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「――彼女だけが、私のそばにいてくれたんですよ。私のことを理解してくれた――そういう思い込みです」

「なんやそれ」

「ある事業を立ち上げようとしてたんです。その金を騙しとられてたっていうよくある話ですよ」

「ふうん……で、その女に惚れてたわけか」

「はい――でも、彼女に騙しとられるのならそれは別に良かったんです。彼女の笑顔は何よりも好きだったので、それが私に向け続けられるのなら……ってね」

「えらい献身的やなあ。相手に男でもおったんか」

「そういうことですね。金をソイツに横流しされていた上に『失敗しちゃったけど、なんとかなるよね?』と言われて……私はまだ使える金蔓だと思われていたみたいで」

「引き際知らへんヤツは詐欺師には向かへんなあ。上手く騙せへんかったんやから、この女が死んでもうたのも自業自得やな」

 私の殺人を肯定するかのような発言に一瞬耳を疑ったが紛れもなく目の前の男が発した言葉だった。男は今にも笑い出しそうな表情で、しかし冷たい瞳でこちらを見下ろしていた。

 冷たい目の中には何も映り込んでいない。その闇の深さは深夜の湖面を思い起こさせる。暗い湖面は何物をも映すし何物をも映さない。その闇の中に彼女の笑顔が浮かび上がったような気がした。

 真っ白で美しい丸い頬に浮かぶ笑顔がこの世の何よりも素晴らしいものだと思っていた。ふんわりと柔らかい髪の毛を揺らして楽しげに微笑みかけられる。それを思い出すと今でも誇らしいような気持ちになる。

 しかし、それが強烈に気持ち悪くて汚いものだと思えた瞬間、彼女は動かないただの肉になっていた。自分でも不思議だが、思い出の中の彼女と肉塊の彼女はまったく別のもののように感じられて、その遺体を持ち運びやすいように加工しているときはただただ嫌悪感しかなかった。それでも彼女の微笑みの原型が残っている顔面に倒錯を覚えかけて、真っ先に頭部を黒い袋で覆い隠した。愛情と嫌悪が交互に顔を覗かせる感覚の得体の知れなさ、不快感。

「――私以外に何もないと思い込ませ続けてくれていたら、私は一緒に破滅することもできたんです」

「へえ……えらいご執心やったわけや」

「私には彼女しかいなかったので」

「でも……人殺してるんやから破滅してるようなもんやん」

「……確かに」

 男はニヤニヤとした表情で車の天井に置いていたボトルを取り、豪快に水を飲む。そして再び車の戸を開くと、後部座席の下からアルミ製と思われるバケツとロープを取り出し、その持ち手にロープの端を頑丈に括り付けた。千葉はそのまま車の下へ屈み込むともう一端をそこへ固く縛る。

 ロープに括られたバケツを乱暴に穴の中へ放り投げると、バケツ内で音が反響して広場に大きな金属音が響いた。  

「じゃ、二十分経ったから作業再開。土引き上げるのくらいは料金内で手伝ったるから、ちゃっちゃと働け」

 千葉の表情は相変わらずのニヤケ面だったが、人に与える畏怖感をその表情が覆い隠しているのかもしれないと思った。

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