人生で最も美しい瞬間

 涌田との奇妙な映画鑑賞会は連綿と続いた。週末は一日中映画を見通して過ごすこともあった。それでもきっと涌田は映画が終わって適度に感想を交換すると、「じゃ」と立ち上がって去っていく。シヅルの側はもう、ほかの関わり方にも広がっていい相手だと思っていたものの、口にできずにいた。交友する関係を人と持ちたい人なのか、涌田の感情が読み取れなかった。それが何本目の映画を終えた頃だったか、映画を見せてくれと言い出したのと同じ唐突さで、

「じぶん、一本目で観た映画、タイトルも知らずに見始めたんですよ。それで、昨日の夜きゅうにタイトルの意味が気になって調べたら、『人生で最も美しい瞬間』って。それでなんか、じぶんはそういうの無さそうだなと。そこまで人間関係に深く分け入らなくても、人生済みそうなんですよね。誰かに電話するためだけにキュッとしたヒールを履くような気持ち、一生わからないんだろうなって」

 思わずシヅルは顔を上げた。涌田の表情は、べつに寂しそうでも悲しそうでもなかった。それで、と涌田は続ける。

「こないだのシヅルさんの話を思い出しまして。一人の時間を味わいたいのに周りの目気になるみたいな。似て非なる話かもしれませんけど、『人生で最も美しい瞬間』って、本当にその只中にいたら、そうとは気付けないものなんじゃないかなって。だからまあ、とりあえずふつうに過ごしておけばいっかと」

 一度意識してしまっている感覚を跳ね返す、ということの難儀さをあらためて、シヅルは感じていた。同じ映画をともに観、会話を重ねた時間が、こういう言葉となって返ってくること。涌田の引用した映画のシーンを、シヅルもとびきり鮮明に瞼の裏にのこしていたこと。この瞬間が大切なものになるという確信を、のちから今を振り返る眼ですでに抱いてしまっていた。

「じゃあとりあえず海行かない? 海辺にある昭和のリゾートホテル、気になってたんだよね」

「どこをどうとりあえずしたらそうなるんですか?」

「川で会ったんだし、海までは行くべきかなって」

「めちゃくちゃすぎる謎理論ですね」

「で、どう」

「まあ、いいですよ。どうせならもう一息で夏休みですし、その頃に。あ、そうだ、ちょうど中間発表の時期で、自分そろそろ課題のほうが忙しくなるので、しばらく映画観れないんです」

「じゃあ夏休みのドタマに行くか」

「シヅルさんもそこそこ暇ですよね。まあ、じぶんは問題ないんで」

「予約とか進めていい? アレルギーとかあるっけ」

「返事くらいはできるんで、詳細決めたら共有してもらえると」

「了解、それじゃ今日はここでお開きしよ」

「はい、おやすみなさい」

 玄関まで送って内側から鍵を閉める、いつもの動作。そっと閉めていた錠を、今日は遠慮なくガチャリと降ろして踵を返す。廊下を自室まで戻りながら、さっそくホテルの公式ページを開いてプランをたしかめる。すっかり忘れていたが旅先は温泉地でもある。涌田の性を、開示させるようにはしたくない。少々値が張っても貸し切り風呂が取れる部屋にしよう、とシヅルは決意するのだった。

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