第31話 番外編 怪異と古川祥一郎とアオの日常 口の悪い竜とヤンデレ幽霊 1

新たな依頼は、廃墟病院の時から口利きをしてくれている建設会社の専務さんからだった。


古川達が住む街からずっと北に行くと山がいくつか連なっているのだが、手前の集落から奥に行くと神社があり、さらに奥に5分くらい歩くと『霊験あらたかな』滝がある。


『碧滝ノ鳴代なりしろ神社』の御神体である。

それを観にくる観光客用に神社で御朱印を書いているのだが、神主が腱鞘炎になって難儀しているので、2、3ヶ月、土日だけでも代わりに書いて欲しいそうだ。

滝への案内は神主がやるから、と。


専務さんが何故この話を持ってきたかというと、会社へ集落から滝までの道の整備を頼まれたついでだった。


土日は神影神社も人が来るので、空けたくないなと考え、流と紫都に交代で代わりをやってもらう事にした。

流達は気が進まなそうだったが古川師匠の圧に負けた。


アオは張り切って古川に付いて来た。

「滝見たかったんだ。これもデートだよね?」

「違うよ、仕事だ!」

「祥一郎が、あちこち連れて行ってくれる約束守ってくれて嬉しい」

「偶々だ」


病院の世界を抜け出す為に咄嗟に出た言葉を律儀に覚えているアオに、はっきり言えず言葉を濁した。

別にアオは無茶を言わないし、一人で外へ散策しにも行っているのに、古川と過ごす時間を殊更大事にしてくれる。


あんな場所に閉じ込められてはいたが、重症の病人だったのに霊や人を引き込み、使い倒して一人で楽しんでいた。

変わり映えしない陰気な病院で、出る事も叶わず死を何回も繰り返していたアオの孤独も狂気も分からない事はない。

その孤独を埋め、狂気を抑える全責任が古川に掛かっていると思うと少し憂鬱だ。


しかも、よりによって何故古川を好きになったのだろう?

僕が此処から居なくなったらアオはどうするのだろうか?



