第21話 神との対話 1

社を壊すなと迂迦が懇願するので、普通に訪れた稲荷神社で、対応した豊は朝ご飯に招待した。

後ろで尋常ではない殺気を放つ古川をなんとか押さえ、迂迦は応じたのだ。



古川は食べながら何度も夕凪を見たが、夕凪は気付いた様子も無くご飯を食べている。

ご飯は普通に美味しく、朝何も食べない古川でさえ箸が進む。



『参ったな。囚われて洗脳されてるとは言え、さっきの幼い感じの話し方もなかなか良い!』


豊は僅かに眉を上げた。


『食べ方もいつもより上品でちまちま食べてる。口の開け方が可愛いな。あー、餌付けしたい。口移しで』


古川に夕凪以外の皆の視線が集まったが、まるで目に入ってないかの様に夕凪を見ながら上品に食べている。

流はご飯が変な所に入ったらしく、赤い顔をして咳き込みながら必死で口を押さえていた。


『いつもながら、夕凪は美味しそうに食べるよなあ。いいねー。あの、膨らんだ頬をペロペロ舐めたい。いっそのこと、キスして口の中に舌を差し込んで、全部舐め尽くして食べてしまいたい』


紫都は食事の手を止めて、真っ赤になった顔で古川をぽかんと見ていた。


もぐもぐもぐもぐ…

『そして、優しく押し倒して、胸元を開き、袴の紐を解いてやって…』


豊は古川を睨み、迂迦が顔を顰めて箸を持った手をぷるぷる震わせている。

「古川、朝から、いい加減に―」


「ご馳走様でした」

全てをぶった斬る様に、古川は箸を置いてパン!と手を合わせた。

「美味しゅうございました」と夕凪だけを見て極上の笑顔を見せた。

「お粗末さまでした」と夕凪は恥ずかしそうに言った。


『あ"ー!カワイイ!!』古川が皆(夕凪以外)の頭の中で大絶叫した。


実際には何も声に出してないので、うるさいからと耳を塞ぐこともできなかった。


しかし、それ以降古川の考えを読む事は一切できなくなった。


わざとか!!


古川の心の声を強制的に聞かされ、夕凪以外の全員の顰蹙を買っていたが、古川は素知らぬ笑顔のままひたすら夕凪を見ていた。


全員が食べ終わり、夕凪がその後みんなにお茶を注いで回り、申し出た流と、紫都と三人で台所へ御膳を下げに行った。


「躾が行き届いてますね」古川は微笑みながら言った。

「短時間で」

「豊は得意だからの」宇迦が頷いた。

「150年は練習しましたからね」豊は宇迦を見据えた。


「だからって、人間の心や、わしの神使を好き勝手使いよって良い訳なかろう。しかも、わしがお主を助けたのに、成り代わろうなんて酷い裏切りじゃ。」

宇迦は悲しそうに言った。

「お前があの時、弱っていた理由を知っていた。好いた者を取られて自棄になって起こした災害のためだろう?もう、囚われるのは止めい。また、懲りずに人を巻き込むのか?あれから何十年経ったと思っておる!」


豊は静かに言った。

「お前の言う通りだ。だから何だ?

