002話 逃げてばかり

 王都から村に逃げ帰り15年の月日が流れた。


 俺は故郷のラダ村に帰ってから1度も家の外には出ていない。

 王都での悪評は村にまで伝わっており、肥え太った醜い俺の姿を見た村人たちは、噂が確信に変わったのだろう。

 軽蔑の眼差しをあからさまに向けられた……

 自信や自己肯定感が喪失していたので、引きこもりなるには十分すぎる理由だった。


 だが母のアイシャだけは俺の味方だった。

 悪評は母の耳にも当然届いていただろうに。

 アイシャは微笑んで「お帰り〜。魔王を討伐したんでしょ?私の息子がね〜お母さんはびっくりしたし、誇らしいわ」と言ってくれた。


 それからも外に出ない俺を母は咎めることはなかった。

 常に後ろめたい気持ちはあったがそれに甘えていた。


 母は俺とは違い、人付き合いが上手かったので、俺を軽蔑していた村人たちとも仲良くやっていたようだ。

 そのお陰で村人たちは俺にやいのやいの言ってくることはなかった。

 

 ただ。


 それももう終わりを告げる。

 最後の味方だった唯一の肉親である母アイシャが先日この世を去ったのだ。


「ルノア……貴方ならまたいつでもやり直せるわ。魔王を討伐したのだから自信を持ってね……」


 母アイシャは最後にそう言い残し、ゆっくり息を引き取った。

 母の遺体を前にして、俺は涙を流した。母は最後まで俺を愛してくれた。俺は母に甘えてばかりだった。母に感謝する言葉も、謝罪する言葉も、伝えられなかった。


「母さん、ごめんなさい。こんなバカ息子で……」


 母が亡くなった3日後に葬儀が執り行われた。         

 村人たちが退散し、葬儀が終わったあとも俺はその日、墓前でポツリと立ち尽くしていた。

 

「おい、ルノア……久しぶりだな」

「え?」


 朝日が昇り始めた頃。

 突然、後方から男性に名前を呼ばれる。

 どこか聞き馴染みのある声。

 俺は声の主の方へ、ゆっくり振り返る。


「10数年ぶりだな。お前の顔を見るのは……」

「……ゲイル」


 そこに立っていたのはかつて共に魔族と戦い、魔王を討伐した戦友ゲイルだった。

 40歳を超え中年男性になって少し老けたが、その出で立ち、オーラ、大剣を背負った巨体のフォルムを忘れるわけもない。

 

「まずはアイシャさんのことは残念だ」

「あ、あぁ……」

「生前この村に立ち寄ったとき、俺もエメラルダもリリスも良くして頂いた。葬儀に間に合わず申し訳ない」

「いや、そんな……母さんが亡くなってまだ全然経ってないし。逆になんでこんなに早く……」


 正直ゲイルがここにいる理由なんてどうでもよかった。

 卑屈に目を合わせることなく。

 視点をキョロキョロと泳がせる。

 

「アイシャさんのことは、この村の村長が王都に訪れたときに王城で聞いた。もう永くはないと……」

「そっか……お、お前は王直属の近衛騎士だもんな。タイミングがよかったな……」

「ああ。あと俺はもう騎士団長だ」

「そうなんだ……おめでとう」


 騎士団長か。

 まぁ、そりゃあ当然か。

 勇者と共に魔王を討伐した三英雄の1人だもんな。


「エメラルダとリリスにも、俺の部下からアイシャさんの悲報を伝えるように命じてある。そのうち顔を見せるだろう」

「そうなんだ……」


 かつての戦友たちが母の墓前まできてくれる。普通ならば喜ばしいことなのだろう。

 だが俺はお前らに会いたくない。

 

「「……………」」


 そんな俺の気持ちを容易に察することができたのだろう。2人の間に沈黙が続く。

 ゲイルは目を背ける俺をじっと見つめ、しばらくしたあとに重く口を開いた。


「お前はこの10数年の間でも、何も変わらなかったのだな。欲に溺れたときの醜い姿のままだ」

「………」

「少しは変わっていると期待していたが……アイシャさんが不憫でないらない」

「………」


 俺はゲイルに何も言い返すことが出来なかった。

 まぁ、当然さ。

 俺自身が思っていることを言葉にされただけなのだから。


 肥え太った自分の身体を隠すように肩を狭めて縮こまる。

 隠せるわけもないのは重々承知だ。

 心を守るために自然にとった行動。

 防衛本能みたいなもの。


 その仕草を見たゲイルは腹立たしい感情を抱いたのか、追い打ちをかけるよう、さらに捲し立ててくる。


「お前はこれからどうするんだ? もう誰もお前を守ってはくれないぞ」

「…………」

「魔王討伐という偉業を成したが、誰もお前を認めていない。もう勇者としての名声はない。完全に忘れ去られた存在だ」


 わかってるよそんなこと。

 お前に言われなくたって……


「情けなくないのか? 恥ずかしくないのか? お前は勇者だろ!」


 情けないと思ってるよ。

 恥ずかしいと思ってるよ。

 ああ、勇者だったよ。

 でもそう思えば思うほど身体が鉛のように重くなって動かなくなるんだ。


「黙ってることしかできないのか……言い返すことすら出来なくなったのか?」

「…………」


 ゲイルはしばらく間をおいて、俺に返答を促してくる。

 だが俺からは何も言い出すことはない。

 もう帰ってくれ。


「…………」

「そうか。もういい」

「…………」

「じゃあ最後に問う。騎士団に入る気はないか? 共に戦ってきた俺がお前の強さを1番知っている。お前が本気になればあの頃ように、また輝けるはずだ。一緒に来いルノア!」


 ゲイルは必死に俺に訴えかける。

 どこかでまだ期待してくれていたのだろう。

 最後に彼は手を差し伸べてくれた。


 だけど俺は……


「いや、辞めておくよ」

「そうか。……ならもう何も言うまい。恐らくもう会うこともないだろう」


 そう告げるとゲイルは母の墓前に花束を置き、祈りを捧げたあとは何も言わずにこの場から去っていった。

 一瞬だけ視線をゲイルに向けたが、彼はどこか寂しそうに見えた。

 いや、完全に俺を見放した瞬間だったのかもしれない。


「ああ、本当にダサいな俺……」


 今の俺にはゲイルが眩し過ぎた。

 そんな奴の傍にはいられない。

 1度ドロップアウトした人間にしかわからない感情だろう。

 

「ああ、これからどうするかな……」


 ゲイルの言葉通りだ。

 彼は真実を突き付けてきた。

 もう守ってくれる人間はいない。

 金もない。

 村人ももちろん助けてはくれない。

 このまま家に引きこもっていれば野垂れ死ぬだけだ。生きる為には金を稼がなければならない。


「でもな、それよりもエメラルダとリリスに会いたくない……」


 母の悲報を知った三英雄の残り2人もこの村に来るのだろう。

 彼女たちにもゲイルように醜態を晒すのか?

 また諦められたような表情で去られるのか?

 いや、耐えられない。


「この村を出よう……それしかない」


 情けないかな。

 俺がもう1度外の世界にでる理由はまた逃げ出すことだった。

 昔と同じ。また仲間から逃げたのだ。


 だが。

 これも1つの立派な行動だったのだと。

 情けなくても動けば人生は変わるものなのだと。

 俺にはまだわからない。

 気付けるのはまだまだ先の話し。


 情けない最初のキッカケ……

 

 でもこれが【15年間無職だった元転生勇者の新たなる人生の物語】の始まりである。

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