鳴代神社へは電車とバスを乗り継いで行く。

9:30から15:00まで記帳受付、昼休みを12時から30分、料理上手な奥さんお手製の昼ごはんを頂く。

土日だけで、力を使うことが無い楽な仕事なので、古川は観光気分で来ている。



アオは憑いて来てしまったが、廃病院の依頼の後は美味しい祈祷が回ってくるので金回りは更に良くなった。

帰りに神社周辺の美味しい物を食べに寄ったりする。


今度は稲荷からもらったと嘘をついて夕凪家族を近場のリゾートホテルに連れて行く計画を立てている。

運転を父親に頼んだら、夕凪も断れまい。

部屋に引き込んで、もしくは押しかけてイタズラし放題だ。


でも…

アオ、付いてくるよな。

古川はため息をついた。どこでも付いてくる。なんなら布団の中まで一緒だ。



古川は他の古川祥一郎と間違え、同一と見做してアオを心から欲しいと願った。孤独を知っている古川が、閉ざされた病院の世界で孤独だったアオの手を取ってしまった。

でも、それはあの時だけで、此処に来て手紙を渡せば成仏するだろうと思っていた。


甘かったと言わざるを得ない。

アオの執着を甘く見ていた。

あの後、成仏(自滅)できないと言われて、何回か古川がアオを祓おうとしたが、すぐに察知したアオの催眠の力で集中を乱されるので上手くいかない。

その上ずっと泣かれたり、抱きついて離さないので根負けして、遂に悪霊化しない限り、側に置くと約束してしまった。


単なる口約束だ、とまだ古川は諦めていない。



毎回鳴代神社へ行く前に滝へ寄る。

滝の右側には人の背丈を越える直径2メートル程の岩が鎮座している。

左端は小さな祠があって、来た時は必ずお参りしてから10分くらい無心に滝を眺め、神社の本殿へむかう。


その日も同じだった。


滝を眺めた後、プラプラと本殿へ歩いていた。

「今日は参拝者多いかな?」と右手を書く前の準備運動にグーパーしていると。


突然、得体の知れない気を薄く後ろに感じたので振り返った。

「アオ?」


怪異でも霊でも無く、湿気のある重い空気のような何かがこちらに広がって来る。気がした。


「なあに?」

古川の後ろにいたアオは何も気付いていないようで、単に話しかけられて少し嬉しそうだ。


「後ろに」


アオは突然空中に生えて伸びてきた水色の手に、片腕を取られて後ろに引っ張られた。

「祥一郎!」

と叫んで咄嗟に自由な方の片手を古川の方へ伸ばした。


本当の水の色で薄青い手だ。

つい凝視してしまい、ハッとして声をかける。

「早く腕を切れ!」

「できないっ!全部捕まった!」

アオは段々透明になりつつ、どんどん引き摺られていく。


急いで追いかけたが、アオは祠に入り込んでいき、直ぐに見えなくなった。

「何が居るんだこの中?」今まで何回も祠に来たが、怪しい気配は無かった。

「助けてー」アオの声が小さく聞こえるので、古川は手を伸ばしかけた。


古川は閃いた。

このまま、見捨てたら。


アオから離れられる。

アオだけだと催眠をかけられて断念していたが、何かわからないこいつが、アオを喰らってから祓えば両方とも消し去れる。


逡巡し、途中まで伸ばした手を引こうとした。


「ねえ助けて!祥一郎⁈」

アオが吸い込まれた祠の壁から、手のひらとほぼ同じ幅の白の半透明な蛇腹の板が伸びてきて古川の手にコツン、と当たった。

『しまった!』

伸びた蛇腹の上を滑る様に古川の手がアオの方へ引き寄せられて、アオの手と思しきもので手首を掴まれた。

振り離そうとしたがどうしても解けない。

古川は空いた片手で祓おうとアオの手に向かって力を放った。


アオの出した蛇腹は扇のように瞬時に広がり、盾となって古川の力を弾き、それを避ける様に更に縦に伸びて古川の身体に巻き付いた。

「ちょっと待て、そんな事したら僕まで」

引きずられるのを踏ん張って何とか耐えようとした。


しかし、抵抗虚しく古川も吸い込まれていった。




吸い込まれた先は、木造の祠とは全く違っていた。

祠は60cm角位だが、中は四方を岩の壁に囲まれた四角い部屋で4メートル角位の所だった。


引っ張られて離された古川は、そのまま1mほど下に落下した。床に頭を打ちつけて、あまりの痛さに悶絶した。


のたうち回っていると怒りで震えるアオに押さえ込まれた。


「祥一郎!僕を見捨てようとしたな!」

アオは古川に馬乗りになった。

いつもの優しげな顔は一変して、目は禍々しい赤色に変わっていた。

「狙われたのアオだろ!自力で何とかできると思った」

「いいや、祓おうとしてた!」

「お前は僕を引き込む気満々だったから一旦切り離そうと」

「やっぱり置いていこうと思ったんだ!」


 アオの目から銀色の涙が溢れて古川の顔に次々落ちては煌めきながら消えていく。赤い目と対照的に純粋に美しい。

「離れるの嫌だよ、一緒に居て?」

「もしかして此処に?」


古川は辺りを見渡した。

「僕の住んでるところより狭い!」

「どこでも良いんだ!祥一郎と一緒に居られるなら!此処なら二人きりだ!祥一郎でも出て行けない」


古川は両手を伸ばしてアオの涙を親指で払った。

「泣くなよ、言う事が極端過ぎる。そんなに僕の事好きなんだ」

「前から言ってるだろ?大好きだって」

「アオ、どうして」


「おい!無視すんなよ!俺もいるだろ!幽霊!もっと力寄越せ!俺は此処から出たいんだ!」

岩に半ば埋もれたボロボロの服を着た若い男が喚いた。


「僕を監禁する気か?おい、アオ!堕ちていってるぞ⁈簡単に悪霊化するな」

「監禁、良いね?それで僕が悪霊になって祥一郎を取り込めるなら」

「馬鹿!そんな事になったら僕の全力で祓うって言っただろ?」

