第37話 番外編 怪異と古川祥一郎とアオの日常 鬼の居ぬ間に 3

「わかった?帰ろう那由太。せっかく自由になったんだから。好きなご飯奢ってやるぞ」

古川は子供を佐津姫に返そうとしたが、佐津姫は何故か拒んだ。

「葵を頼みます」

「この子、あおいって言うのかー。いや何故僕が?」

押し問答をしていると、那由太の様子がおかしい。

目が赤く光り、身体が筋肉で肥大していく。


「葵。葵光丸から取ったのか。俺は今まで何の為に耐え忍んだんだ。許さん、佐津姫、俺と一緒に来い!」

「止めろ那由太!」

那由太は寄ってきた葵光丸を鋭くなった爪で身体を切り裂き、重い蹴りで後ろへ飛ばした。


「那由太!抑えろ!中の力が異様に膨らんでいる。そのままだと身体が耐えきれないぞ」

「うるさいっ!」

那由太が古川に腕を振るとすざまじい勢いで風が刃物のように飛んできた。


古川は結界を張って手前ギリギリで食い止めたが、その一回で砕け散った。

「親切で言ってやったのに化け物め!」


極限値に近付いている那由太に、更に古川の力を入れたら鬼の身体でも弾け飛ぶかもしれない。その後の惨状を考え、実行するのを躊躇う。


その時、佐津姫は叫んだ。

「止めて!待てなかった私が悪いのです。今まで私の事をそんなに思ってくれていたのですね、ありがとう、那由太。早く連れてって?」

「あ、ああ勿論だ!こんな所、さっさと出よう」


那由太は泣き出した佐津姫を抱えると、外へ向かって歩き出した。

「止めろ那由太!佐津姫が死んでしまう」

葵光丸は奪い返そうと手を伸ばしたが佐津姫はそれを止めた。


「良いのです。佐津姫は那由太と行きます。お世話になりました。葵はあなたの子ですので置いていきます」

「佐津姫!行くな!!」

「御免なさい。私は那由太をずっと待っていた。本当に好いていたのは那由太です。こんな私を迎えに来てくれたのに今更見捨てられない」


佐津姫は那由太の首にしがみ付いた。

「そんな、佐津姫、本当に俺を置いて行くのか?」

葵光丸は虚空に呟いたが、二人は振り返ることも無く満足そうに去って行った。


「佐津姫は那由太に諦めて欲しいって言ってたのに、会ったら我が子の葵くん置いて那由太と行っちまうし、どうなってんの?」

古川は理解できずに首を捻るばかりだった。


「死ぬ気だ」葵光丸は呆然と言った。

「え?何で?」

「結界の外に出れば、止まっていた時間が一気に佐津姫にかかってくる」

「時間止めてたのか!結界壊したぞ?」

「お前や葵は実際の時間とそうズレはないから大丈夫だが、鬼じゃない人間の佐津姫は」


「何故そんなことをした?」

「俺を好きになってくれるまでの時間が欲しかった」

「佐津姫の気持ちも無視して?ずっと那由太を待ってたんだろ?」


葵光丸は皮肉げに笑った。

「そうだな、那由太と喧嘩したってやって来ただけの佐津姫を閉じ込めた。那由太も、来れないようにした。悪いのは俺だ」

「最低だな、お前。どうせ子供も無理矢理作ったんだろう」


「…でも、佐津姫は俺を許してくれた。心を開いてくれたと思ったんだ。…俺の思い込みだったようだな」


「佐津姫!」遠くから悲痛な叫びが聞こえた。


二人とも死んだな。


気配が消えてしまったのを古川は敢えて指摘しなかったが、葵光丸は泣き出した。

「俺のせいだ、俺のせいだ、佐津姫、那由太。俺達はいい友達だったんだ。なのに…」


色恋さえ絡んでなければと、古川は虚しかった。

