第26話 開放に向けて

古川と夕凪は何故か二人用の部屋を当てがわれた。

本当なら古川と同室なんて、夕凪は身の危険を感じるのだが、一日中慣れない仕事で、身体はクタクタに疲れて横になったらすぐ寝てしまう。


今よりだいぶ昔の病院らしく、電化製品は無いし、医療器具も古くて殺菌消毒が大変だ。

食事は病人食と同じで味気なく、はっきり言ってマズイ。食事時間も休憩も満足にとれず、おやつは古川が大事に取っておいたクッキーやマドレーヌを貰って惜しむように食べたがすぐ無くなり、甘いものが非常に恋しい。


時には夜勤まで有るようになって本当につらいし、見回りが一番嫌だ。

夜は明かりが最小限になるので暗くて、患者達の呻き声が聞こえてくるし、幽霊も1日1回以上は見かける。何をしてくるわけでも無いが、何度叫んだか。


忙しく働いている間は今の境遇や両親や学校の友達のことを思い出して、悲しんだり、深く考える時間が少ないのは気は紛れる。

ただ、仕事が終わるとその事と疲れで気力が一気に無くなる。


もう古川が何かしてきても、どーとでもなれと開き直って休んでいる。


一方の古川も、仕事は相変わらず楽なのを選んで手抜きしているが、サボっても具合の悪くなったアオから夜中でも度々呼び出されるので、おちおち眠ってもいられない。

こっそり昼寝しては見つかって、夕凪や看護婦に起こされ、仕事に放り込まれている。


なので古川の方も夕凪にちょっかいかける余裕があんまり無い。

夕凪の癒しが足りないと不満は溜まる一方だ。


アオはそうやってワザと古川の意識レベルを低くして、隙有らば催眠をかけるので、気が付くとよくアオのベッドで一緒に寝させられている。


寝てる間、最初は布団に入った途端に待ち構えているアオに良いように身体を弄られていた。

しかし、古川は相変わらず何も感じないし、とにかく寝たいので、自身の身体の事を正直に話した。


すると、とても気の毒がられて、一回は確かめたいと性器に触れようとしたが、古川が怒ると止めてすぐ謝り、その後はキスや抱擁はされるが添い寝だけになった。


まもなく日が経つにつれ、夜半に悪化する症状に、看病しなければならない古川は、ゆっくり添い寝している場合ではなくなっていた。 

アオは古川を警戒して、あれから一度もあちらの世界への道を繋いでいない。


ついに一月が経とうとしていた。

最近病棟では死者が増えた。毎日患者が亡くなっている。

それに伴い、古川と夕凪に割与えられる仕事は極端に減った。

暇になるにつれ、現状の変わらなさに夕凪の精神的な限界が近付いてきた。父母を恋しがって泣いたり、塞ぎ込む。

古川は度々昼夜関係無く患者の病室や、休憩室を出入りして忙しそうにしている。

それでも、なるべく夕凪に寄り添って励ましたり、時には催眠をかけて強制的に眠らせたりして何とか持たせていた。


アオは寝たり起きたりだが、少しでも具合が良ければ、車椅子を使ってでも外へ出ていた。

病棟から出て、古川はアオの車椅子を押しながら近くを歩き回った。外へ出る道は消えていて、此処が完全に閉じられた世界だと否が応でも認識させられた。

古川の厳しい顔を見ても、アオは嬉しそうにするだけだ。


古川は最早アオの専属係のようになっていた。

精神的に気があまり抜けないが、肉体労働は少ないので大抵アオの部屋にいた。

二人が初めて会った林へは、木々の間隔が狭くて車椅子だと入れない。林は連れてきた人と最初に会う場所だ。もう、拉致に行く元気も無く、アオは残念がっていた。


「今回はいつ死ぬんだ?」殊更具合の悪そうなアオに声を掛けた。

「明後日位かな」息苦しそうにアオは答えた。


前から気になっていた事を聞いた。

「アオが死んだら、この世界はどうなるんだ?」

少し間が空いてから答えがあった。

「死んで、気が付いたら、荷物を持って、病院の玄関に、立ってる」

「一人で?」

「両親と一緒に来た筈がいなくなる」


両親いたんだ。ずっと一人だと思い込んでいた。

「両親と?アオを入院させたら帰るのか?」

「そうだな。消えてしまうんだ。実際ここまでは、父の車の運転でやってきた」


外からやって来るのか。此処へは国道から脇道に入ってくるのだった。

外から、外から、と古川が少しぼんやりすると次の瞬間には屈み込んでアオにキスしていた。


「どうした?寂しいのか?親に会いたい?」

またか、と古川も慣れてこの位では動じなくなった。

