第20話 それぞれの想い
「夕凪の間抜け!やっぱり連れて行かれたじゃないか!しかもお母様まで!さて、どうしようかな」
夕凪から、レストランに着いたとも帰るとも連絡が無いので、家に行くと父親が意識を失い、ガレージで倒れていた。車は無かったので、そのまま連れて行かれたと判断した。
父親を起こして、警察に通報した。
しかし、と古川は首を振った。警察には本当のことは言えないし、言っても信じてもらえないだろう。
「全く証拠が無い。夕凪とお母さんが攫われる理由もだ。僕達が怪しいと勝手に言ってるだけで、稲荷神社と夕凪との接点も無い。流と兄達の事も、何もかも明らかにできない」
「やっぱり僕達が助けないと!」
古川はにっこり微笑んだ。「勿論」
「どうやって殺ろうかな。盛と違って、なるべく長く苦しませたい。力を少しずつ吸い尽くして、順々に身体をバラバラにして頭だけぎりがり生かして吊るしとこうかな。黒丸達にちょっとずつ喰わす?いっそのこと稲荷を捕まえて彼奴等の目の前で消すのも」
「古川様落ち着いて!稲荷様は止めてください」
「お前は最後に殺るからな」古川の目はギラギラ輝いて、完全にサイコパスの様相だった。
「僕の大事なモノを奪った元凶だ。夕凪が何を言おうとお前も殺してやる。盛と同じやり方でいいか?」
既に敵認定になっていた。
「古川様…」
流は泣きそうになって震えるばかりだ。
その様子を見て、古川は長い溜息をついた。
「冗談だよ」
古川は低い声でぼそっと言ったが、全く信用できない物言いだった。
「取り敢えず、お前以外は殺すのほぼ確定だけどな」
「そんな、何卒稲荷様は―」
「ところでいつまで隠れてるつもりだ?」
古川は流の方へに右手を伸ばし、手のひらを向けた。
「え?僕は今回は行きますよ!」
流は慌てて言った。
「違う!流の中にいる奴だ!いい加減出て来い!じゃないと流を痛めつけるぞ」
古川は右手を流に近付けたまま、中空で何かを掴む動作をした。
「何の事…うぐっ痛っ⁈」
途端に流は胸を押さえて苦しみだし、思わず耳と尻尾が出てしまった。
「最終的には、流の魂を握りつぶす!」
「そ、ん、な、どう、して」
苦しむ流を見ながらも構わずに、古川はその動作を続ける。
「止め、い、痛い」
「僕さえ騙して!しかも無断で力まで奪っていきやがって!全くもって不愉快だ!ほら、早くしないと、流が全身の痛みと共に魂を潰されながら、死ぬぞ」
古川は流に向けて、優しくにっこり微笑んだ。
「まだまだ、もっと痛くなるよ〜いつまで持つかなあ?」
微笑む古川の手は震えるほど強く握りしめられて左右に撚りを入れている。
「た、助け、」流は膝から崩れ落ちて身体をくの字に曲げて痛みに悶えた。
「出て来い、稲荷!宇迦之御魂!」古川が更に左手を突き出して手元に引っ張り出す動作を加えた。
「ヤレヤレ、ヒドイナ。ヤメテクレ。ヨビステ、サレタノ、ハジメテジャ」
流の目がキラッと光って、声色が変わった。
ふふっと古川が笑った。
「やっとご登場か!この僕に手間を掛けさすな馬鹿神が!」
流の胸からは白い液体が身体の中から空に出されて丸まっていく。
そして、小さな人の形になった。
「なんだ、小っちゃっ」両手を下げると古川はあからさまに落胆した。
流の子供の時より、更に小さかった。
3歳位で、白い毛のおかっぱ頭で紅の目、白装束を身につけている。
夕凪が見たら、また可愛さにプルプルしそうだ。
「流、大丈夫か?本当に、お前は失礼な奴じゃな!」
その子は流暢に話しだした。
「稲荷様⁈僕の中に⁈」
流は痛みから解放されたが、ふらふらで稲荷の前に跪いた。荒い息で胸をまだ押さえている。
「これでも、今迄で一番大きいぞ。人の形になっておるし。以前は10寸足らずの白い玉だった」
「だから神使に社を乗っ取られるんだ」
稲荷神は地団駄を踏んで悔しがった。
「豊がいつの間にか、わしの力を奪って、閉じ込めようとするからじゃ!わしも豊に対抗しようと、紫都や盛を作ったら何故か豊の言いなりになってしもうて。
次こそはと、やっとのことで流を生み出したら、豊と豊に操られた紫都や盛に痛めつけられて出て行こうとする。
慌てて縋ったらお互い弱っとるもんだから、わしが中に入ってしもうたんや。そしてお主が力を入れるから、更に中に入り込んで出られんで。
でもお前が今引き出さなかったら、まだ出られんとこやった」
「流もお前も、お互い愚かすぎる」
古川は軽蔑しきった声で一刀両断した。
「真に悔しいが、返す言葉も無い」
「稲荷様、古川様、申し訳ございません!!」
流が稲荷神に向かって土下座した。
「ちっとも気付きませんでした。それどころか僕は逃げて消えようと思って社から出てしまって」
とボロボロ涙を溢し始めた。
「良い良い。お前を弱く生んでしまったわしが悪いのじゃ。ほんに苦労させたなあ」
「…ありがたいお言葉です」
「ちょっと待て!苦労したのは僕だし、迷惑かけられたのも僕。僕を敬え!