恋も友情も、古川には無縁なモノだった。囚われる気持ちは理解できない。

悲劇になるとわかっているのに、何故我を押し通したのか。


葵光丸は立ち上がった。

「次は俺の番だな」

虚な顔で、爪を鋭く伸ばして首に当てがった。


「お前、佐津姫と那由太がどんな気持ちで命を絶ったと思う?巫山戯るな!!」

古川は急激に湧いて来た怒りを爆発させた。

「何が『次は俺の番』だ?格好つけてるんじゃない!お前のせいで二人を死なせといて、自分だけ余裕気取ってるつもりか⁈これどうすんだよ!」


古川は抱いていた葵を葵光丸に突き出した。葵はワッと泣き出した。

「それは俺の過ちだ。どっちにしても俺には育てられん。俺には懐かんし、佐津姫に任せきりだったんだ」


「はあ⁈このボケナス!!育てんだよ!!無理矢理産ませといて、できないとか言うな!殺すぞ⁈」


古川は力を練り始めた。

「止めとけ、お前の力で俺は殺せん。自死するから放っといてくれ」

「誰がお前の手助けなんかするか!僕が殺るのは誰からも見捨てられた…葵だ!!」

古川は右手から金色に見えるくらい力を出すと、葵に叩き込もうとした。


「止めろ!!!」

次の瞬間、古川は葵光丸に吹っ飛ばされた。


古川は咄嗟に出していた力で防御したが、身体は宙を舞って5メートル位後ろに落ちた。

「祥一郎!大丈夫⁈」

アオが身を挺して庇ったのでダメージはかなり軽減されたが、それでも気を失っていた。


「何するんだよ!祥一郎はただの人間なんだ!僕がいなかったら祥一郎は大怪我するか、下手したら死んでたぞ!!」

アオは古川を抱きしめて座り込むと、赤い目でギッと睨みつけた。

葵光丸は葵を抱いていた。

「すまん、咄嗟に、俺は、俺は葵を守ろうと」


「本気で殺るわけないよ!祥一郎はわかりにくいけど優しい人なんだ!葵のことを本当に心配したからアンタをちょっと挑発しただけだ!」

「ちょっと?全力だったぞ?」

「うるさいっ!」アオはポロポロ涙を溢した。


「鬼め!お前は他人の気持ちを軽視しすぎる!少しは周囲の気持ちを思い至れ!馬鹿鬼!」

「痛っ」

アオは渾身の力を込めて、離れている葵光丸にデコピンを放った。

葵光丸は葵を抱いていたので其処しか狙えなかった。


「俺は、どうすれば」

「取り敢えず、二人を確認してこい!もう死んでるけどな!ほら、葵を寄越せ!」

アオは古川をそっと寝かせた。

「あ、ああ」


ずっと泣いたままだった葵は、アオに抱かれると不思議に泣き止んだ。葵の銀色がかった黒い瞳がアオを見つめた。

「よしよし、可愛い子じゃないか。馬鹿なお前じゃなくて佐津姫によく似てる」優しい笑顔を葵に返した。

「そうだな、佐津姫の子だ。ありがとう。お蔭で大事なものをこれ以上失わずに済んだ」

葵光丸は泣きながら二人の後を追った。



「あれ、此処は新しい世界か?」掠れた声がした。

「祥一郎!」

アオは葵を抱えたまま古川を覗き込んだ。

「アオが居るってことは転移してないんだな、残念」

古川は微笑んだ。

「素直に喜んでよ」

アオはかがみ込んで古川の額にキスした。

「これ以上無茶するなよ!でも僕がいるんだ、絶対死なせはしない。死にそうになっても他の世界に行ってしまうんだろう?」

「そうだけど。やれやれ」


暫くして葵光丸が帰って来た時には、古川はアオの力も少し借り、何とか立てる様になった。

「やっぱり二人とも死んでたよ。なんとか埋めてきた」

がっくりと肩を落とし、弱々しく言った。


「あーあ、最悪だな。最初から最後まで後味悪すぎ」古川は頭を振った。