「別に。祥一郎は?」

話す間にも優しく何回も唇を重ねられたが古川は普通に応えてやった。舌は入れさせない。サービス外だ。


「親は、あまり気にした事ない。僕を恐れている人達ばかりだったから、親子の愛情はとうの昔に忘れた」

「そうか、可哀想に」


アオは顔を離すと屈み込んだままの古川を弱々しく抱きしめた。

「それほどでもないよ。慣れてるし」

「でも祥一郎が、誰も愛さないのは、親のせいだろう?」

「どうかな?単に性格と身体の事情だと思うよ」

気にして無い、とあっさり言った。


古川は車椅子の背もたれとアオの身体の隙間に手を入れてさすった。

「座ってるのもしんどいだろ?此処エレベーター無いから階段を1階分自力で上らなきゃいけないから、もう帰ろう」

「祥一郎が僕を抱いて連れて上がってければいいのに」

古川は再びアオの背後に戻って車椅子を押し始めた。

「僕の貧弱さは知ってるだろう?いつも触りまくってるんだから」


アオは咳き込みながら笑った。

「アオを部屋に送ったら、他の部屋の掃除に行かないと」

「珍しく自主的に仕事するんだね」

古川はため息をついた。

「いい加減、働かないと夕凪に愛想尽かされる」


その晩、アオの容体は急変し、危篤に陥った。


「古川さん、アオさんの具合どうですか?」

二人部屋に戻った夕凪は、不安気に古川に尋ねた。


「死ぬのは明後日と本人が言ってたから、明日中に何とか目処をつける」

夕凪は泣きそうになっていた。

「それって、患者さんが亡くなっていくのと関係あります?」

古川は少し間が空いたが「ある」と重々しく言った。


「これまでずっと毎日患者の気持ちを再確認させに行っていた。アオが世界を閉じてしまって、同じ事を繰り返すのを止めないので、病の苦しみが終わる事はないと。此処とは違う外の世界の事を、ここに来るまで暮らしていた日常の生活を思い出させていた。

この状態が異常で、僕がそれを解放しに来たと言ったら、みんな僕に賛同してくれた」


古川は病人達の意識を外に向け、病院への依存を無くしたところで、残っていた魂だけになっている彼らの力を吸っていった。

魂だけになっても患者は囚われていたままだ。

医師と看護婦は、病院の一部となっており、人形のようになっていたので、患者が居なくなると看護婦は自然に数が減っていった。


残るのは此処に連れてこられた人々だ。


古川は連れてこられた一人一人の洗脳を根気強く解いていった。

我に返ってパニックを起こした人には、古川が元の世界に必ず戻すから、合図するまで普通に仕事をして過ごしてくれと催眠を使いつつ頼んだ。


アオは自分の力と、それを使って廃病院になっている現実の世界と道を作って繋げて、外にある人や霊を誘き寄せて力を奪い、自分に都合の良い世界をループするまで維持し続けている。


古川は逆に溜まっている病院から力を奪う予定だ。

後はループする時の力を移動に使う。

だが、いくら力があっても古川は道を作れないし、繋げられない。


アオが危篤で意識が低下しているからこそ、アオ以外を支配下に置き、死ぬ直前のアオの力が一番低下した時に、逆に催眠をかけて促し、道を繋いでもらうしか無い。


間に合わずにまた繰り返してしまったら、もう帰るチャンスはほぼ無い。アオは二度と古川が出られないように対策を施すだろうし、古川も莫大な力の供給源を失ってしまうので、下手をするとアオの催眠の力に負けて言いなりになりかねない。


古川は未だかつて無いほどに気が張り詰めていた。来る時に向けて練習などできない。ぶっつけ本番だ。

これほどの人命と責任を背負ったことなども無い。

全員助けて欲しいと夕凪に懇願されているから、やるしかない。


自分が第一で、自分のためだけに動き、他人の事は関わりが無いからと真っ先に切り捨ててきた。

何があっても自分の犠牲で終わるだけだった。

必死になって人を助けて死にそうになると、転移が別の世界に放り込んで、絆も何も絶たれた。


ピリピリしている神経を何とか宥めながら、アオの催眠もかわし、平静を装い、アオの病室に詰めていた。



夜になって、不意にアオの意識が細く流れ込んできた。


『手を握って?』


他意はなさそうだったので、古川はそばに行き、アオの痩せた手を取った。

握りしめると、返すようにアオの指がピクピクと動いた。


『死ぬのが怖い。寂しい。1人は寂しい』


ああ、これだ!