「どうかな?二度と此処から出れないよ?」

「祓う前に言う事きかすさ。いざとなったら祠ごと吹き飛ばす」


「こらー、とんでもねえ事言うなよ!俺ん家だぞ!」

男はもがいて叫んだが、二人は無視して言い合っている。


「ねえ、僕と二人で此処に居ようよ。ここは飲み食いしなくても大丈夫そうだけど、要るなら食事もお菓子も持ってくるからさ」

「大丈夫な訳ないだろ、あいつを見ろよ!ボロボロだぞ」


「これは力抜けてるからだ!お前等はここで痴話喧嘩を好きにしろ!俺は外へ出せ!やる事あんだよ!」

男は茶色い髪と汚れた肌をしており、ボウボウに伸びた髭にほぼ埋もれた口から唾を飛ばしながら叫んでいる。


「「はあ?」」


アオと古川は同時に手を男の方へ翳した。

「出すかよ。消すに決まってるだろ」

「五月蝿いな、吸収してやる。さっきの力返せ」


「待て!喧嘩してたのに、何でそこは意見が一致するんだ!それに俺は水竜、竜だぞ!お前等なんかに祓えるか」


古川とアオは、そろってにんまり悪い笑顔になった。

「僕はこの前、神使を殺したし、弱い神だったけど再起不能になる位叩きのめしたぞ」

「僕はその辺の神様より催眠の力強いし、何百体も霊や怪異を吸収してきた」


「え"…お前等一体何者?」自称水竜は絶句した。

「ただの人間と悪霊だけどね」

古川が言うとアオが

「まだ悪霊じゃない!今でも祥一郎が大好きだから普通の人です」と抗議した。


「ほぼ悪霊だ!こんなとこに閉じ込めようなんて!」

「だって、そうでもしないと祥一郎が僕から逃げるから。仕方ないんだ」


「悪かった!逃げない祓わないから、ここから出よう!」古川は全く反省してない口調で言った。

「信用できないよ!」

「出るんならついでに俺も連れてけ!」男は口を挟んだ。

「黙れ!そんな義理はない!一生挟まってろ」

古川は一切の忖度が無い。

「頼むよお」


「本当に水竜なら、せめてその汚い身体、水で洗い流せよ」アオは顔を顰めて言った。

「拘るね」 

「病院に居たから潔癖症になったみたい」


自称水竜は懇願した。

「これだけ埋められて、さっきので力無くなってたら、もう無理だ。だから、もうちょっと力貸せよ。邪魔しないからさ」


「お断りだ。カラカラ干上がり竜め!勝手に引っ張り込みやがって!お前は何故埋められた?悪いことしたって丸わかりだ。そんな奴は消すに限る」古川は断定した。


「呼ばれ方酷過ぎるだろ。お前を引っ張り込んだのはコイツだろ!違うんだよ〜、二人で酒飲んでたらイワ、岩竜がふざけたんか、勝手に埋めていって、そのまま行方くらましたんだよ」


「また違うの出てきた。そのうち火や風や緑とか出てくるかも」

古川が無表情になって呟いた。

「よく知ってるな。俺は会った事ないが、他に火竜と緑竜いるぞ」

「うわ、いらねー」

「お前のこと嫌いだから埋められて置いてかれたんだろ」アオは他人には冷たい。


「岩竜とは仲良かったんだよ〜。ちょっと悪戯好きだったけど」

「『ちょっと悪戯』の範疇超えてないか?」古川が呆れて突っ込んだ。


「うう、あいつに何かあったかもしれないんだ、頼むお前等が頼りなんだ」


「それにしては態度デカすぎだ」

「僕を取り込もうとしてたよね」

二人はジトリと水竜を睨んだ。

「う"、悪かった。手近に力を感じて、霊ならいいかと最後の力を貯めてたのを使ったんだ」


「ねえアオ、いつまで僕の上乗ってるの?」

古川はアオに伸し掛かられたままだった。

「ずっとだよ、重い?」

「身体は重くは無いけど、アオの愛が重い。

ここは、お互い全力を尽くすより、取り敢えず出よう、な、アオ」

「嫌だ、ここに二人でいる」


アオは態度を硬化させたまま、目も赤く変わっているのは、かなり力を使っている状態だ。古川も対抗する為に同じように力で返している。

このままでは埒が開かない。


古川は溜息をついて少し目を伏せた。

「僕は本気だ」

「アオ」

古川はアオを見上げると、真面目な顔でそっと手を伸ばし、アオの顔を両手でふんわりと押さえた。

じっと、アオの目を覗き込む。


「よく見ると、アオの赤い目も綺麗だね」と微笑んだ。

「え?なに突然」

「取り込まれると思ってちゃんと見てなかったけど、日没前の太陽の色みたい。怖いはずなのに優しい感じがする」


「祥一郎」アオはハッとして力を抜いたので、目が元に戻る。

古川もリラックスして続けて言う。

「うん、その普段の目も好きなんだ。僕と違って深い黒色で、つやつやの黒糖飴思い出すから。思わず舐めたくなるよ」

アオはビクッとして古川の手から逃れようとしたが、古川は離さない。


「アオが僕を信用できないのはわかる。だから、アオから逃げない誓いとして、僕からキスするから、許して?」

「ええっ⁈」


いつもは自分からキス位積極的にしているのに、古川から言われるとアオは顔を真っ赤にさせた。

「な、何を言い出すんだ。そんなことで僕が許すと?」


アワアワと戸惑うアオに更に畳み掛ける。

「しかも、深〜い濃厚なやつ。弥生さんともした事ないでしょ?ついでに耳と首筋は更に舐めてあげる」

「え、え、そんな」思わずアオは想像して自分の首に手を当てた。

「アオの催眠じゃなく自主的に、だよ?」

「自分から?いつも僕からで、あんなに嫌がってさせてくれないのに?ホントに?」最後のホントに?と言ったアオの声が裏返った。


「ふふっ、どうする?」

古川は妖艶に口を少し開けて自分の下唇を舐めた。

「ずるいよ、祥一郎」

アオは、その仕草だけで興奮して目をうるうるさせている。

「何とでも言いたまえ。アオ?さあ、どうする?」選択を迫った。

「え〜っ、ちょっと待って!」

 


