第7話 シャガールは要らないよな

 通勤中だ。電車で手摺りを掴んで揺られているのが気持ち良い。


 今朝はスーパームーンだったので、4時に起きたのだが、曇っていて良く見えなかった。ネットに去年のスーパームーンの凄い写真が溢れていたので、残念だったけど、『来年かな、楽しみが増えた』と思うことにした。


 そう言えば、本社ビルの特別応接室に立派な額に入ったシャガールとマチスの絵が飾られていた。昨日、国土交通省の偉い人と当社の副社長がエコカー減税について意見交換する会議に、部長と一緒に同席させて貰った。その応接室に飾られいたのだが、本物だそうだ。でも、会社に飾って誰が見るのだろう?飾るなら、モナリザの方が良くないか?


 会議で議論が行き詰まった時、目を逸らすと、モナリザが微笑んでいる、何となく癒されそうな気がする。勿論、モナリザなんて買えないが、スクリーンに映せば良い。AIが会議に参加している人たちの表情や、その場の雰囲気を察して、最適な絵や風景、音楽なんかを選んで流すのも良いと思う。ピカソの泣く女、ムンクの叫び、モジリアーニやルノワール、クリムトなんかの肖像画も良いかも知れない、、なんて本当は芸術って良く分かってないか。


 絵の中の微笑みや、涙、叫びって、そんなに良いものだろうか?フランスにいた頃、ルーブル美術館のモナリザとミロのヴィーナスを20回以上見て、好きになろうと努力したが、好きになれなかった。僕はモナリザよりも、ニューヨークのアメリカ自然史博物館の始祖鳥の化石の方に感動してしまう。


 目を瞑って思い浮かぶのも、ありのままの自然の方が多い。そう言えば高校の時、始祖鳥を描いたけど上手く描けなかった。ベニヤ板に白いペンキを塗ってキャンバスを作って、最初にオレンジに塗り潰して、木工用ボンドで砂を貼り付けて、化石を発掘する感覚でカッターで削ってオレンジの骨格を浮かび上がらせて、でも、何で上手く描けなかったんだだろ?描いてる時は凄く楽しかったように思うけど、やっぱり絵にしたら駄目なのかな、まあ、また描けば良いか、って矛盾してる?


 僕が借りているアパートから会社までは徒歩と電車で30分くらい。歩いたり、電車に揺られて、流れる景色を見ながら、とりとめのないことを考えたり、スマホでニュースやTwitter(X)を見たり、生成AIとチャットして過ごす。


 最近、やたらマッチングアプリの広告がポップアップされるけど、恋愛がめんどう臭い僕にとっては煩わしい。ちゃんとトラッキングしろ!と思う。

 いや、出来るならスマートグラス(注)を通して見たもの全てをクラウドで保存して、オープンAIなんかと連携する自分だけのAIアプリに分析させて、毎日の食事、運動、睡眠管理、仕事のアドバイス、服装や旅行計画まで丸ごと提案して貰う方が良いと思う。そうなればターゲット広告なんて要らなくなるし、健全で快適に暮らせる気がする。でも、そんなんで良いのか?そうなったら人って何をするんだ?


 ともかく、シャガールは要らないよな、と思いながら、品川に着いたので電車を降りる。今日も一日頑張ろう!



(注)スマートグラスというよりスマホの眼ですね。記録したり、考えたり、見せたりするものではなく、単純に見るためだけのシンプルな眼鏡です。

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