これこそ、アオがこの世界に固執する、本当の、心からの理由なんだ。


不意に、転移される時の気持ちを思い出した。

心が締め付けられるような孤独を、一人知らない世界に送られる不安を、いつも感じていた。


誰にも理解できない気持ちを古川とアオは共有できるのだ!


「寂しくない。僕がいる。ずっと一緒にいる」思わず言った。


『本当?祥一郎、ずっとだよ?』

「ああ、一緒だ。ちゃんとアオの側で手を握って見てるから」


『良かった。祥一郎が、居てくれて。嬉しいな』

「他に何かして欲しいことあるか?」


『…手紙…』


そこで途切れた。


「手紙?届けたらいいのか?」


時刻は午前0時を過ぎた。


古川はある予兆に気が付いた。

風が鳴っている。


「夕凪!皆を此処に!早く!」

夕凪は急いで戸を開けた。

催眠で呼び寄せ、外で待っていた元行方不明者達が雪崩れ込んで来た。


「古川さん!」

古川はアオの手を握ったまま振り返って頷いた。

「僕の近くにいて!固まって、お互い手を繋いで」

風の音が激しくなってきた。夕凪は古川に言われて窓を開けた。


天高く竜巻のように渦巻く風が近付いて来た。

間違い無く転移の風と似ている。

でも、古川の時はランダムに飛ばされるが、道が繋がっていれば、みんなその先の今の世界へ運べる!!


古川はアオに呼びかけた。


「アオ、僕はアオとずっと一緒だ!離れないから!手紙は僕とアオとで届けに行こう!アオが一番会いたい人だろう?だから一緒に帰ろう!」


『無理だ、もうすぐ僕は死んで、両親とここへ来る。また始まる。祥一郎も、一緒に』


「いいや、空間転移の風が来たんだ!僕は此処には居られない。アオを1人で置いていけない!一緒に行こう!入院患者はみんな死なせた。先生や看護婦も消えた。残るのは君だけだ!

此処はもう、ループせずに崩壊する!このままだとみんな別々の世界に飛ばされてしまう!」

『どうして…』


「言ってるだろう?アオと一緒に居たいんだ。アオだけなんだ、僕の孤独を分かってくれるのは!道を繋いで!君がやって来た僕らの世界へ一緒に行こう!手紙はどこ?」


『…テーブルの下の引き出しに、でも』

「夕凪!テーブルの下の引き出し!手紙を取れ!」

夕凪は急いでテーブルの引き出しを漁った。


「あった!封筒に入ってるよね⁈」


「絶対探す!どんな手を使っても!探す方法はある!任せろ!だから一緒に行こう!廃屋病院だけじゃ無い!他の綺麗な景色も見せたいんだ!アオ!世界を繋げて!お願いだ!」


アオの目に涙が浮かんだ。

『…わかった、繋ぐから、連れて行って!祥一郎、好きだ、ずっと、一緒に』

アオの今生の最後の一息が吐き出された。


廊下側の壁が光り始めた。

古川は片手を上げて貯めていた力を全て解放して、そこへ流す。

壁とその外にあったはずの廊下は消えて、先には蛇腹に光る道が続き、その光が部屋をも覆う。

古川がこちらへ来た時の光と同じだ。



脇道から車が入ってくるのが感覚で見えた。

黒いクラッシックな車を父親が運転し、後ろに母親とアオが乗っている。

車が病院に着いて、アオが降りたらお終いだ!


次第に、室内に風が入ってきて渦を巻く。


いつもは抵抗する風をさらに広げて部屋全体を包み込む。

周囲が白く消えていく。

早くしないと元に戻ってしまう!


転移の時のように、自分だけじゃない。

夕凪も、他の行方不明者達も、死んだ患者達の霊も、アオも。

古川ははっきりと宣言した。

「全員、元の世界へ連れて行く!!」

アオは暗示をかけなくても願いを聴いてくれたから、より力を運ぶのに使える!


古川はアオの手を改めてしっかり握り直し、片方は夕凪と繋いで残った力を出す。


眩しい位になった光が辺りを覆い、思わず目を閉じた。

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