お前の神使達は本来持っていた欲望を、僕の手助けでほんの少し表に出しただけだ。

自分の気に入った子だけの望みを叶える手助けがしたい、もっと人間のように自由に暮らしたいと僕に願ったのだ。

僕には叶える力が有ったから、紫都も盛も従った。

流はどう見ても失敗作で、彼自身の望みも無かったから、要らなかった。お前が付いて行かなければな!」


「神は欲を出してはならん、お前はその弱い心につけ込まれて、穢れを受けてしまったのだ」


「穢れとは、此れのことか?」


目が金色に光りだした豊の身体から黒い霧が噴き出した。


「ちょっと待て、僕は関係ないだろ、お前らの諍い事に巻き込むなよ」

古川は不貞腐れて抗議した。


「お前達も穢れを受けてみろ。私のする事に文句は言えないはずだ」

と言われて黒い霧は二人をあっという間に包み込んだ。



真っ黒な霧が晴れると古川は見慣れた自分の部屋に居た。

目の前に夕凪が座っている。ただし、大人になっている。


腰を下ろして近付くと手を伸ばして来るので、喜んで抱きしめた。

「君の成長を見られて嬉しいよ、特に胸がいい感じ」

「もう結婚できるね。私の全部、古川さんにあげる」


夕凪が妖艶な表情で唇を重ねてきた。

古川はそのまま夕凪の口中を堪能した。

すると夕凪が古川の首に手を回して引き寄せ、二人は敷いてあった布団の上に倒れ込んだ。

「古川さんの好きにして」夕凪が耳元で囁く。


古川はクスクス笑い出した。

「これ以上は、僕にはできないよ。これって、普通の男の願望だよね」

古川は身を起こした。

「残念ながら、今まで誰にも性欲感じた事無いんだ。夕凪にもね」


戸惑う夕凪の頭を撫でた。

「可愛いけど、媚び売る夕凪は有り得ないし。面白そうだったから取り敢えず乗ってみたけど、他人感が増してきて、もう無理。付き合いきれない。さよならアダルト夕凪ちゃん」


古川はぎゅっと目を閉じ、パンパンと柏手を打ってから開いた。周りに黒い霧があるが手を伸ばして払うとそこから消えていく。


「人間に私の術が破れた⁈有り得ない」

「僕の修行は150年どころか、2、300年以上だ。お前なんか僕程度になるには、まだまだ足らんぞ」

古川は立ち上がった。


「何を言ってる?」

「どうせ信じないから、年月を張り合う必要は無いな。それより、夕凪を返して貰おう。お前は稲荷と対決でも取込みでも好きにしろ。夕凪はお前とは関係無い、夕凪は絶対僕のモノだ」


豊も立ち上がった。

「そのつもりだったけど、僕の役に立つ事が分かったんだ。このまま此処に居てもらうよ。本人も嫌がってなかったろう?」


「豊、いい加減にせい。どう見ても洗脳しとろう?」

宇迦は黒い霧に対して咄嗟に結界を張ったがその上から絡め取られて力を奪われそうになっていた。

押し負けそうになっていたところを、古川に残りの黒霧を払ってもらって、宇迦は己の不甲斐なさにイライラしながら言った。


「それに、僕なら君と違って永遠に夕凪と一緒にいられる。8年以内に消えてしまう事はない」


「8年がどうしたって?」

古川は無表情に豊を見た。

穢れより遥かに濃い、黒いどろどろした力が豊の脳内を侵す。

積もり積もった怨念のような力を出しながら能面の様な顔で対峙する古川に、豊は生きてきて初めて得体の知れない恐怖を覚えた。


豊は、それは古川に触れてはいけない事実だったと気付いたが、既に遅かった。


「夕凪の考えを読んだな?まあ、いいさ。仕方ない。

何故、それを、お前が勝手に決める⁈

夕凪と通じあって8年暮らすのと、人形の様に扱って洗脳が解けた挙句、永遠に嫌われるのとどっちが良いかわかるだろ?」


古川の目が茶金色に光り始めた。


「何にせよ、お前をこの世界から消すから、夕凪の事はすぐ忘れられるさ」



台所に着いた流は使った食器を流しに入れて、母と洗い物をしようとしていた夕凪に話しかけた。

「夕凪さん、帰りましょう。お母さんも連れて。お父さんが心配して待ってますよ」

「お父さん?私の両親は早くに亡くなってます。の兄だけです」

「豊兄が言ったのか」

「前からそうですよ?」


『最初から僕の事は除外か』

諦めていたので、別に悲しくもなかった。

『僕じゃ豊兄の洗脳は解けない。取り敢えず此処から出さなきゃ』


「流、俺の前で何勝手な事言ってんだ?お前は此処の下働きだろ?」

「紫都兄、僕は下働きだろうが何だろうが、稲荷様の神使だ。でも、夕凪さんと如月さん―夕凪のお母さんは人間だ。神使が人を拐かして良い筈無い!神使は神と人を取り持つ者だ。人を良いように使うのは、神使では無い」

はっきり言うと、流は力を巡らせた。自分の力が見える。

古川の元でも下働きの使いっ走りだったが、確実に古川の影響を受けて強くなっている!


