第3話 耳の裏の文様

「文様……?」


 充は呟きながら茜の方を見る。その視線を受けて、彼女はうっと息を止めるような声を出した後、少し身を引いた。


「……まさか見たいとか言うんじゃないだろうな」

「え、見せてくれるのか?」


 充は好奇心に満ちた目で茜を見る。だが、彼女はふいっと誰もいない方を向いて断った。


「いやだ。見せない」

「いいじゃないか、減るもんじゃないのだから」


 と言ったのは、天狐である。また、こいつは……。

 茜は当然、彼の方を見てえた。


「さっきからうるさい! お前は充に対して甘すぎる!」

「いいのだ。充だから」

「良くない!」


 大声で言い返し、両手で耳を隠す。それを見た充は「いや、そんなに嫌なら無理して見せなくていいよ。ごめん、茜」と急いで謝った。


「いや……、あたしもムキになりすぎた」


 茜は、しゅんとした様子の充を見て落ち着きを取り戻すと、ため息をついて両手を耳から離し、天狐を睨みつけた。当たり前だ。


「なあ、さっきから突っかかってくるが、あたしを見くびるな。寄ってたかってこられても、人間なら力でねじ伏せられる」


 力がないと馬鹿にされたと思って言い返したが、天狐はそれを鼻で笑い、少し怖い笑みを浮かべて言い返した。


「『慈悲じひの赤鬼』の娘がよくもそんなことが言えるな」


 茜は気圧されつつも、短く「何?」と低い声で言う。


「分からないなら話す価値もない。それより隠密の者を力でねじ伏せたら、話など聞いてはくれぬだろうな」

「……ちっ」


 もっともなことを言われ苛立ちを見せる茜に、俺が仕方なく割って入る。


「天狐、それくらいにしておけ。お前何百年生きてるんだよ。それをまだ二十年程度しか生きていない小娘をいじめるな」


 たしなめたが、天狐と茜は同時に言い返した。


「いじめてなどいない」

「いじめられていない!」

「はあ……」


 俺はなんだか頭が痛くなってきた気がして、額に手を当てた。それを察したのか充は天狐に聞いた。


「そういえば、桜の変化術ってどうやって持っていくの?」


 すると奴は素早く切り替えて笑みを浮かべる。


「私の変化術はに仕込むんだよ。緑色の葉に、私の妖力と変化術の術式を入れ込んでおけば、それを口にしたものは一日姿を変えられる」

「一日も持つんだ」


 充が感心すると、また茜が口を挟んだ。


「一日しか持たないんだ。私の兄には一年は持つものを持たせたのに!」


 その瞬間、充は「は?」と目を丸くした。驚くような話があっただろうかと思っていると、彼は「茜、お兄さんがいるの?」と尋ねた。


 俺は「そっち?」と思いながらも、充が茜の兄の存在を知らなかったことが意外だった。仲も良さそうだったし、父親のことや茜自身が鷹山ようざんに来た経緯を語っていたようだったから、知っているものだと思ったのだ。

 しかし茜は話さなかった。何か理由があったのだろうか。


 茜はため息交じりに「まあね」と言う。


「お兄さんの名前は? 茜とは幾つ離れているの?」

「……『あかつき』と書いて『さとる』と言う。年はあたしと六つ違う」


 彼女はさも面倒そうに答えた。

 前言撤回だ。茜が兄のことを話さなかったのは特別理由があったわけじゃなく、「いちいち説明するのが面倒だったんだろうな」と俺は思った。ただでさえ複雑な家庭事情だ。兄のことを話すとさらに説明することが増えるので、聞かれたときにしか話さないのだろうと思った。


「それなら、僕の兄と同じくらいだね。るい兄さんも、それくらいだもの。そういえば、さっき桜が茜のお兄さんに一年は持つ変化術を授けたって言ってなかった?」

「そーだよ。だから不公平だと言っているんだ」

「一年もつとはいっても、鬼の姿に戻るのはいつでも可能だけどね」


 天狐は飄々ひょうひょうとした様子で口を挟む。茜は「ちっ」と舌打ちして、文句を言った。


「ますます不公平だ。一日しかもたないとなると、いつも変化が解けるかを気にしていなくちゃならないんだからな」


 茜の話を聞いていた充が、何かに気づいたようにはっとする。


「あのさ、もしかしてお兄さんも絳祐さんを探しに行っているの?」


 すると茜は短く「ああ」と答える。


「そっか……」


 茜は彼の気持ちを察して「いいんだ、兄が決めたことなんだから」と言った。

 充は優しい。人はもちろん、半鬼にも寄り添える心がある。だが、だからこそあまり重荷を背負わせたくないというのも、友なりの心遣いなのだろう。


「うん……。でも……何とかしたいよね。ねえ、桜、何とかならない?」

「変化術が十八番おはこといっても、私にも限界がある。それに一年持つ変化術の道具は木の板を使うんだが、使えるようになるまでふた月はかかる。だから、今すぐにでも絳祐を探しに行きたいという茜の要望を叶えてやれない」


 充が尋ねると、天狐は申し訳なそうに言った。こういうときばかりおしとやかになりやがって。め付けたが、奴は涼しい顔でなんのそのである。


「……そうならそうと最初からそう言えばいいだろうに」


 俺がぼそりと呟くと天狐は涼やかな笑みをこちらに向ける。だが目が全く笑っていない。本当にこいつがいると話が真っすぐに進まなくて本当に困る。俺はため息をはき出して気を取り直すと、茜に向き合って次のことを提案した。

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