第42話 出撃

 亜宮殿の広い洞内の空間では、方々に篝火が焚かれている。また、奥の祭壇も扇形に篝火が配され、祭壇中央に仮り組みされた白木の簡素な屋形と台座を浮かび上がらせている。壇上に上がった司千勝が、挨拶を始めた。やはり陰の壺を見せると言う。次は、その説明役として、瑞雲が祭壇に上がった。一渡りの挨拶の後、祭壇に作りつけられた台座を指差した。小さな屋形には御簾が吊られている。台座の底ではぬらぬらと小さな火が焚かれている。

「陰の壺は、悠久の昔より、朝廷に仕えし我ら司家、丿家にとっての秘中の秘。御披露いたすは、このような山中の当家にお見舞いのお使者をお遣わし下された皆さまとの厚き信頼の証しとご理解下さいませ。それ」

 合図と共に御簾が引かれ、篝火にぬらぬらと鈍く輝く陰の壺が現れた。重い木の蓋を開くと、溶けた鉄と、動物の脂、様々な毒物、薬物が混じった異臭が、洞内に広がってゆく。


「先ずは、お一人ずつ登壇されよ。けっして壺を覗き込んではなりませぬ。壺は人を引き込み、喰い申す。くれぐれも固くお願い申す」

 瑞雲が床几の端の侍を促している。祭壇を下り、離れたところから司千勝が眺めている。


 灰斎服たちが篝火に薪を足した。揺らめいて洞内を照らす炎が、あちこちで小さな火の粉を噴いている。瑞雲に促された侍が、端から祭壇に上がり、ゆっくりと壺の周囲を回って、反対側の端から下りていく。屋形の周りからでは、壺は覗き込めない。次の侍が祭壇に上がる。壺の細かい傷などをじっくり見ながら下りていく。次々と侍が壺を回っていく。

 草履が祭壇を歩く音と衣擦れの音、木が燃えるかすかな音、そして揺らめく影が動いていく。

その時、

「やぁれ辛気臭い」と言って、一人の侍が、ひょいと台座に飛び乗った。小さなどよめきと共に列が止まる。飛び乗った侍が、片足に体重をかけ、小首をかしげて壺を覗き込んだ。瑞雲は唇の端を歪めて笑った。

「なぁんじゃ、鉄が煮えておるだけ…」と、後ろの侍に言いかけたその首が、そのまま不自然なほど、がくりと傾いた。体がそのまま斜めにねじれ、壺の形にそうように背中がべたりといびつな曲線を描いた。

「こ!小林!」

 真後ろにいた侍が、叫ぶ。

 小林と呼ばれた侍は、まるで虚空を見上げるように首をかしげたままで、壺にずるりと引き込まれた。

 突然の出来事にそこにいた侍が全員、一、二歩引き下がると、太刀の鞘に手をかけた。

「がこっ」

 引き込まれた勢いで後頭部が壺の縁にぶつかり、鈍い音をたてた。不気味に首が残ったまま、胴体が引きずり込まれていく。壺の縁に頭と両腕が突き刺さったように並んだ。

「ご一同、下がられよ!」

 頃合いを見計らって瑞雲が大声をあげ、壺に駆け寄った。その間にも、胴体・腰、そして袴に包まれた両足が逆さまになって壺に引き込まれる。小林の叫び声と共に、壺中の溶けた妖鉄が沸騰し、肉を溶かし、強烈な異臭を放った。

 壺に刺さったようになっていた残った左腕と右足が、ずぶずぶと沈んでいく。

「うわああああ」

 数十名の侍が祭壇から飛び降り、刀を振りぬいた。

 入口近くで膝をついていた稀と八太夫も、思わず立ち上がっていた。

「お騒ぎ召さるな!!!これは、魔の壺、陰の壺!!これまで重々説明して参った!くれぐれも壺を覗かぬよう、申し上げた上でのこと!!!刀をお引き下され!!それ、壺に蓋をせよ!」

 灰斎服が、重い蓋を壺の縁に添わせていく。

「さあ、刀をお収めくだされ。当家は呪術の家柄。ここでの我らの警告はくれぐれも重く受け止め、お守りくだされ」

 ゆっくりと、瑞雲が頭を下げる。殺気だった侍たちが一人、また一人と太刀を鞘に収めた。だが、小林と同行だった侍は、刀を中段に構えたまま、再び祭壇に上った。

「い、いや、納得できぬ!拙者、伊賀上野藩永村忠進!このような悪鬼妖怪を、帝や幕府が重用してきたはずがない!このような忌まわしき壺、この場で打ち砕いてみせるわ!!!!」

