6

 ここは『そういう場所』なのだ。

 掘り進めれば進めるほど、闇が深くなり、しかし土の感触は変わらず、重く両手にのしかかる。オルフェウスが歩いたという黄泉の国への道は、薄暗い洞窟などではなく直下掘りされた縦穴だったんじゃないかとすら思う。

 ゆっくり、確実に土を掘り起こし、投げ入れられたバケツの中へ土を盛る。千葉がバケツを引き上げるたびに土がパラパラと頭へこぼれ落ちるが、文句も言ってられない。いや、文句をつけようものなら自分で掘った穴がそのまま自分の墓穴になるのではないかとも思っていた。それくらいのことはこの男はするんじゃないかと、後ろ向きな信頼感を千葉に対して抱いていた。

 ――流石に依頼主にそんなことはしないか。

 痛みと熱で疲労していく体を紛らわすためにはそんなくだらないことを考えるしかなかった。

 この穴掘りは娯楽じゃない。未来への希望に満ちたタイムカプセルを埋めるわけでもない。これは祈りでも懺悔でもなく、今、そうしないといけないから穴を掘っている。

 未だかつてこんなに場当たり的なことがあっただろうか、と思うものの、そもそも彼女を手に掛けた段階で場当たり的としか言いようがなく、知らずうちに腹から笑いが込み上げてきて、どうしようもなくなった。笑いで腹が震え、手が震え、とうとう姿勢が支えられなくなって、深く掘った穴の底に座り込んでしまった。

 ゲラゲラと笑いながら頭上を見上げれば、顔に真っ黒な影を落とした男がこちらの様子を伺っているのが見えた。千葉の表情はこちらからはわからないが、向こうからすれば私の笑顔が丸見えなのだろうと思うとさらに笑えた。

 いつもそうだ。腹の内を隠したまま私に近寄ってきて、私の無様な姿をじっと眺めている上位者気取りのヤツらめ。全員殺してやればよかったんだ。

 笑いすぎて涙すら込み上げてきた。しかし、泥だらけの手で顔を拭おうものなら悲惨なことになるのはわかっていたため、涙も流しっぱなしに笑ったまま、表情の見えない男の顔を見上げ続けていた。

「アハハハハ……計画性もなくて、アホみたいだと思いませんか……ハハ……しんど……ハーッ、ハハハ……」

「アホかそうじゃないかと言われればアホやろうな」

「ですよね、アハハ……どうせなら私のことバカにしてきたヤツら全員殺せばよかった……」

「せやな」

「……『せやな』って……」

 涙に滲んだ視界では男の輪郭も歪んでいた。その影はやはり人の形には見えず、怨霊や悪魔の類がこちらを見下ろしているようにしか思えない。

 私の言葉を肯定する千葉の返事に笑いも涙も一瞬のうちに引っ込んでしまった。

「アンタも……私のことをバカにする気か」

 千葉の表情は見えない。何を考えているかわからない。こちらの発言に適当に返事をしているとしてもおかしくなかった。どうせ、私はおかしな人間なんだ。この男も私のことを適当に扱っていいとでも思っているんだろう。

 あの時に抱いた怒りが再び腹の底から込み上げてくる感覚がした。そのときだ。

 くっくっ、と男が楽しそうに笑った。

 何かを馬鹿にしているわけでもない、純粋なものだと直感できるほど、自然な笑い声だった。深みのある低い声。この闇を支配するのはこれだと確信した。

「自分、チンピラの素質あるやん」

「へ?」

「コケにされてプライドを傷つけられて激怒して……そこまでは誰でもあることやけど、そこを飛び越えて刺せるんやから大したもんやで」

 男の表情は変わらず見えない。しかしあの彫りの深い整った顔立ちには不釣り合いの柔らかそうな頬に満面の笑みを浮かべているのが何故かわかった。どうして男の笑顔を読み取ることができたのか、自分自身にもわからない。だが、おそらくは闇を支配する男の力なのだろう。非日常の空間で、ろくに働かない思考ではそう考えるしかなかった。

 男の笑顔が頭に浮かぶと、腹に沸き上がった激しい怒りは途端になりを潜めた。涙でぼやけていた視界もいつの間にか鮮明になり、人間の輪郭を持った男の姿を捉えていた。

「チンピラの素質……嬉しくないなあ……絶対成功しない人間でしょ、そんなの」

「成功するとかせえへんとかの問題か? でも、そうやなあ……チンピラはせいぜい鉄砲玉くらいにしかならんやろな。でもシンプルな気持ちを理由にして一線を越えられるのは才能や……原始的な暴力の才能」

「それは……ただの動物じゃないか……」

「人間の群れの中で、ただの動物の本能を振りかざせるのはほんのひと握りやで。それを短所とするか長所とするかは自分次第や」

 男の言葉にすべてが静止した。己の呼吸も、虫の声も、風の音もすべてが止み、悪夢に見る静寂がそこにあった。


「――なんて。喋りすぎてもうたか」

 男が再び口を開いた瞬間、冷たい雫がぽつりと右頬を打つ。生温い涙とは違う、自然の恵みだ。次は左頬に雫が滴り落ちる。やがて所構わず水が降ってくる。周囲にムッとした土と埃の臭いが急に立ち上り、空から降ってくる水は頭部と肩を濡らす。

「うっわ、最悪や! 雨降ってきたやんけ!」

 千葉は怒鳴り声をあげて髪の毛へついた雨粒を払うように首を素早く左右へ振る。そのときにやっと男の顔がライトに照らされ、表情を確認することができた。野生味に溢れた若々しい面立ちが不機嫌に歪んでいる。凄みがあるように見えるが、一方で年齢相応のただの男の表情だと思える部分もあり、千葉恵吾という男の不安定さを感じ取れた。

「そういえば今夜は雨予報でしたね……ここがどこか知りませんけど……」

「雨が降るまでに終わらせる予定やったんや。おしゃべりなんかしてチンタラしてるから濡れてもうたやん!」

「ええ……私のせいですか……?」

「喋ってんとはよ掘れ! 雨で土が重くなってまうで!」

 千葉は容赦なくこちらへ向かって怒鳴りつけ、空のバケツを穴の中へ放り投げてきた。男は本当に怒っているというよりは「これ以上の面倒ごとは勘弁」というような態度だった。

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