第35話 番外編 怪異と古川祥一郎とアオの日常 鬼の居ぬ間に 1

「よく此処がわかったね。本当に死んじゃったんだ」

アオの驚いた声に、古川は目を覚ました。


アオは玄関の方を向いて話しかけている。

「わざわざ寄ってくれてありがとう」

古川が眠気を堪えて上半身を起こして玄関を見てみると、女の人が立っている。


「死んで幽霊になって、この世に碧さんがいる様な気がして。もしかしたらと手紙を下さった神主さんを探して来てみたら、一緒にいらっしゃるんですもの。驚きました」

「弥生ちゃんの感は鋭いな。僕より祥一郎の方が存在が強いから、探しやすかったのか」

「ええ、遠くからでも直ぐわかりましたよ」


「ごめんね、待ってるって、嘘ついて」アオは頭を下げた。

「僕はここに残るよ。祥一郎を本気で好きになってしまったんだ。男を好きだなんて、気持ち悪いと思うだろうが」

「いいえ、私のことは気にしないで。気持ち悪いとか決して思いません。碧さんは、御病気のせいで、やりたい事できなかったでしょう?今は御自分の好きなように過ごして下さい」

「ありがとう。そうだね、気の済むまで祥一郎の傍にいる」


女の人はずいぶん若くて、アオと同じ歳くらいに見えたが、弥生さんだ。

古川が相対するのは怨霊や年月を経て悪霊になってしまって形も崩れているモノだ。久しぶりにまともな霊を見た気がする。

結界があるのにどうやって入った?と思ったらアオが繋いで入れたようだ。


神社からかなり離れているはずの弥生さんのいた場所からでも古川の存在がわかるのなら、怪異や霊が絶えず寄ってくるのは仕方ないのだろう。

それはとても鬱陶しい。


「お葬式行くよ、そっちにしばらく居るんでしょ?」

「そうね、変な感じ。でも、主人が迎えに来てるの。葬式が終わったら、なるべく早く逝かないと。あ、お手紙は持っていきますね。」


「ええっ恥ずかしいな。それより僕へも、たまに会いに来て」

「まあ、是非あなたがいらして下さい。待ってます」

弥生さんは笑いながら消えていった。


古川とアオの目が合った。

「ごめんね、起こしちゃった」

アオは何となく気まずそうな顔をする。

好きな人の前で、こっそり?幼馴染の女の人と喋るのは、古川に悪いと思った。


古川はぐっすり寝ていたので、それを妨げた事に、そんな表情をしたと思っただけだ。

「まだ、3時だ。寝る」

当て外れなアオの気持ちを読んでしまい、何故そうなる?と古川はムッとして横になり、布団を頭まで被ってしまった。


「弥生さんの葬式に行きたい。ついて来てくれないかい?」アオは恐る恐るきいた。

「いつ?」布団の中から生返事があった。

「今通夜で今日10時から葬式だって」

「遠くから見るだけなら」

古川は、その後ふぁーっと欠伸している。


「それでいいよ。旦那さん会場に来てたら会いたくないし」

「弥生さんを巡る男2人の戦いの予感」

「違うよ、旦那さんに悪いなって」アオは慌てて否定した。

「そうだな、こんな美男子が元許嫁だって、いきなり現れたら旦那も驚く」


アオは古川が珍しく自分の外見について悪霊と言わなかったので、驚きで目をシパシパさせた。

寝ぼけているのだろうか?何にせよ悪い気はしない。

「美男子?ふふっ。ありがとう」


アオは玄関から布団まで来ると古川の背中側に潜り込み、後ろから抱え込んだ。

「今は祥一郎が一番好きだ」

「…」

「初めて会った時から惹かれたんだ」

「…」

「祥一郎?」

返事が無いと様子を見たら既に眠っていた。

「寝るの早すぎるよ。一番聞いて欲しかった言葉なのに」


アオは呆れたが古川の襟足に口を寄せた。

「絶対離れない」

僕は祥一郎に何をどこまで求めているのだろう?