 この侍の叫びは、この場に居合わせた全員が感じていたものだ。陰の壺の存在と呪殺という威力そのものが人間の敵に感じられた。

「お待ち下され!!陰の壺の威力は絶対!!今、ご覧になった有様もこの呪いの壺の正体でござる。だからこそ、我ら司家、丿家は、領地の欲を持たず、権勢の欲を持たず、ただただこの山中にて、将軍家のお役にたつため、日夜練磨を続け申した!!」

 瑞雲は、この場の全員を相手にしていた。今まさに刃の上を渡らんとする自分にぞくぞくとする快楽を味わっていた。

「この絶対の陰の壺。この場に転がすは簡単至極。されど、この日本を守る唯一絶対の武器を打ち壊す、そんな覚悟はお持ち合わせか!!」

「う…、うぐぅ!」

 侍は呻いた。瑞雲がぶちあげた「日本を守る唯一絶対の武器」と言われれば、その破壊は、この侍の一分を大きく超えている。少し怯んだ姿を見澄まして瑞雲は、更に続けた。

「我らも、この領内、この亜宮殿を守る力は充分備えておる!永村殿と申したな。その身で受けてみられよ!!!」

 言うが早いか、両手で拳を握り、両腕を擦るように右腕を引き絞ると、右腕を突き出した。

「死中求活!!」

 青白い雷光が右腕からほとばしり、瑞雲は、永村の太刀と共に全身を弾き飛ばした。

 永村は、三間ほど飛ばされ、全身が痺れ動けなくなっている。

「はぁっはっはっは!充分に手加減したが、いかがなものか!ご一同、後ろの灰斎服をご覧なされ!!」

 瑞雲は、右手で、亜宮殿の入り口の石段に立っている、梅ヶ枝苗を指差した。

 苗に一同の目が集まる。次の瞬間、瑞雲からはるかに強力な「死中求活」が放たれ、爆音と共に苗を吹き飛ばした。激しい雷撃は、亜宮殿全体を震わせ、司家陣屋を突き抜け、敷地全体が、

「ずうぅぅぅん」と音を立てて振動し、鈍い地鳴り音が響いた。地中を駆け抜けた電気で堀を泳ぐ小魚が水面に跳ねあがり、虫や鳥が一斉に羽ばたいた。


〇出撃

 ソら全員がびくっと震え、一斉に同じ方向を向いた。

「ど、どないしたん」

「あっちから何かが走り抜けていった」

 お袖が立ち上がり、板戸越しに顔を出して周りを見渡す。

「あの人がお使者連れて行った…あ…亜宮殿…のほうやな」

「おじいになんかあったか…」とソが小さな声で言った。

「そ、それて…」と、お袖が不安気な顔を向けた。十寸は、お袖に強い表情を向けた。

「あんな奴に負けへん」

 ソは、両目を閉じて澱に両手を浸けている。

「ず…ずぶずぶずぶ」

 封が、立ち上がりながら澱から、自分用の銛を引き上げた。それは、十寸の銛のおよそ約三倍、三十寸以上(三尺、約一メートル)あり、艶やかに光っている。

「あ、あんたら行ってくれんの……」

「お袖、心配せんといて」

「十寸ちゃん…」

「ソ、逃げる支度…、しといて」

 ソは、黙って頷いた。

 封は、竹徳利に澱を溶き混ぜた水を掬うと、ゴクゴクと飲み込んだ。ぶるっと両胸が豊満になる。勢いよく着物を脱ぐと、銛の尾に自分の指を一本ずつ通して、計五本をずるずると表に引きずり出した。十寸も自分用の銛をまとめると、帯に結わえ付けた。

「十寸」

 封が、左手を差し出す。「おう」と、小さく応えると、一瞬飛嚢を膨らませて、封の手の中に飛び込んだ。

 封と十寸にとって最も戦闘的な準備が整った。十寸は独立して銛を撃つこともできるが、本来封によって高高度まで舞い上がり、封の銛に魂を移し、高精度で目標を撃ち抜くのだ。封に抱かれることで、魂が抜けている間も肉体の安全が担保され、座標から大きく流されずに魂を戻すことができる。封も独自に銛を撃つことはできるが、銛に魂を移すことはできず、高高度から撃つだけに威力は大きいがどうしてもはずれることが多くなる。二人の長所が掛け合わさり、無敵の存在になるのだ。

ソは地に深く根を張り様々な物質を濾しとりつつ、十寸らを放って身を守りながら獲物を獲らせ、養分にする生き物だった。ソが濾しとり、磨きだした銛で封と十寸が獲物を狩る。それこそがソらの生きる形であり、この生き物の生きる手段とさえ言えた。

「き…気いつけて…」とお袖が言おうとした瞬間、

「ドン」

 一気に、封は飛嚢を全開にし、一瞬で消えるように雲の上に消えた。

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