あいつ等より先に消し炭にされたくなければ、夕凪を無事取り戻せ。迷惑料をその後たっぷり貰うからな」
「お前本当に遠慮がないな。仕方ないのう、珠玉の玉を取られたのじゃから」
流はずっと土下座の体勢で稲荷に恐る恐る言った。
「稲荷様、古川様を人間として留めて置けるのは夕凪さんしかおられません。是非ともご協力を」
「何じゃコイツは。恐ろしいな。でも、わしとてお前と古川のお陰で力を取り戻した。流もわしが抜いてた分を取り戻したから力がだいぶ増えたぞ」
「ホントだ!ありがとうございます」
「今度こそ豊を封印する」
「はい!頑張って下さい」
「封印だと?生温い!粉々に消し飛ばすまでだ!」
古川は吐き捨てるように言った。
「それはできん!豊は、元々稲荷神社の近くにいた土着神じゃ。弱っとったのを助けたら、神使にしてくれと頼まれてな。他の兄弟達とは元から違う」
流は初めて聞く豊の秘密に愕然とした。
「豊兄が神様だったなんて!確かに強い神気を持ってるけど、稲荷様の最初の神使だから特別なんだと思ってた」
「甘ーい!」古川は喝を入れた。
「神だろうが何だろうが、抹殺する対象には変わらない。何かしたければ勝手にすればいい。僕は夕凪を取り戻す。僕の邪魔するモノは皆殺しだ!」
「僕は豊兄に一矢報いたい。でも、夕凪さんが最優先です」
「知るかよ!邪魔する奴がお前なら、お前も殺す!稲荷が中にいるのに気付かない間抜けは、豊に精々取り込まれないようにしとけ!」
「古川様」打ちのめされた流は項垂れて拳を握った。
「明日の朝出るからな。風呂入って寝る」
「お湯溜めてきます」
半泣きのまま流は静かに外へ出ていった。
「お前、ここに居るのか?」
「
「迂闊の『うか』な」
宇迦は反論するのを完全に諦めてため息をついた。
「今日はここに泊めてくれ。わしもお前さん達と共に社に戻る」
「本当にどうなっても知らんぞ」古川はちゃぶ台に突っ伏した。
「なるべくなら、紫都は消したくないが、無理か?」
「洗脳されてるんだろ?そんな余裕ない」
「頼むからなるべく生かしといてくれ。わしも豊に全力で当たる。もし取り込まれそうになったら」
じゃらっと台の上で音がした。
古川が少し顔を起こしてみると親指大の薄緑の勾玉が3つ並んでいる、赤い石で囲まれた首飾りが置かれていた。
「この首飾りをわしが消される時に流に渡せば、流がわしの跡を継げる。三つのうち一つでも勾玉を壊せば、わしと紫都と流は消える。元々4つ有ったんだが、お前さんが盛を消したからな」
「勾玉は御神体か。よし!盛は完全に殺せたんだな!僕に渡せば直ぐにでも壊すだけだぞ」
古川は意地悪く言った。
「豊はそこにはおらん。豊を封印して、夕凪さんを取り戻す迄は要るであろう?」
古川は上半身を起こした。
「僕に渡したのは何故?」
「お前が残る可能性が一番高いからだ。豊に取り込まれる事だけは避けなければ。彼奴は進んで邪神になりつつある。わしを完全に取り込めばより力を得るから、何をするか分からん」
「面倒臭い!僕には厄介事ばかり押し付けやがって!」
「是非とも協力して欲しい。夕凪さんはお前と同様の力がある。お前より御し易いから支配しようとする。奴の精神支配は強力だぞ。逃れられないだろう」
「夕凪には万全の対策をしている。最悪洗脳されて元に戻せなくても、上書きはできる」
「それは望むところでは無いだろう?」
「さあな?できるなら、大人しい子にしたいね」
古川は立ち上がって、うっそりと笑った。
