第2話 ワークライフバランス

 人に尋ねる前に自分で考えて下さい、と言いたくなるような問い合わせや、意味不明の雑務に追われて、今日も一日が終わった。


 午後5時45分、ちょっと、ひと息つきたい、ってところだったが、岡田課長も一区切りついたみたいで、急激な円安に対する課内の緊急対策会議が始まった。輸入材の値上がりで、業績が悪化しそうなので、各部にコスト削減のノルマを割り当てる会議だ。何を隠そう、僕は事業部の財布を握る経理の主任なのだ。


 残念ながら岡田課長の削減施策には芸がない。各部の経費を一律で5%カットだ。けれど、たかが5%と思ってはいけない。人件費やオフィス・IT関連の賃借料を除けば、経費なんてたかが知れている。その知れた経費で全体の5%をカバーするのだ。

 ほとぼりが冷めるまで国内旅費も交際費もゼロ、海外出張も禁止、開発も、採用も凍結、ということになる。勿論、営業や開発部署は仕事にならないと猛抗議して来る。が、儲からないのに営業なんてしなくて良いでしょ、ない袖は振れません、と丁寧に説明し、お引き取り頂く。そのくせ、市況が好転すると、なぜ売れない、新製品はいつできるんだ、と掌返てのひらがえしで矢の催促をするのだから、ほんとタチが悪い。


「ところで、田代はどうした?」

「定退しました」

「この非常時にか?やはり高杉の部下だな」


 ええ、メダカに餌をやらないと駄目なので帰りました、と喉まで出そうになったが、つい最近、課長に、わめくな、スピッツと暴言を吐いたばかりなので自重じちょうした。

 田代君のメダカは、決まった時間に餌をあげないとストレスを溜めるらしい。逆に、何の躊躇ためらいいもなく、さりげなく田代君は僕たちにストレスを与えている。まあ、僕はそういう田代君が嫌いでない。

 田代君は去年入社した超省エネタイプの若者だ。定時になると、周りがどんなに忙しくしていても、僕は残業しない主義なので、と言って帰宅する。メダカに餌をやること以外に、特に帰宅する理由もないみたいだが、会社として「ワークライフバランス」を奨励している点前、それを否定する理由もないように思うので、僕も彼の好きにさせている。


 おかげで僕も僕なりにワークライフバランスについて考えることができた。もっと自分らしく生きても良い、ということかと思う。家族や恋人、友人と一緒に過ごしたり、スポーツや一人旅行とか好きなことしたり、何かの資格を取ったり、もっとそれ以前に、やりたいことを見つけたりすることなのかと思う。

 会社がすべてだと言えるのは凄いと思う。でも、会社にいたくないという気持ちも良く分かる。何でもそうだが、本当に必要な人は限られていて、普通の人はその他大勢でしかない。だから会社がすべてでなくても良い。十人十色で同じ人など一人もいないから、その人にしか出来ないこと、分からない価値感があると思いたい。


 だからというわけではないが、僕は思うまま、気の向くままに行動しがちだ。田代君のように省エネに生き甲斐を燃やしていないし、つい熱くなってしまうことも多い。けれど似ているところも多い。田代君も僕もKYだし、二人とも馬鹿なんだと思う。

 自分らしく生きたり、好きなことばかりするのって案外、難しいのだ。誰にも褒めて貰えないから、俺って駄目なのかなって思うことも多い。仲間と一緒に騒いだり、皆んなの真似をしてる方がずっと楽しいんじゃないかとも思う。でも仕方ないのだ。


 例えば、僕は絵を描くのが好きだが、余り褒められたことはない。ただ僕が好きなだけだ。子供の頃からそう。僕は出鱈目な絵を好きに描いて満足していたが、大人が褒めるのは、お手本通りに上手に描かれた絵の方だった。だからって真似して描くのはつまらない。結局、皆んなと違って、目を瞑って思い浮かんだものを、好きなように描いてしまう。それが自分らしさだと思うから、どうしようもない。


 幸い、どうしても褒めて貰いたいって思わなかったし、やっぱ俺って駄目だわって笑っていられた。元々、才能なんてなかったと思うけど、なくても平気だったし、今も全然いらない。

 仕事でも、私生活でも、そうだ。僕は自分の好きなことをするだけ、つまり自分が出来ることを一生懸命するだけ。偶々、褒めて貰えることもあるし、我慢できずに周りにあたることもある。それでも、反省したりして、人様に迷惑をかけないように心がけ、その時、自分が出来ることを一生懸命やる。それ以外に能はない。


 別に意味は要らない。恐竜だって偶々、生まれて、突然、いなくなってしまった。偶々で十分だ。

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