第29話 ゴットフリートと最も親しい姫君
金糸で花を描いたかのような細やかな絵付けの凝った磁器は、主賓扱いである叔父、ジークマリンゲン大公の献上品である。それに遠く東方の異郷の地から取り寄せた薫り豊かな紅茶を注ぎ、
ジークマリンゲン大公女であるヘンリエッテのピアノが茶会を彩る。ゴットフリートは一つ年下の彼女の演奏を聴いて、柔らかく微笑む。
「音楽好きのドロテア姉上がここにおられれば、とてもお気に召しただろうに。エッテ」
腰の下まで伸ばした亜麻色の巻き髪と、大きな紫色の瞳が美しい、人形のように愛らしいヘンリエッテは、はにかみながら微笑んだ。
ゴットフリートと最も親しい姫君と言われている。だが、彼にとっては幼馴染の従妹以上でもそれ以下でもなかった。
そのヘンリエッテが首を傾げた。
「殿下、レーヴェンタール伯爵夫人はもう離宮をお出になってしまわれたのですか? とてもお優しくて絵画にお詳しい方で、またお話ししたかったのに」
音楽や美術をこよなく愛する無垢な従妹は、彼の強いすすめでアフタヌーンティーに顔を見せていたアガーテをいたく気に入ったようだった。
「まだ離宮にいる。だけれども、やはり不調らしいね」
たぶん、そうなのだろう、とゴットフリートは思った。自分と過ごすことを避けられていると思いたくなかった。
「お話はお聞きしていますわ。お医者さまにはお見せになりましたの?」
「見せた。……去年、子供を失って、体も心も弱っているんだって」
だから、彼女を守りたいんだ、結婚して、とヘンリエッテに言おうかと思った。だが、間をおかずに、同情に表情を曇らす従妹は言った。
「ご自身もお子様を亡くされたのに、お体の悪い奥様を保養地に置いていかれたレーヴェンタール伯は、さぞお辛いでしょうね。伯夫人のために、わたくし、レーヴェンタール伯が早く奥様にお会いになれるようお祈りいたしますわ。殿下は真面目なお方。それまでお可哀想な伯夫人をお守りする騎士をなさるおつもりなのですね」
まだ若い王子は整った眉を寄せた。アガーテの夫はひどいやつなんだぞ、と。二人が早く会えるように祈るんじゃない、と。
「エッテ、何を言って」
「恥ずかしがらないでくださいませ! わたくし、気づいてしまいましたの。殿下は最近見違えるほどお優しくなられましたわ。きっとお優しいレーヴェンタール伯夫人がおそばにいらっしゃるからでしょうね……」
従妹の言葉に、ゴットフリートは頬をほんのり染めた。そうだろうか、と。ヘンリエッテはそれに頬を染める。
「殿下がご夫君のお留守を守る、お優しくてお美しい伯夫人のお静かな暮らしをお守りしたいと考えて当然ですわ。わたくしも同じ気持ちです。殿下のお手伝いをさせていただいてもよろしいかしら?」
何を言いたいのだろう、この従妹は、とゴットフリートの心に渦が巻く。
「……」
ジークマリンゲン大公が茶を喫し、娘のヘンリエッテを少したしなめる。
「エッテ。殿下がお困りではないか。もう少しおとなしく話したら」
「まあ! わたくしを元気に育てたのは、お父様ではございませんこと?」
娘に甘い父の弟はゴットフリートに、「たしなめてください、殿下」と苦笑いをし、続けた。
「そうだ、そんな可愛らしい騎士と女騎士の殿下とエッテにいいことを教えよう。兄陛下がおっしゃっていたのだが、伯はしばらく休暇を取って伯夫人に逢いに一時的に戻って来るそうだ。ちょうど殿下の誕生祝賀と重なってしまうが」
「まあ、素晴らしいお話だわ! 殿下——」
ヘンリエッテの美しい手が、呆然とするゴットフリートの手を包んだ。自分によく似た、だが切れ長な自分とは違い、丸い彼女の紫色の瞳が細められた。
「ねえ? おふたりがよろしく過ごせるように、首都に戻ったら、わたくしたちで何か考えましょうよ。だめですわよ、殿方特有の面倒くさがりをお出しになって、誕生祝賀の催しがあるからとお逃げになられては」
善良な美しい従妹の小さな口を塞ぎたくなった。
——アガーテの夫が戻って来る。
戻って来させてはならない。
ゴットフリートは叔父であるジークマリンゲン大公に
「でも、子供が死んでしまったのに、そばにいてあげない夫など、到底アガーテ……レーヴェンタール伯爵夫人を幸せにできるとも思えない」
「暴走しているね」
叔父は薄い唇に笑みを浮かべた。給仕を遮り、大公自ら第二王子に茶を継ぎ足す。
「僕はね、男には妻を持つ前に、憧憬する女性を持つことは必要だと思っているんだ。男というものはバカな生き物だから、その女性に振り向いて欲しくて背伸びをしたり、紳士としての仕草を頑張って身につけたりする。それは良い事だ。でも、その
豊かに波打つヘンリエッテの亜麻色の髪が揺れた。大公が撫でたからだ。
「本当に愛さなければならない人が出来たとき、彼女の心を傷つけない程度のものではなくてはならない」
ヘンリエッテは無邪気に微笑んだ。ゴットフリートは言葉を失った。叔父はまだ微笑んでいる。
「……十七歳になられる殿下にも、まだ難しい話だったかな?」
「心しておきます。……」
なんとか言葉を絞り出すので精一杯だった。
わかりきっていたことだった。自分は叔父の娘のヘンリエッテとの婚姻を皆から暗に望まれているのだと。そのためにヘンリエッテと友人として育てられ、親しく往来があるのだと。
そして、アガーテは何度かアフタヌーンティーを重ねる中で、それに気づいたのだと。
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