「紫都兄は、古川様の言う通り、もう、今は単なる怪異だ!」

「ふざけるな!出来損ないが語るな!」


「出来損ないと言うな!」

流は兄に近付くと両手で突き飛ばした。


紫都は後ろに吹っ飛び、壁に激突した。

「紫都兄!」夕凪が叫んだ。


「操られてる紫都兄の方がよっぽど出来損ないだ!」


流は夕凪の方へ向き直った。

「夕凪さん、これ見て!」

流は気絶した紫都には構わず、耳と尻尾を出した。

「え?え?獣耳?尻尾?あなたは?」

「僕は流!僕も稲荷様の神使で、これが証拠です!後でいっぱい気が済むまでモフらせてあげますから、此処を出ましょう!此処に居ては、あなた達は人で無くなって永遠に出られなくなってしまう!」

「そんな!豊兄からはそんな事全く聞いてない」

「お願いだ、僕を信じて夕凪さん。夕凪さんは消えかけた僕を見つけて、助けてくれたんだ。今度は僕が助ける!」


夕凪は迷っていたが、流は夕凪の手を力強く取った。

「あなたは神影神社の、古川様の、巫女だ!」


夕凪はぎゅっとその手を握った。

「あなたは嘘は言わない人だと信じます。モフらせるの、約束ね?私、着いて行きます!」

「ありがとう、夕凪さん」


嫌がる母親を宥めすかして、台所の土間を出て3人で廊下を進む。

流は集中してグネグネと曲がる廊下から外に繋がる道を探したが、なかなか見つからない。

「おかしい、いつもと道が変わっている」


「こっちよ、あなた達」

後ろを大人しく着いてきた母親が、急に立ち止まって廊下の両脇に続く襖に手を掛けた。

「開けては駄目です!」

流は飛びついたが、一瞬遅く、襖は開いた。

3人は目に見えない力に吸い込まれるように中に入って尻餅をついた。



「流!馬鹿!余計な事しやがって!夕凪、下がれ!」

古川の怒り心頭に発する声がした。

先程朝ご飯を頂いた部屋だった。


ブワッと古川の殺気が膨れ上がった。

夕凪の母親は当てられて意識を失って崩れ落ちた。

流は母親と夕凪を庇って前に出た。

古川が茶金色に輝く目で流を射抜くように見た。全身も薄く金色に光っている。


宇迦はずっと集中して祝詞を唱えながら、白い輪のようなモノを豊に投げ続けている。

豊は何も感じてないようで、まるで効いてなさそうだ。


「流を責めないで。どの道連れてくるつもりだった。紫都はどうした?」

「昏倒させました」流は噛み締めるように言った。

「あんなに弱らせていたなんて。紫都兄まで消すつもりですか?豊兄のしたい事が僕らを犠牲にしなければ叶わないのなら、その望みは間違っています。神なら自らは望まず、人の願いのために自分を犠牲にしなければなりません!」


兄に意見するなんて初めてで、以前なら考えもしなかった。意見しようものなら手酷い仕返しが待っていた。暴力をやめて欲しいと懇願するしかできなかった。


「流、強くなったね。驚きだ。紫都の力を抜いたのは逆らわないようにだ。下働きは必要だから」


「はあ?昏倒?弱ってるならそのまま消せよ!」

古川は怒髪天を突くをそのままに最高に怒っていた。夕凪も誰も想像もしなかった。

「コイツの次にお前らも殺す!そこで待っとけ!」

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