来止めを抜けてでも、ことの真偽を確かめねばと、小者の姿に身をやつし、ここまでやってまいりました。兄上!稀はこの目で魔物の姿、確かめましてございます!」

 稀は、強い眼差しで瑞雲を睨みながら、ぼろぼろと玉の涙をこぼした。

 瑞雲は、心の中にわずかながらに残っていた良心が稀によって目覚めたのかも知れない。よろりと後ずさりすると俯きがちに目を逸らした。

「わ、私とて自ら望んでこのような姿になったのではない」

「何を!何をいまさら!!」

 稀は、更に詰め寄った。瑞雲は更に二、三歩退き、頭を抱えながら、司家に捕縛され、白洲で吟味を受け、そこで、突然これまでの苦労が全て報われるかのような高い評価を受け、司家に仕官が叶ったことを語った。その時、沸魄散を持って急ぎ母娘のみでこの地に来るように促す書状を書かされたことも、途切れ途切れに語った。

「伊藤様、梅本様。今のうちにお逃げなされ。この者も、どうかお願いもうします」と、八太夫が囁く。

「う、うむ。い、今じゃ。それ」

 忠厚と梅本は、戸板代わりに着物の前後両端を持ち、苗を抱え上げ、石段を駆け上がった。

「ちっ!」と瑞雲は舌を鳴らした。梅本らの背中に目が行くが、すぐに、稀がもう一歩詰め寄ってきた。

「それでは、あの書状は兄上本心から書いたものではないのですね!」

「そ、そうだ。厳しい取り調べの後、手の平を返したように仕官が叶い、その後は下にも置かぬもてなしよう、『坊城家宛の召し抱えの書状と一対をなすもの』として『沸魄散を持ち、家族をこちらに呼び寄せる書状』を仕上げ、その場で、坊城家に向けて書状が送られていったのだ」

 瑞雲は、語るに従って、自分が司千勝の甘言に踊らされ、浮かれて、家族と沸魄散を呼んでしまったことに気付いた。沸々と怒りがこみあげてくる。稀はさらに話の続きを促した。

「沸魄散は、当家の決して失くしてはならない唯一の家宝。ご自身で宇治に戻るなどお考えにならなかったのですか!」

「う!…言うな!あの場は、書状の取り交わしの後、殿自らが我が仕官をお慶び下さる宴、酒や料理も溢れるほど。ところが…、ああ、そうだ突然朦朧として……、気が付けば、全身を縛られ、この亜宮殿で、陰の壺の真上に吊るされていたのだ!!」

 八太夫も、稀の少し後ろからついてきていた。

「あ、兄上、それでは、甘言と酒食で誑かされたのでは!な、なんと嘆かわしい!!」

 稀の中では、兄瑞雲が魔物に変わってしまったという事実を受け止め、それを責める気持ちと、それを強く否定し、昔と変わらぬ至らぬ兄が存在するのではという少女らしい儚い期待が湧き上がっていた。

 瑞雲は、篝火が残る祭壇に登り、妹に向かって、自分が柱に吊るされ、毒液を注ぎ足されて沸き立つ陰の壺に足先から沈められていった禍々しい様子を語り始めた。


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