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男の分厚い手と自分のひ弱な手の差に少し衝撃を受けながら、自ら作った傾斜をよじ登る。たかが一メートルの高さだが、疲れた体ではそれすら登るのも難しい。どうやってこの深さ・幅の穴を作り出したのか、自分でも不思議なほどだった。必死だったのかもしれないし、無心だったのかもしれない。穴の隣にはこんもりと黒い土が盛られている。それを横目に胴体を土に汚しながら男の足元へ転がった。
夜空は雲におおわれて真っ暗だった。星一つない。車の天井に設置された照明に何匹かの虫が集っている。虫の羽ばたきに白色の光がチラついていた。
微かに黒白と明滅する光に照らされる男の横顔は嫌悪に塗れて顰められている。千葉は私を引き上げた手をスウェットでゴシゴシと拭っていた。
「あんまり地面にゴロゴロすると車の片付け大変やからやめてくれへん?」
「でも……ハァッ、ハァ……しんどくて……」
「まあ、しゃあないか……」
千葉は諦めたように溜息をつくと私を尻目に車の戸を開けてボトルを取り出す。そしてそれを私の頭上に掲げた。
「水。十分後に作業再開な」
「休憩は十分だけ……ですか……」
「二十分でもええけど、このまま寝てまいそうやん、自分」
差し出されたボトルを受け取るが、しばらくは何もできずにただ男を見上げていた。千葉の手にはもう一本ボトルが握られており、その中身を一口飲むと照明の横にボトルを置いた。そして無表情に電子タバコを取り出してカートリッジ部分を咥える。真っ黒な空に白い煙がふわふわと浮かび上がるのを見ていると眠気が誘われる。千葉の言う通りだった。
このまま眠ってしまうわけにはいかないため、地面に貼り付いて動かないかと思うくらい重い体をゆっくり起こし、受け取ったボトルを開栓する。蓋を捻るのも面倒な感覚だった。しかし、一旦そのボトルの水を口の中に含んでしまえば、なんでもない水が絶品の飲料に感じてしまうほど美味しくて、どうしていち早くこの水を飲まなかったのだろうと後悔するほどだった。
男は変わらず煙を吐き出しながら手首につけているデバイスを操作していた。デバイスで何をしているのかわからないが、一時間半以上もそうしているため流石に飽きたのか、大きなあくびをすると涙目でぼやく。
「――暇やなあ」
「……すみません、お金がなくて」
「ほんまやで。料金さえ支払ってくれたら俺も穴掘ったのに……ここも結構な場所やから一時的に離れることもできへんしなあ」
「申し訳ない……」
千葉の恨み言は素直に受け取るしかない。今回は拘束時間の料金も上乗せされているようだが、それでも穴を掘る技術料や重機貸出料に支払うよりは安くつく。
男は未だ無表情で――その端整な顔立ちで無表情で居られると少し恐怖すら覚える――煙を吐き出すとタバコを吸い終えたらしい。電子タバコの本体をウィンドブレーカーのポケットへ入れてなんでもない世間話のように口を開いた。
「この荷物、結構軽めやけど『女』か?」
「あっ、はい、そうですね……」
「ふうん……」
唐突な質問だったのに、千葉の雰囲気があんまりに自然で揺らぎがないため思わず答えてしまった。仕事を依頼した段階で『人間』を処理したいという相談をしてはいたが、詳細について聞かれることはなかったため、こういうことは聞かれないものだと思っていた。千葉自身もあまり他人に興味はなさそうな男だと思っていたが、余程暇を持て余しているらしい。暇つぶしで世間話でもしようということだろう。世間話にしてはあまりに血生臭いような気がする。
「依頼に来た時の感じからすると、共犯もなしでひとりで殺したってところやな?」
「まあ……そうですね」
「衝動的な殺しっぽいし――痴情のもつれ?」
やたらと突っ込んだ質問をしてくるなあと思うが、水を飲んだおかげで疲労感が爽やかなものに変化していたため、もうどうでもよくなっていた。その話題に触れることの忌避感もなく、清々しい。千葉の揺るがない態度も恐怖感と安心感が同居しているようで――自分のことを話してもいいかと思えるくらいだった。
「痴情……どうでしょうか。相手はそんなこと思ってなかったんじゃないですかね」
「妙な言い方すんなあ……じゃ、金銭トラブルか?」
「金銭がメインですかね――私の気持ち的には痴情のもつれの感覚ですけど」
「色恋チラつかせて財布扱いでもされてたんか」
「そういうことになりますかね――いや、わからないな……私が一方的にそう思ってただけかも」
「はあ……?」
納得のいっていない間抜けな声が男の口から漏れる。無表情だったはずの男が怪訝そうな顔でこちらを見つめていた。私を見下ろす綺麗な明るい茶色の瞳。それは心臓を丸裸にするような、剥き出しの本能を表出させるような力があるように思えた。男に覚えた恐怖感の正体がそのまん丸の目の中に見えた気がした。
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