第38話 月代の少女・司一族の陰謀
〇月代の少女
深夜の司領の爆発と丿紫丸の死亡は、この里の納屋の爆発炎上以上の噂になっていた。連続爆発事故と、瑞雲捕縛、同時に流れた丿紫丸の死亡と瑞雲婿入りの噂が、往来止めに繋げた憶測を呼び、代官伊藤一厚らをも動揺させていた。里の者たちは、庄屋離れへの大岩降り、狂少女の出現も、また野鍛冶やお袖が見た生首までが、全て瑞雲という妖山伏によって引き起こされた怪異として、まことしやかに喧伝されていた。
陣屋の表門では、司領に「見舞い」の使者を立て、偵察に行かせることになった。小泉が、表門より出発しようとしている。そこへ、
「お待ち、お待ち下され」と忠厚が、駆け戻ってきた。
「その役目、私にお任せ下され」
忠厚は、父一厚や塩田に以前、「それでは辻褄が合いませぬ」と訴えたことを逆手にどうしても自分がこの目で見極めてきたいのだと直訴した。躊躇する一厚の様子を見て、
「拙者が必ず忠厚様をお守り致します」と梅本も飛び出した。
忠厚は、装束をすぐに整え出発した。途中梅本の家に立ち寄り、梅本も装束を着換える。ほどなく二人の後に小者が現れ、付き従った。三人は、無言のまま歩き始める。
平八と、新たに料理や縫物をするために梅本家に雇い入れられた「初老の女」が見送っている。
三人は、布目川の西側の街道を南進する。道は高い木立ちに隠れるように続いていく。梅本が、俯いて足を止めると、
「…やはり、無茶が過ぎます。どのような危険が待っているか…」と、呟くように言った。
「も、申し訳ございません」
小者は、頬かむりを解くと深く頭を下げた。そこには、月代も青く反り上げた男髷の稀がいた。
「どうしてもこの目で兄を確かめたいのです。あのような山怪の言うことを信じられません」
稀は小さく震えながら、もう一度頬かむりをした。
「ざっくりと懐剣で髪を切り、我らに差し出された時、並々ならぬお覚悟を感じ申した。ただ、女とばれれば我らも含めて召し取られることは必定。その恐れがある万が一の時は、『無礼を働いた小者として切り捨てられる』こともお覚悟なされよ」
忠厚は、静かに言い含めた。ただ、それは稀にだけではなく、梅本にも向けられていた。稀は小さく、
「覚悟の上でございます」と言うと、もう一度深く頭を下げた。
川を渡り、登り坂から国境に近づくと、配下の下役人が立っている。その向こうには、司領側の役人が見えた。
忠厚らは、国境の峠に立った。近づいて来た役人に忠厚は口上を述べる。
「拙者、伊藤家配下、手代の伊藤忠厚と申す。此度の爆発、丿紫丸様を始め多くの方が災難に合われたとのこと、代官伊藤一厚の命を受けて心よりのお見舞いを申し上げたく参った。こちらをお通し願いたい」
役人は往来止めを理由に、日を改めて欲しいと返答したが、忠厚は、
「司家の田代幸盛殿は、当家の納屋が火事の折、翌朝早々にはご主君の書状を携え心厚いお見舞いにお越し下さった。そのご厚情に対し、当家が薄情を持ってお返しするなど、武士の本分に相反することに存ずる。聞けばこの度の往来止め、特に女を厳しく取り締まるとのこと。何卒、我らの面目を保ち、ここはお目こぼし下されませ」
忠厚は、明らかに下の身分の役人に頭を下げて見せた。役人らは恐縮し、道を開けた。
〇司一族の陰謀
国境からのつづら折りの坂道を下ると、狭い盆地状に開けた領地が一望できる。はるか南北朝時代に司一族が入植するまで、ここは多湿な沼地が広がり、蝮などの毒蛇やオオクチナワと呼ばれる大蛇の多い忌地、穢地とされる場所だった。伊藤一族は、既にその時代から現在の柳生藩との境界からここを含む一帯を預かる土豪であったが、この無価値な土地を開拓したいと言う司家に対し、時の御所からの強い取り成しもあって、租税の永年免除を約していた。司領は、この杣を預かる伊藤にとって、領地内にありながら税を徴収できない広大な司家の私有地と言えた。
徳川の治世に入り、各地の代官によるいわゆる「中抜き」は、常に問題になっていた。幕府は、不正などの事実が判明しさえすれば直ちに罷免、任地替えとするなど常に機会を伺っている。その中で伊藤家が現在も代官職を世襲できた理由は、この司家の存在そのものにあった。一切の証拠を残さず、為政者を暗殺する陰の壺の呪力である。
徳川家康は、伊賀攻めによって逃れた忍者を多く匿った。司家も同様に伊賀と長く関わりのあった忍者やその家族を多く受け入れ、一気に人口が膨らんだ時期があった。司領で賄いきれない人口になったことで、再度伊賀者の移動があり、その中で家康は司家を知ることになった。家康が、伊賀者庇護の観点からわずかながら司に援助をしたことから、時の当主司実勝が直々に礼に訪れ、両者は関係を持つことになる。この時初めて家康は、朝廷の持つ秘薬沸魄散と陰の壺を知ることになった。小声で司実勝が、