結局アオは、誘惑に負けた。


「誓ってキスして」縋るようにそのまま古川に顔を近付けた。

「誓うよ。一緒にいる」

「捨てないでね」

「うん」


古川は引き寄せると口付けて、アオの口の中に舌を入れた。


「お前らいい加減にしろ…俺の前で遠慮とかねーのかよ⁈」水竜は半泣きになって呟いた。


古川は言った通りアオに濃厚なキスをして、自分の力をそっとアオの中に入れる。それをスルッと抵抗無く受け入れ、心地良さに感極まったアオの息が上がり、思わず口を離してしまった。


くったり力が抜けて古川の上に乗しかかったアオと優しく身体を入れ替えてもう一度キスすると、今度は耳と首筋をキスしながら執拗に舐めてやった。

アオの抑えきれない吐息が甘い声になって室内に響いた。


放置されて動けない水竜は耳を塞いで目をぎゅっと閉じていた。

もう終わったかなと薄目を開けると古川がアオの服のボタンを外して鎖骨を舐めて甘噛みし始めたのを見てしまい、再び目を閉じて更に赤い顔をして

「もういいだろ!」と叫んだ。


「これはサービスな」古川は最後に軽く口にキスするとアオの耳に囁いてから離れた。

「〜〜〜」

アオは好きな人から与えられた初めての快感に、肌まで赤くなって息絶え絶えに官能的に震えていた。



しばらくして

「祥一郎」やっと復活して我に返ったアオは弱々しく言った。

「これ、絶対夕凪にしないでね」

古川は、ふふっと笑った。

「夕凪にはちょっと早いだろ」

「早くなくても駄目!」


夕凪にディープキスしてた事は死んでも言わないほうがいいな。

そして、情欲に塗れた仕草をしてやっても夕凪やアオの反応に面白いとしか感情が浮かんでこない。



「じゃあ、出ようか」赤い顔のまま、まだちゃんと目を合わすことができずに、ぎこちなくアオは言った。

「頼むよ〜俺も〜」「え〜」

「もう参拝客が来るから駄目だよ。平日の、そうだな水竜だから水曜日に来てやる。大人しく待っとけ」

古川は冷たく偉そうに言った。

「そんなぁ」


「じゃあね」

アオは手から透明の蛇腹を出して壁の方へ投げた。

それが当たった所が丸く穴が空いていき、外から光が入ってきた。


二人はなんやかやあったが祠の外へ出ることができた。

祠の格子越しに中を覗いても、木の壁しか見えない。

「絶対来いよ〜頼んだぞ〜」

と小さく声が聞こえた。


「どうしようかな?」古川はうっそりと笑った。

「え、水曜に行くんじゃ無いの?」

「水水繋がりで適当に言ってみただけ」

「急激に祥一郎への信頼度が下がったよ」

空中で伸びていた蛇腹は畳まれてアオの手首の中に消えていった。


「ふふっ、冗談だ。不用意にあいつを放して災いが起こったら困る」

「いいけど、油断できないな」

「そうだね、アオも油断できないからお互い様だな。さっ仕事仕事!」


30分ほど遅刻したが、山の方を散策したら迷った、と言う事にしといた。

アオはそのまま付近の散策を続けて時間を潰すらしい。



『危なかった』…古川は絶え間なく来る参拝客の御朱印帳にひたすら書き込みながら思った。

もう少しで閉じ込められる所だった。アオの本性に触れて内心結構ヒヤヒヤした。あれが、ヤンデレと言うのではないか?身近にいる問題児に超頭痛い。


キスするとか駄目元で提案したけど、アオが変なところでウブでよかった。婚約者とは何も無かったんだろうな。あんなに反応して喜んで貰えたが複雑だ。

また強請られるかもしれないので、今日みたいにとっておきにしておこう。

キスしたりするのに男女別の嫌悪感はもう無いが(アオのせいで慣れた)、幽霊を愛撫するのは趣味悪いと思う。


怪異ごと祓う方法は悪くなかったけど、怪異じゃなかったから失敗した。アオの持つ『繋ぎの蛇腹』(古川が勝手に命名)があんな使い方ができるとも思ってなかった。

アオは無意識に出たと言っていたが、隠していたに違いない。絶対嘘だ。


アオが取り込まれる相手を把握してないと危ないのは良くわかったので気を付けよう。


本当にちっとも反省してない古川だった。

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