こんなに執着するようになるなんて、既に悪霊になりつつあるけれど、まだまだ傍に居たい。

「ごめんね、祥一郎」

そのまま5時になるまで、古川の襟足に額を寄せると静かに待っていた。



葬儀場はそんなに大きくなかったが、遠目に見ても4〜50人居そうだった。

「多いなあ。ひ孫いた位だからな」

「良い子だった。僕の知ってる優しい弥生ちゃんのまま歳を重ねたんだろう。きっと周りの皆に慕われていたんだね。

僕は唯同じ事を繰り返す内に、どんどん性格が悪くなって、ついに悪霊になっていた。自分以外の人間はエサか奴隷扱いしてたし。死んだまま、あの世界で一切成長しなかった」

古川がアオを見ると、銀色の涙をポロポロ溢していた。

「本当に、愚かだった。でも祥一郎に会えて良かった。弥生ちゃんにも、もう一度会えた」


「弥生さんの事大好きだったんだろ?」

「うん、そうだね。子供の頃から知ってたし、できれば病気治して結婚して、一緒に子供育てて、やがて老いるまで生きていたかった」

アオは万感の思いを込めて言った。


アオの短い一生では叶わなかった結婚や子育ては古川もできないし、する気も無い。その上アオが夢見た未来の想像すら無理だ。

他人に恋愛感情を持てない古川は不思議な気持ちでアオを眺めていた。



その帰り、意外に機嫌良く、歩く古川の横で手を繋ぐアオがいた。

「思い残しは無くなった?」

アオはにっこり笑って

「そうだね、思い残しの一つは無くなった」

「まだ未練があるのかよ」

「祥一郎がどうなるか気になる」


古川は「今更?」とワザと驚いてみせた。

「僕は26歳までにこの世界からいなくなって、違う世界でその世界の古川祥一郎として過ごすのさ。そして、それを繰り返す。これまでもこれからも。恐らく永遠に」

「ついて行く」

アオは縋りついた。

「僕の力を使えば次の世界とこの世界も繋げられる」


古川はアオの真剣な顔を見て大きく溜息をついた。

「無理だよ。転移の力を甘く見てる。今迄の転移で誰も付いてこれなかった。怪異や霊は塵のように消え失せたし、人間は取り残されてた」

アオは少し気落ちしたようだったが

「そうか、じゃ、駄目だった時は次の世界に生まれ変わるよ。祥一郎の側にいるから見つけてね」

とにっこりした。

「えーっ、また付きまとうのか」

「次は生身同士で付き合えるね」

「変な言い方するなよ、勘弁してくれ」古川は身震いした。



車が走る道に出てバスを待つ二人は、誰もいないのを良いことにベンチに座ってくだらない話をしていた。


ふと、いつの間にか脇道から男が歩いてくるのが見えた。古川達が出て来た道だ。

ジーパンに白いTシャツ、サンダル姿で髪はボサボサ、目は落ち窪んでひどく疲れた様子で、肩を窄めてゆっくりこちらへ来る。


古川とアオは話を止め、急に現れた男に意識を向けた。バス停に来るまで古川達の後ろには誰もいなかった筈。

怪異や霊では無いが、人間にしては何故か異様な雰囲気がする為、古川は警戒して密かに右手で力を練った。


アオは立ち上がると、すっと古川と男の間に立った。

『アオ、危ない!どけ!』


男は2メートルくらいまで近付いて、古川達を見るとブルブル震え出した。


「やっと、見つけた!俺が見えるのだろう?」

男は泣きそうな声で歩みを早め、手を伸ばした。

「助けてくれ!ずっと閉じ込められて出られないんだ!」


「動くな!」アオは催眠を発動した。

動かなくなった男は涙を流し始め、

「話を聞いてくれ、頼む、助けてくれ!お前達に害は加えない」

「信用できるか!祥一郎消せる?」


古川はベンチから立ち上がるとアオの横に並んだ。

「こいつ、アオの姿も見えている。別人が張った固い結界に包まれてるから、アオの催眠も効いてないかも。これは消しにくいな」

「鬼だ!鬼にやられたんだ!ここから出してくれ!妻が囚われてるんだ、助け出さないと」


「「鬼?」」二人は驚いた。

古川は数多の怪異を見てきたが、鬼なんて、そんな伝説上の実体のある怪異が現実にいるなんて考えもしなかった。


「本当なんだ、信じてくれ!俺は鬼の結界に身体を閉じ込められ、別の場所に閉じ込められた魂の周りしか移動できなかった。結界を解いてくれて、鬼を退治してくれる者をずっと探していた!なのにこれまで俺の姿さえ誰にも見えず。早く行かないと妻は飽きたら食い殺されるかもしれないんだ、頼む!」


