第2話 隠密

「おんみつ?」


 再び尋ねる充に、俺は人間の姿になっている天狐をちらと見た。

 充以外は、妖怪や鬼の血を引いているため、天狐の変化術を使って姿を変えている。鷹山のふもとにある「葵堂」は、旭村あさひむらの連中が出入りする薬屋だ。そのため、うっかり村の人間が来ても大丈夫なようにしていた。


 茜は元の赤い髪から黒髪へ、褐色の肌も薄橙うすだいだいとなり、瞳の色も深紅から真っ黒になっている。

 俺も白銀の髪を黒くし、犬狼いぬおおかみの血筋だと分かる犬耳ではなく人の耳にして、ついでに背格好と顔立ちも大人の男風にしてある。俺は半妖として五十年近く生きているが、本来の姿が少年なのだ。そのため万一、事情の知らない人間に出くわしても子どもだとあなどられないように大人の姿を借りている。


 しかし天狐は短い黒髪の質素な風体な若者に化けているはずなのに、その顔立ちが元の姿のままということもあってか、名家の子息や息女と見間違いそうな優美さがある。

 天狐は数百年も生きているというのに、本来の姿も老いていないし、美貌びぼうも衰えていない。さすがの俺も彼が規格外のきれいさを持ち合わせているのは分かる。

 だが、この美しさの奥に潜む恐ろしさを知ると、ただ「きれいだ」と感動できるものではないのだが。


 案の定、天狐はにやかな笑みを浮かべ、目で「私に答えさせろ」と訴えていた。

 どうせ、充にいいところを見せたいのだろう。どういう事情なのか、天狐は彼のことをいたく気に入っている。

 俺は内心「はいはい、分かっていますよ」と思いながら、左手を天狐の方に向けた。すると奴は、端正な美しい顔に上品な笑みを浮かべて頷く。


「人間社会のなかで、地位のある奴らを護衛する集団のことだ。隠密はあまり人が寄り付かないところに里を造って生活し、そこで武術を磨いていると聞く。噂では、なかなか強いみたいだよ」

「そうなんだ。桜は物知りだね」


 充が感心したように言うと、天狐は得意げに笑った。


「分からないことは私に聞くといい」

「……」


 呆れて見ていると、「じゃあ聞くけど」と言って茜が不機嫌な様子で横やりを入れた。


「どうして隠密の人間が鬼墨きぼくに関わっている? 鬼墨は操墨そうぼくという術を使うための道具だろ。要は術具じゅつぐ。それも邪道の。邪道の元は陰術。だが隠密は武術で戦う組織なのだろう? 畑違いじゃないか。武術を志す人間が、どうして邪道と関わっているんだ。説明してみろ」

「それは分からない」

「何で」


 あっさり答える天狐に茜が強く尋ねる。しかし彼は「知らないものは知らない」とつんとした態度で答えた。

 茜は、天狐の親友の子だ。しかし、何故か彼は彼女に厳しくする。その理由は分からないが、茜が不憫ふびんなので代わりに説明してやった。


「本当にそれ以上は知らないんだ。だが、隠密がある場所は一か所だけ分かる。そこに行けばもしかすると、何か手掛かりが見つかるかもしれない」

「その前に追い返されるかもしれないけどね」


 天狐はにやりと笑う。

 俺は自分の眉がぴくりと動くのを感じた。余計なことばかり言う奴め。


「どうして」


 聞き返す茜に、彼は「当り前だろう」と言った。


「隠密といっても人間の里だ。お前が人間と鬼との間に生まれた半鬼はんきだと分かれば、戦いになるかもしれない。もしかしたら、陰術か陽術の術者を呼ばれることもあるかも。長い爪に、褐色の肌。それだけではない。瞳は赤い茶色をしていて、髪は目立つほどに赤い色をしている。そんな人間はいないからね」

「最初から天狐の変化術を借りていくつもりだ。今日みたいにしていればいいんだろう?」


 茜は首の後ろで一つに結った長い髪を、背から前に持ってきて見る。見事な黒い色だ。

 しかし、天狐は意地の悪いことを言う。


「どうかな。俗世と隔離された世界にいる奴は、勘が鋭いことが多い。私の妖術を使っても絶対に安全とは言い切れない」


 すると茜はふんと鼻で笑う。


「ということは、天狐の変化術へんげじゅつは、のことも知らぬ者に見破られる程度ってことか。過信したあたしが悪かったよ」


 しかし天狐は意に介さず、余裕綽々よゆうしゃくしゃくの笑みを浮かべた。そんなことをしたらまた面倒になるじゃないか、という俺の気持ちは天狐に通じない。


「あまり偉そうなことを言うと貸してやらぬぞ」

「貸してくれないと言うならこのままで行く」

「馬鹿を申すな。爪はどうする?」

「切る」

「髪は?」

「植物の汁で染める」

「目は?」

「前髪で隠す」

「そういえば耳にも鬼と分かる印があったな?」

「普段通り、髪で隠す」


 茜は桜の問いに即答する。

 俺がげんなりしたした様子でそれを見ていると、充がこちらに視線を向け、手を挙げた。どうやら何かを察してくれたらしい。


「どうした、充?」


 俺が聞くと彼は不思議そうに尋ねた。


「ちょっと聞きたいんだけど、どうして耳を隠す必要があるの?」

「耳の裏に文様があるからさ」


 と、何故か天狐が答える。俺はため息をついた。

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