「もう、鬼で生き残ってるのは俺だけだろうな」

「葵もいるだろう」

「半分血を引いてるだけだから、ちょっと人間より寿命が長くて強い人間ってだけで、角も牙も生えないだろうし。その次の代にはもう受け継がれない」

「なるほど、鬼って意外と弱い遺伝なんだな」

はい、とアオは葵を葵光丸に渡した。

古川は、はーっと息を吐いて言った。

「それでも、お前は葵としっかり生きていけ。せめて成人するまで」


「そうだな、二年ちょいだから、構わない」

「二年で成人するのか?」

「見てくれだけはな。其処からが長い」

葵光丸は寝てしまった葵を悲しい目で見つめ、ため息をついた。


「俺1人じゃ心許ないな。お前らどっちかでも居てくれると助かるんだが」

鬼の願いは予想外だった。

「はあ?ふざけるな。僕を子守に使うとかあり得ない。アオは幽霊だし」

「ま、そうだよな」


「ねえ、半年したら結構しっかりした子になる?」

アオが葵を見ながら尋ねた。

「ん?そうだな。人間で言うと12歳くらいに」

「じゃあ、半年だけ僕が残って世話するよ」

「アオ⁈」

「お前が?」


「祥一郎は仕事があるから無理だ。でも僕は幽霊だから暇なんだ。僕で良ければ、だが」

「アオがそんなことする必要ないだろう」

古川は怒って遮った。

「コイツの子なんだから、コイツだけで育てりゃいいんだ」


「勿論だ。ただ、葵が可哀想だ。こんなに小さいのに、葵光丸に任せたら力余って壊しかねない」

葵光丸はガバッとアオに頭を下げた。

「有難う、俺から頼める義理は無いんだが、できるなら、どうしても居て欲しい」

「あくまで、葵の為だから!自分の世話は自分でしろよ」


「アオ、本当に子供に弱いなあ」

古川は呆れて言うとアオは抱きついてきた。

「育ててみたいんだ!弥生ちゃんとできなかったからね。しーちゃんはぬいぐるみだし。でも、僕が不在の間浮気しないで!特に夕凪には不埒な事するな」


「夕凪に関しては約束できないな」

古川がうっそりと笑うので、アオは「駄目だから!」と叫ぼうとして葵を気にして小声になった。

「次は遊びに来る。葵光丸、結界はもっと薄くしろ。割るのが大変だ」

古川は溜息をついて言った。

「わかった。すまなかった。身体は大丈夫か?」

「大丈夫なわけないだろ。死んだかと思ったよ!!」

「本当にすまない!恩に着る!」


「そうだ、葵光丸、さっき那由太にやられた所はどうなった?」

「もう血は止まった。存外傷が浅かったからな」

「じゃあ那由太を止められたのに、止めなかったんだな」


葵光丸は寂しく言った。

「万が一再び2人が会ってしまったら、その後のことは佐津姫に任そうと。まさか、死ぬ程嫌われていたとは、な」



古川は帰る際に

「本当に悪いと思ってるなら、言葉だけじゃなくて、物で礼を尽くせ!」

といつもの調子で請求した。

葵光丸は「ちゃっかりしてるな」と言いながらも、棲家に置いていた小判を数枚持って来た。

古川は「言ってみるもんだ」と小判をしげしげと見て喜んだ。


「祥一郎、神社で待っててね」

アオは自分で言い出した事だが、振り返らずさっさと帰って行く古川を寂しそうに見送った。



やっと家に帰って来られた。畜生、鬼って何なんだ、一体全体。

古川は気力が尽きて座り込んだ。小判は翡翠の横に無造作に投げ置いた。戦利品が増えていく。怪異相手に毎回力を結構使う羽目になって非常に疲れる。今回はアオにも力を使った。