「結界を壊して、魂を戻せばアンタは元に戻るだろうけど、幽霊が鬼退治はちょっと」

「そうだね、僕は実際は非力で体力余り無いし、鬼退治って柄じゃない」 

「じゃあ、結界だけでも解いてくれ。魂の在処はわかってるんだ、取り戻せば鬼の所に行ける!」

「それ位なら」

「ありがとう!頼む!」


古川は気が進まなかったが、たまには人?助けもいいか、と力を練った手を男の結界に押し付けた。


ビィーンビィーン、と弦の鳴る音が響き、手を押し付けたところからヒビが入った。

「固いな、流石鬼が張っただけある?」

古川が追加で力を入れると、ヒビが広がってそこから崩れていった。


「ありがとう!助かった」男は微笑んだ。


しかし、結界がある時は全く気付かなかったが、男の両手は鉄の枷をはめられていた。手と手の間には鎖が繋がっている。

男はその両手を振り上げると、アオの方へ向かって振り下ろした。


ガシャン。

音がしてアオが自分の手を見ると先程男が嵌めていた枷が付いている。

「えっええ?」

アオが混乱して祥一郎に両腕を上げてその枷を見せた。


古川はすぐさま男に駆け寄ると力を一直線に入れた。


「ぎゃっ」と男は胸を押さえて蹲った。

古川は男の首を両手で掴んだ。

「どういう事だ⁈すぐ外せ!」

「どうしよう、外れないよコレ」

アオが力を枷に込めているが全く反応が無い。


「無駄だ、それはあの鬼にしか外せない」

「お前外しただろ!」

「枷を一瞬騙しただけだ。人から人へはできぬ」

「ふざけんな!外せと言った!」

古川は男の首を締めて力を入れた。


「成る程、非力だな」

男は逆に片手で古川の首を掴んだ。

「⁈」古川の手がもう片一方の手で簡単に引き剥がされ、逆に首を絞められる。

『馬鹿力めっ!』圧倒的な力で振り解けず、足で蹴りを入れるがビクともしない。

「祥一郎!」アオは男に詰め寄ると枷をはめられたままの両手の拳に力を入れて、古川の首を絞めている腕に叩き込んだ。


霊体なので実際の力は古川に比べて大した事は無いが、男の手が外れたので、古川はアオに捕まって後ずさって離れた。

「早く僕の枷を外せ!」

アオが強く命令した。

「無理だと言っただろ!」

男は首を振ると二人を睨んだ。

「あれ?どうして効かないんだ?」

「こいつも鬼だ。角が生えてる」


古川は咳き込みながら息を継いでいる。

「普通の人間なら見えない筈だが、流石だな。これでお前に筋肉が有れば完璧なのに、惜しいな」

ニヤリと唇を上げた隙間から尖った犬歯が見えた。


「うるさい!余計なお世話だ!」

「俺と争うより、葵光丸きこうまる鬼の所へ行けば外れるぞ」

「そいつは鬼なのにお前の敵なのか?」

「妻を取られたのは本当だ。アレの結界と枷がどうしても破れなくてな。お前達は住処に張られた結界を壊せ。殺すのは俺がする。あいつを倒せば枷は自然に無くなる」


「何を、勝手な、事ばかり、言ってるんだ」

古川は怒りでブルブル身体が震え、全身が金色に光っている。

「力を入れたら手首が千切れるぞ。霊でもな」

「僕を脅すとは、いい度胸だ」

古川の身体から金色の無数の腕が伸びてきた。

「無駄だ!お前の持ってる力は大きいが、俺を捕まえられん。こちらとて背に腹はかえられぬ。手段を選んでいられない。此処で会ったのが不運と思って俺に付き合え」


古川は無数の腕を出したまま表情をすうっと消して、那由太からアオの方を向いた。

「祥一郎、僕は手首なんか千切れてもいいし、枷もこのままでいいから逃げよう!え?あれ?出ない⁈」

アオは繋ぎの蛇腹が枷に遮られて出ないと知って焦った。


「枷に力を吸われている。その枷ごと手首が千切れたら、二度と再生できない。千切れても、そのままにしていても、結局どちらも力が抜けていく。消えてしまってもいいのか」

「ええっ、でも、それは」

アオは逡巡し始めた。

「アオ、その枷がある限り、コイツと離れられない。従おう」

古川はあっさり力を抜いたので金色の光は腕ごと消えた。

「ありがたい。こっちも無駄な力を使いたくは無い」

男は、こっちへ来い、と手招きし、2人は魂のある方へ促された。


「ごめん、僕が油断したから」アオはショボンとしていた。

「それを言うなら僕だよ?結界解いたの。何故余計な事したのか自分でも理解できない。痛恨のミスだ。夕凪にお説教できないよ。夕凪に怒られるのも、それはそれで良いけど」

古川はにっこり笑った。

「葵光丸の結界解くだけなら簡単だよ。いざとなったらアイツ手伝って相手を殺せば良いんだから。おい鬼!名前あんの?」


「…那由太」「なゆた、ね」

古川達が通った道の途中にあった地蔵の前に来た。

「下に魂がある。同じ結界があるだろう?壊してくれ」

「地蔵壊していいのか?」古川は投げやりに言った。

「構わん、重し代わりに彼奴が置いたんだろ」


古川は溜息をつくと地蔵の頭に手を置いて力を出した。

さっきより薄かったようで、衝撃で地蔵はガラガラと音を立てて崩れていった。

「非力だから石どけたり掘ったりはできないぞ」

「問題無い」

那由太は片手で難なく石を払った。手をかざすとその下から白い球体が上がってきて、そのまま吸い込まれた。


「ああ、やっとだ。やっとお前を迎えに行ける」

うっとりと微笑む那由太は本来の姿を現した。

茶褐色の肌に僅かに光る黒い目。少し癖のある黒髪は伸びて背中を覆っている。先の尖った真っ直ぐな白い角が2本生えている。

ぼろぼろの狩衣の間から覗く細身のしなやかな身体は普段イメージする鬼とは違うが、力や俊敏さは鬼だ。その上催眠をかわしたり、幻覚で自らの枷も見えなくしていた。





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