第6話 グローバル会議(後編)
僕らの事業部の朝はラジオ体操と当社の理念・ビジョン・価値観の復唱から始まる。経理の場合、更に経理心得七ヶ条を復唱する。昭和からの
日本の大企業の場合、企業理念、ビジョン、価値観は似たり寄ったりだ。当社の場合、企業理念は「イノベーションで人々の生活と心を豊かにする」、ビジョンは「売り手良し、買い手良し、世間良しの三方よしで社会に貢献し、最も愛される企業グループになる」、価値観は「自由と創造、共感、多様性の尊重」だ。
学生の頃は素晴らしいと思ったが、何故だろう、毎朝復唱しているのに、仏作って魂入れずと言うか、今は少し虚しく感じてしまう。どちらかと言えば、昭和14年に定められた「経理心得七ヶ条」の方が好きだ。当時の熱い思いがそのまま感じられる。
「経理心得七ヶ条」
一、
二、知らざるを知らずとなす、これ知るなり。過ちて改めざる、これを過ちという。執務は慎重を期すべし。
三、学びて思わざればすなわち
四、故きを
五、五常、仁義礼智信を尊ぶべし。道義に反し利益を追うべからず。義を見て為ざるは勇なきなり。礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。
六、和を以て尊しとなす。人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。円滑に会話・交渉し、関係者の利害を調整すべし。
七、
普通は経理心得七ヶ条を復唱した後、午前9時に来訪者をお迎えする。今回は午前8時半のラジオ体操から、米国と中国の製造会社と販社、シンガポールの調達会社、ロンドンの金融子会社の
「How nice! 経理心得七ヶ条は武士道か?」と米国のシニア・マネジャーが聞いてきたが、「武士道よりも儒教に近い」と中国のシニア・マネジャーが説明してくれた。日本語のまま復唱した「
(注) 外国人とは英語で話していると思って下さい。
***
午前9時、グローバル・ツアー引率用の小旗を掲げて、当事業部の臨海工場の見学に出発するところだ。その前に一つだけ。
「何かあったら『すみません』と言って下さい」
現場では英語を話せない人が多いが、分かんないことがあれば『すみません』って言えば、だいたい通じると説明する。現場に出ると早速役に立った。
「おい、通路の白線は踏まないで!」
「すみません」と、こちらは怪訝な顔で応える。
「分かんないか、あんたらが危ないし、こっちの邪魔になるんだよ」と現場の主任が身振り手振りのボディランゲージで会話する。
「すみません」と、やはり困惑して応える。
それでも、「分かれば良いんだよ」「すみません」で会話が閉じた。
「すみません」は英語では「I'm sorry(謝罪)」と「Thank you(感謝) 」と「Excuse me(依頼)」の三つの意味に分かれるが、日本語では三つの意味を混ぜ合わせて相手を立てる言葉になる。日本人は礼儀正しいとか、何を考えているのか分からないとか言われるが、ファジーなのだと思う。
小中学校の殆どを海外で過ごしたので、僕の理解も足りないと思うが、日本は不思議な国だ。この話しをすると長くなるので、経済性の観点に絞って、自己責任が曖昧なのを、社会がコストを負担して補ったり、変化や個性を嫌う文化が生産性を低下させていないかについて、午後、皆んなで考えたい。
(注)僕らの事業部はEVの車両と駆動モジュールの他、車載ソフトウエアや電池などの主要部品の研究開発と製造を行なっている。開発で重要なのは航続距離や燃費性能の向上だ。そのため車載部品の高性能化や小型・軽量化、電池情報を管理・分析するシステムと電池の劣化を防止する充電方法の研究開発に力を入れている。
当事業部の強みは、EVの中核となる駆動モジュール「eアクスル」の航続距離をソフトウェアによるギア制御で向上させ、eアクスルの小型軽量化と高効率化に成功していることだ。
***
午後の部。其々の会社の組織体制や人員、経理の業務内容、予算の詳細と見通しについて説明して貰い、一旦、休憩。その後がフリー・ディスカッションだ。まずは、日本ってどう思われているのかを知るために、僕から、日本の文化について思うことを説明することにした。
和を以て尊しとなす。日本は良い意味で安全、安心で暮らしやすい。礼儀正しく、茶道のように相手の心に寄り添うおもてなしの文化がある。電車で居眠りしたり、夜中に一人歩きできたり、失くした財布が戻ってくるような国は珍しいし、誇りに思う。
