第4章 別荘での逢瀬

第12話 瞳に宿る病的な熱

 ——それにしても、ゴットフリート殿下の別荘って。


 アガーテは寝台から降り、床の上に放置され、ぐしゃぐしゃにされた手紙を、細い指で丁寧に伸ばしていく。

 寝台の近くに置かれた金縁の姿見のおかげで、白く丸い肩がほぼむき出しのままだと気づいた彼女は、近くにあった机に手紙を置く。急いで寝衣ねまきを着直す。

 机の近くにある椅子に座って、エリアスからの手紙を読んだ。近況と、アガーテへの心配がつづられていた。


 ぐしゃぐしゃになっているところを、また手でピンと張る。返事を書かなければと文面を考え始めたその矢先、扉が叩かれた。

 身なりを整え、灰色の紳士服に身を包んでいるゴットフリートだった。


「何を書こうとしていたんだ?」


 彼はまるで妻に対して夫がするように微笑む。

 手紙の返事を書かせて欲しいとは、どうしてもいえなかった。なので、語を省いた。


「手紙を、書こうかと思いまして、その、手紙を書くためのものをお貸しいただければと……」

「手紙? 誰に?」


 王子の紫の瞳が、机の上のエリアスの手紙をすかさず捉える。


「その手紙……」


 その紫水晶のなかに、嵐が巻き起こるのを見た。


「……昨晩は僕の腕のなかにいながら、翌朝は夫に手紙を書く。奔放なひとだ」

「……その」


 

  だが、すぐに王子は笑顔に戻る。


「かまわない。夫への返事を書くがいい。便箋も封筒も、ペンもインクも持って来させよう。そのかわり、聞きたいことがある」

「え?」


 顔を寄せられ、唇を奪われた。自分を刻み込んでゆくかのような深いくちづけを彼から与えられる。


「……んっ」


 アガーテは身体が溶けるように力が抜け、ゴットフリートに寄りかかってしまった。

 そして本当に嬉しそうに彼から囁かれる。


「アガーテ、いけないぞ。朝からこんなに腰を抜かしていては。立ち上がることもできぬか?」


 抱き上げられ、寝台に仰向けに降ろされた。お戯れはおよしください、と叫ぶ。だが、王子は意に介さず、アガーテに触れはじめた。彼女は焦った声を出す。

 

「で、殿下、いまここでは、その、朝でございますから」

「何をふしだらなことを考えているんだ? こんな朝から」

「いえ……」


 アガーテは大きく首を振る。


「アガーテはどうして僕を責めない?」


 ゴットフリートが美しく笑んだ。アガーテの額にそっとくちづけ、愛撫しはじめた。


貴女あなたの夫からの手紙をああいうふうに丸めたのは僕だ。貴女もすぐわかっただろう? でも、貴女は僕をひとことも責めなかった。——つまり、僕と過ごす時間を壊したくないわけだ」

「……」

「夫がいるのに。夫のことを考えながらも、僕と一緒にいるのが嬉しいのか?」

「……お願いですから、こんなお戯れはおよしになって、手紙を書かせてください……」

「嬉しい、と言ってくれない限りは手紙を書かせない」


 彼の激しくなっていく愛撫が、自分を求めている瞳が、激情をほとばしらせる唇が、アガーテの身体に刻みこまれていく。彼女の心は手紙を書くことを求めていたが、身体は、久しぶりの男性の熱情に応えてしまっていた。

 そして、それを理解しえぬほど少年は幼くはなかった、と女は知る。


「そんなに嬉しいのか……」


 ゴットフリートは喜び、彼女をきつく抱きしめて、繰り返し唇に接吻を与えた。弄ばれたアガーテは、力なく小さく頷く。彼は美しく笑みを刷き、征服欲の満たされた目で彼女を見下ろしながら言い放つ。


「手紙を書くがいい。貴女はもう僕のものだ。夫のものではない。夫に対する別れを告げるためにペンをるのであれば、寛容になろうではないか」


 汗でしとどに濡れているアガーテの額の髪をかきわけ、囁く。


「アガーテは本当に可愛い」


 巧みに女性ひとを弄ぶ王子を、ねやの指導などいらないのではないか、とアガーテは見た。

 彼は十六歳の少年とは思えないほど妖艶に笑み、アガーテに視線を合わせる。


「僕は貴女あなたに閨の指導をしてほしいわけではない。言っただろう。貴女の全てを知り尽くしたいし、貴女を幸福にしたいのだ、と。アガーテの心も身体もすべて。そのためなら何だってする。……何だって」

「で……んか?」

「……そう何度も申しているのに、まさか、あんな甘美な夜を昨晩一緒に過ごしていながら、次の朝は、夫に、夫に手紙を書くための筆記用具を僕に求めてくるなんて。ふふっ、貴女は……本当は、淫蕩で奔放で、どうしようもない女性ひとだった……」


 くつくつ笑いながら呟く王子の目をアガーテは見た。彼の瞳はひどく病的な熱を帯びていた。初めて会った時の謹厳そうな瞳とは違う。狂気と妄執を帯びた瞳をしている。

 手首を折られそうなほどきつく握り締められた。


「僕の可愛いアガーテ、僕は嫉妬深いほうだと自覚している。すべきことを早くせよ」


 手首を離されると、彼女は急いで起き上がり、乱れた寝衣ねまきを着直す。

 王子が手を叩くと、使用人が入ってきて、便箋と封筒とペンとインクを銀盆に載せてやってきた。乱れきっているアガーテと着衣一つ乱れていない王子をみても、使用人はまるで壁紙を見ているように表情一つ動かさなかった。

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