「わずかばかりの忍びの衆なら加勢をお申し付けくだされ。しかし、当家は上古より帝をお守りし、仇なす敵の首一つを『縊る(くびる)』がお役目、そちらこそ我らが本領…」と述べた時、家康は真意を測りかねていた。そこで、
「わしを仇なす敵の首一つ…、それが取れたら貴家の永年の所領安堵はこの徳川がお引き受けいたす」と小さな見栄の張り合いのような返答をしてしまったのだ。
この返答は、すぐ実現された。天正十年五月二十九日、徳川家康が穴山梅雪とともに堺に入った時、穴山が、
「このようなものを殿宛に持ってきたものがおります」と一通の書状を懐から取り出した。護衛の侍が大勢いる中で、公家風の若い男がすぐ傍らに立ち、
「御無礼仕ります。こちらを家康様へ。司実勝よりの書状でございます」と、渡すと同時に跪き、そのまま消えてしまったというのだ。
家康は、それまで司家のことなど忘れていたが、書状を開き顔色を変えた。そこには、
「月は満ち、御約束通り、三首献上仕る。三日のうちに急ぎお仕度の上、岡崎に戻られる際には、ぜひ我が領にもお立ち寄りくださいませ」と書いてあった。また、岡崎に戻る細かい道についても述べてある。
果たして同年六月二日、本能寺で織田信長が討たれ、家康は、急遽岡崎に逃げかえることになった。
書状には、三首の名前は書かれていない。だが、「仇なる敵の首」という言葉と司実勝の顔が繰り返し家康の脳裏に浮かんでは消えた。書状に書かれている通り、木津川に差し掛かったところで、穴山梅雪と別れる。この直後穴山梅雪は、土一揆に遭遇し絶命する。
家康の伊賀越えは、特に木津川以降の行程に諸説ある。この時、各地に司は影武者を配して目撃者を残し、本物の家康一行は自らの領地に引き込んでいたのだ。
家康は、亜宮殿を案内され、陰の壺をその目で見た。司実勝自ら家康に由緒を語り、兼ねての口約束を書き起こすよう嘆願した。
「我ら無敵の呪力があれど、何千何万の軍勢には一溜りもございませぬ。けしてこの地以上の野心を持たず、ただ一族の安寧を願うのみでございます。帝よりお許し頂いたこの所領の租税免除に加え、永年の所領安堵をお約束下されませ」
「して三首とは」
「織田信長様、穴山梅雪殿、明智光秀殿にございます」
「なんと!」
「武田の後継を欲する穴山殿は自らの生き残りを優先し混乱に乗じて、「徳川家康一行と見せかけて撹乱しましょう」とでも理由をつけて、あえて袂を分かつ道をとった…と見せかけて、実は殿を討たんとしておりました」
「う……うむ……」
「武田領の併呑は織田様にも悲願。此度はやすやすと家康殿を京都に呼び寄せ、明智勢に討たせるお腹づもり」
「そのようなことが…。では、なぜ光秀は織田殿を討ったのだ。この家康をと命じられておれば尚更、は!!」
家康は、自らその答えに気づいた。「光秀は、織田殿とこの家康、二人同時に狙っておったと申すか」
「左様でございます。明智は長らくひそかに武田と通じ、穴山殿が織田・徳川方についた後も、武田再興、その後継に穴山殿をと明智にそそのかされておったのです」
司実勝は、身に寸鉄を帯びず、微動だにせず家康を見上げていた。家康に従う三十余名は、刀に手を掛けたまま固唾を飲んで見守っている。
「先触れの本多殿さえやり過ごせば、後は明智の思うがまま…」
「そんな口先だけの言葉を信用できるものか!」一同はいきり立った。司実勝は少しも慌てず、
「あと半月のうちに明智殿がお亡くなりにならなければ、この首献上つかまつる。何卒先のお願いお聞き届け下されませ」
家康は、伊賀越えを具申した服部半蔵正成に意見を求めた。
「正成、伊賀のこと詳しく承知しておろう。どうじゃ」
「はっ。当家は先代より伊賀を出て、司殿とのご面識はございませんが、伊賀の乱では多くの者が多大なる庇護を受け申したのは事実。今も当地に住まいする者も多いと聞いております。此度の一件、伊賀者の働きかと推察致しまする。また、司殿は、呪詛祈祷を生業として御所に仕えるお家柄となれば、寺社仏閣と似たものと存じます」
家康と一行は、改めて司と従者を見た。脇差もささず、武士としては返って無作法とも言える姿で自分たちの前に並んでいる。正成の言う「神職」がいかにも腑に落ちる言葉だった。
家康は、司の願いを聞き入れ証文を交わした。
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