ソーユーハンズ ☆☆
【ソーユーハンズ】https://kakuyomu.jp/works/16816927861843543744
(総文字数3600字程度)
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あらすじ
使用者の業の重さで利用出来るか出来ないかが決まる呪具を扱う店があるという。使用者の業が重ければ重い程、どんな望みでも叶うという呪具【猿の手】は、業の軽い人間には扱えないという。背負っている業が軽いと一笑に伏された主人公は【猫の手】を借りる事にするが……。
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この物語に出てくる【従業員に支払う給料を作る為に競艇に大金を突っ込んだ社長】にはモデルがいます。今は疎遠になりましたが、私と仕事の付き合いがあった男です。
カイジという漫画の中で、悪役の男が『金は命よりも重いのだ』と言っていましたが、従業員の生活を守る事が出来るのは給料……、つまりは金ですし、競艇で命がけで大金を張った私の知り合いは、それを良く知っているのでしょう。彼の取った選択は手放しで褒められるようなものではありませんけども。そして、幸いにも、彼はその勝負に勝って給料の支払いをする事が出来たそうなのですが。
人は生きてりゃ、それなりに業をどんどん背負っていくのでしょうね。
善き行いをする時もあれば、悪しき行いをする時もあるのが普通の人だと思います。それらのバランスで、人の業というのは軽くなったり重くなったりしてしまうんですかね。どうなんでしょうね。
例えば、タバコの吸殻をポイ捨てする時、【タバコのポイ捨ては悪だ】と思っている人と、【タバコのポイ捨てなど悪でもなんでもない】と思っている人がいたなら、そのポイ捨てという行いで深まる業は前者の方が重いような気がします。
でも、業の総量は後者の方が大きい……そんな気がします。
業という概念は人が作ったものですし、為政者が社会秩序を保つ為に宗教を利用する際なんかにそれを国民に教育したという側面もあるのでしょう。ですから、業を意識するなんて事に意味などないのかも知れません。人間以外の動物が業を背負っているなんて考えにくいですし、業なんてものは人が作ったまやかしなのかも知れません。
だけども、私達は因果応報だとか、業だとか、死後の行き先がそれで決まるだとか、現世利益にもそれらが絡んでくるとか思ってしまいます。
あると思えばある、意識すらしないでいたならそんなものはない。それが業かも知れませんが、人が背負ってしまう業の事を考える人や、そんな事に思いを寄せる事なくナチュラルボーンで日々善行を積んでいるような人が私は好きですね。
あーだこーだと講釈たれて、結局は好き嫌いの話にしてしまう私の業とは如何様なものなんでしょうね。
うだうだと失礼しました。
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それでは聴いてください。
Vaundyで【東京フラッシュ】
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