3
掘る範囲を決めて鍬で土を柔らかく解し、解した土を持ち上げる。シャベルだけで掘るよりも工程は増えるが、想像よりも負担が少ない。経験者の言うことには従うものだと思った。
ひたすら土を掘り返していると、車を下りた時には気づかなかった虫の鳴き声や風のさざめきがザクザクと土を突く音に混じって耳に届く。街の喧騒よりも明らかに静かだが、音のすべてが広場に反響している感覚だった。
涼しい気候なのに動き続けているおかげで全身に汗がにじむ。インナーが貼り付き、頭皮も汗で濡れて雫になって頬を伝う。グローブの中も汗まみれで今すぐにでも外したかったが、外せば手が痛くなることもわかっていたため外せない。足元が土に塗れ、スニーカーの中にもたくさん土が入ってきているのが地に足を踏ん張る度に感じられた。足裏も汗で湿って、その土もどろどろと爪先にまとわりつく。
鍬を用いることで負担が軽くなるとはいえ、鉄でできた道具を振るい続けるなんてことは普段はしない。そのために段々と腕がパンパンに張ってくる。肉の中を血が急激に流れる感覚と留まる感覚が同時に襲い来る。すると肩も張り、屈み続けているため腰も痛くなる。道具を手放して伸びをするとなんともいえない気持ち良さがあるが、作業を再開した途端に張りによる熱と痛みが蘇る。伸びをすることによる回復はほんのまやかしでしかない。
腕も背中も腰も痛い。汗と土で気持ち悪い。
――ここ数日、不快なことずくめだな……。
腰を伸ばすと、オフロード車にもたれ掛かりながらデバイスを弄っている男の姿が見えた。その車のトランクには私の荷物が――廃棄すべきゴミが入っている。
まだまだ視界には車が見える。そのくらいまでしか掘れていない。自分の背丈よりも深い穴を掘るにはどれくらい時間がかかるのだろうか。
腰と胸の間くらいの深さまで掘れたところで、頭上から千葉の声が降ってきた。
「ペース悪くないやん」
「――そ、そうですかね……」
「まだ1時間半くらいで一メートルは掘れてるわけやろ。結構広さもあるし。ほんまに初めてなんか?」
「し、失礼な……何度も、ハァ……何度もこんなことがあっても困ります……」
返事をしようとすると思いの外疲弊してることがわかった。言葉を発すると息が詰まる。
自分自身でもここまで動き続けられるとは思っておらず、千葉の言葉に少し驚く。しかし、1時間半動き続けているという事実を認識した途端に一気に疲労感が増す。手に持っているシャベルにもたれ掛かるとしばらく動けない気がした。
「流石に疲れてるみたいやな」
「いや……いや、大丈夫……」
「いっぺん休憩したら? これやるわ」
シャベルにもたれ掛かって項垂れているとその頭にコツンと何かがぶつけられる。落ちてきたものは何かと思い掘り進めた穴を見ると、水色のビニールで包まれた小さな物が落ちていた。拾い上げるとその正体がよりハッキリとわかった。ビニールはくしゃくしゃになっているが開封された様子はない――『塩飴』と印刷されている。
「飴……?」
「運動には水分とミネラルと糖分やろ」
「な、なんでこんなものくれるんですか」
驚いて車の方を見上げると男は堪らずといった様子でケラケラと笑っていた。
「汗と土でぐっちゃぐちゃやなあ。その飴ちゃんはたまたま上着に入っててん……大分前に買ったやつやから俺食べたくないし」
男はウィンドブレーカーのポケットをひっくり返しながらまだ笑っていた。千葉は仲介を受けた時は小洒落たシャツとベストを身につけていたが、今日はウィンドブレーカーとスウェットを身につけていた。その服装は『こういう日』のための物のようだ。以前作業をした時の荷物がそのままポケットに入っていたのだろう。
「……ありがとうございます、水も貰えませんか?」
グローブを外しながら礼を言うと、千葉がこちらに向けて手を差し出してきた。
意図がわからず首を傾げていると千葉が鼻で笑って更にグイッと手を差し伸べる。
「墓穴の中で休憩する気なんか?」
「あ……たしかに……」
千葉はそういうことに拘らない人間だと勝手に思い込んでいたため、男の常識的な部分を意外に感じた。
差し伸べられた手を握ると千葉は一気に顔を顰めて「汗キモッ」と声を上げたが、握った手を離すことはなかった。そして私の身体は力強く地上へ向かって引き上げられた。
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