他方、責任の所在が曖昧で、自己責任と言う考えが馴染まない国でもある。何かあれば世の中や誰かのせいにする。例えばマスコミ。政治のせい、会社のせい、学校のせいにして、個人の責任を追求しない。そして、身内を責めないかわりに、勝手なことも許さない。それも和を以て尊しなのかも知れないが、
それは社会の経済性や利便性を低下させているのではないかと思う。自己責任で行動しないから、社会がコストを負担して、人々の安全、安心を確保する。しかも、何かあったら責められるので、安全対策やサービスが過剰になる。また、個性や変化を嫌えばグローバル化やデジタル化から取り残されるように思う。
例えば、◯日空の空港グランドスタッフ。ただ挨拶するためだけのスタッフがずっと立って微笑んでいる。◯Rの改札もそうだ。朝のラッシュ時に、「おはようございます」を繰り返すだけのスタッフが立っている。もっと可哀想なのはワンマンバスの運転手だ。終点の駅で一斉に降りる乗客の一人一人に「ありがとうございました」と早口に言うから、「ありたま、ありたま」とか「あまった、あまった」とか、ただ
ショッピングモールの駐車場誘導員や、工事現場の交通誘導員、駅や商店街でティシュを配ったり、風俗でもないのにカラオケや居酒屋の客引きをする人なんかも要らない気がする。畑を耕したり、ボランティアでゴミ拾いする方が生産的だ。100mに3つある信号や田舎のガードレールも過剰だと思う。
電車のホームドアもそうだ。経済性以前に、白杖をついている人を個々人が見守る社会の方が健全だと思う。視覚障害者の事故が絶えない理由について、海外のマスコミだったら、鉄道会社の安全対策を非難するのではなく、なぜ周りの人たちは障害者から目を逸らして放置するのかを議論すると思う。
会社の話しに戻すと、日本の生産性の低さは中小企業の労働生産性だけでなく、大企業の過剰な安全対策やサービス、経営者のリスク回避、個性や変化を嫌う文化などが原因で、労力が無駄に使われていることも問題だと思う。
例えばITやAI。便利なものは安全でないから、セキュリティや使用制限をかけて使いづらいものにしてしまう。マニュアルもそうだ。利便性よりも責任のがれの観点から作られるから、ちょっとしたことを確認したいだけなのに、最初から最後まで全部読む必要があったり、どうでも良いような詳細まで読まなければならない作りになっていて煩わしい。
成長しない会社の年功序列は不公平だし、優秀な従業員に出来ない人の面倒を見させるのも生産性を下げる要因だ。暇な上司は人を集めて会議をしたがるし、議事録は些細な言葉使いまでチェックして訂正させる。規則とマニュアルが大好きなのもどうかと思う。
規則が厳格すぎて何事にも承認が必要だが、人口構成が
上司が多いのも面倒だ。上司にとって大事なのは聞いてるかいないかで、内容ではない。だから些細なことでも説明しておく必要がある。それに若い人が成長すると困るから、スキルや経験を引き継がなかったり、ポストを与えない人も多い。
過剰サービスも生産性を低下させる要因だ。例えば、お客様のお見送り。タクシーだとタクシーが見えなくなるまで頭を下げている必要がある。エレベーターだとエレベーターの扉が閉まるまで頭を下げてお見送りする。偶に、もう良いかなってお互いに頭を上げると、未だ扉が開いていて
「和」と言うよりも「サボタージュ社会」なのかも知れない。責任の所在を曖昧にして、自分の行動に責任を負わず、個性や変化を嫌う。それを過剰サービスでオブラートに中和しながら、そのコストを会社や社会に負担させて、経済性や生産性を低下させているのではないか、、これが僕の仮説です。
但し、僕は小中学校の殆どを海外で過ごしていたので、日本に対する理解が足りないし、自分が正しいとは思っていないです。まずは、海外からの参加者、日本の同僚の方々に、同意できる点と同意できない点を確認して、それから今後のグローバル化について議論したいと思います。
そう、僕は自分が正しいとは思わない。実際、間違っていることの方が多い。でも言いたいこと言わないで、自分を見失うより、非難された方が良い。間違っていれば反省する、それで良いと思う。
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