結局アオは置いてきた。本人の希望だったから、とやかく言うつもりはないが何かモヤモヤする。

しん、としている家の中を見回してため息をついた。アオを探すのが習慣になっている。


葵光丸は半年でアオを手放すのだろうか?そのまま佐津姫の代わりとして手元にずっと置いときそうだ。男だけど、面倒見いいからな。


夜はご飯も食べずにシャワーを浴びると布団に倒れ込むように横になった。


アオがいないから、髪の毛自分で拭かないと。いい加減に拭いてバスタオルを放り投げた。部屋の隅の洗濯籠にかろうじて引っかかる。

そのまま眠りについた。


那由太の指導で筋トレしてる夢を見て、起きた時どっと疲れていた。



普段の生活は何も変わらない。アオの気配を追わないようになったが、気にはしていた。

半年は経ったが、その間一回だけ会いに行った。3人とも元気で、葵はアオにべったり引っ付いて古川に警戒心剥き出しだった。殺そうとしたフリ覚えてるのか?


アオは一度も帰って来なかった。中途半端に帰ると、そのまま葵光丸の所に帰りたくなくなるからだろう、と古川は考えていた。


そうして、7ヶ月過ぎた頃漸くアオは帰って来た。

夕方、家に居た古川は神社に現れたアオ達の為に結界を解きに外へ出た。


「ただいま〜お待たせ!祥一郎!元気だった?」

結界が無いせいか、アオはあっという間に社殿の前に居た古川の前に現れた。

「ああ、まあね。アオ、帰って来たんだ」いつもの笑顔で迎えた。

「当たり前だよ!相変わらず冷たいなあ」


アオはぎゅうっと古川を抱きしめた。

「寂しかったよ!今夜からまた添い寝するね」

「それは、いらない」喉に何か引っかかったような言い方になった。

「祥一郎…⁈」


古川が不意にアオの肩に目を擦り付けたので、驚いて古川の顔を上げさせて、頬をさすった。

「泣いてるの?」

「馬鹿言え」

しかし、古川の目が濡れて端が赤くなっている。

「どうしたの⁈」


「もう、帰って来ないかと思い始めてた」

俯いてぼそっと言った。


アオは感極まってまた抱きしめて泣き出した。

「そんな訳ない、絶対帰るに決まってるよ、ごめんね心配させて。葵が結構手間のかかる子でしょっちゅう病気になったり、凄く腕白で大変だったから、祥一郎に会いに来る暇なかったんだ。でも、もう、ずっと居るからね。絶対離れないから!」

「アオ…うわっ⁈」

アオは古川が嫌がっているのに顔のあちこちにキスした。

「それは要らないって!!」古川がアオの顔を押しやった。


「俺らは何を見せられてるんだ?」

葵光丸と葵がようやく階段を登ってきた。

葵光丸が古川と同じ位の背丈になった葵の手を引いて苦笑しながら立ち止まった。


「アオを嫁に貰おうと思ったんだが、無理そうだな」

「誰が嫁だ!冗談キツいよ。僕は祥一郎一筋なんだから!葵は別枠だけど」

「でも父さん、かなり乗り気だった」葵がニヤリとして言った。

古川は目を擦ると微笑んだ。

「いつでも嫁に出すよ」

「祥一郎!またそんな事言う!!絶対無いから!取り憑いてるから!」

キーキー言うアオに

「これは無理だよ。この二人に割って入る隙間無い。アオは諦めな、父さん」と葵は戯けたように言った。

「残念、仕方ないなあ」葵光丸は豪快に笑った。


「もう帰れ!鬼!」古川は冷たい笑顔で言った。

「そうだそうだ!でも、ちょっとだけ」

最後にアオは葵を抱きしめた。

「元気でね、葵光丸に虐められたらいつでもおいで」

「アオ、また会いに来るよ」

「俺はそんな事せん!」


葵光丸親子は名残惜しそうに帰って行った。

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