「お前という奴は、ほんに読めんの」
流が戻ってきた。
「古川様、風呂の用意ができました」
「そう、じゃ入ってくる」
古川は着替えを持つと風呂場へと出て行った。
「あ、こら、コレを置いとくな。首から下げとけ」
「えー嫌だよ。邪魔だ」
宇迦は古川に向かって首飾りを投げると、直ぐ古川の首に掛かった。
「おい!」
「誰にも分からんようになっておる。存在を望めば実体化する。いつも付けとけ」
古川は首を押さえたが何も無いようだ。
ため息を吐きながら、後ろ手で手を振り出て行った。
「稲荷様、今のは御神体⁈」
流は真っ青になって宇迦に詰め寄った。
「あれを身に付けると神になってしまうのでは?」
「唯の人間なら神にはならんよ」
「古川様は普通の人間ではありません」
宇迦は流の顔の高さまで浮かび上がると、安心させる様に流の肩をポンポンと叩いた。
「そうだな。並行世界を死ぬ事無く彷徨っておるうちに、力が積み重なってエライことになっとる。我々この世界のモノは、彼奴が26歳迄に強制的に違う世界に転移するから、救われてる。行幸だ」
「え、転移?26歳迄に?では、夕凪さんともその時お別れに?」
「そうだ。夕凪さんはこの世界の住人だからな。古川本人も理解している。なのに、あの執着。最早狂気の域だ。我々は彼奴の狂気を止めねばならん」
「そんなの無理です」
「無理でもだ!お前は豊への復讐より夕凪さんを奪い返して守る事だけ考えろ」
「わかりました。でも御神体を渡すのはやり過ぎでは?」
「気にするな。万が一の対策を取ったまでだ」
宇迦は欠伸をした。
「わしは寝るから布団を敷いてくれ。お前と一緒の布団でいいから」
「そんな、恐れ多い!」
「一晩だけだ。寝ている間にお前へ術を一つ渡して使えるようにしておくから」
「心強いです。ありがとうございます」
古川は湯船に浸かって、ふう、と息を吐き出した。
「迂迦め、丸聞こえじゃないか。と言うか聞かせるなよ、馬鹿迂迦!」
やたら湯を掬っては溢す、を繰り返した。
「僕は夕凪さえ居ればいいんだ」
今迄の転移した世界の人や物に未練は無かった。何も欲しく無かった。
なのに、夕凪は僕の特別だ。
夕凪だけが、僕をわかってくれる。
夕凪はふと、目を覚ました。周りは薄暗い。
『ここ何処?古川さん家、じゃないよね』
寝返りを打ったら目の前に豊がこっちを見ていた。目が光っている。
夕凪は悲鳴を飲み込んで目を閉じた。
「ここは稲荷神社の僕の部屋。まだ夜半だよ?トイレかい?」
「違います。早く寝過ぎたんです。豊兄は寝てなかったの?」
言いながら首を捻った。豊兄?何で私はそんな呼び方してるの?
「明日は、もう今日だけど朝からお客様がいらっしゃるから忙しいんだ。夕凪ちゃんにも手伝って欲しいな。人手が足りないんだ」
「手伝える事があるなら。でも―」
「食事の支度だよ。配膳とか」
「それならできると思うけど自信無いよ」
「大丈夫。それより、そっち行っていい?」
「え、何て言ったの?」
夕凪が聞き返してる間に、豊は夕凪の布団にするりと潜り込んだ。
「嫌だ、近付かないで、危ない」
夕凪は飛び起きたが、豊に捕まって抱きしめられた。
バリバリっと音がして豊が呻いた。護符が発動したのだ。
「離れて!だから危ないって言ったのに」
モゴモガと夕凪の続きの言葉は更に抱きしめられて言えなかった。
豊の身体が震えて、焦げ臭い匂いがしてきたが、離そうとしない。
しばらくして
「守りと護符が、無くなったね」
と少し息を荒げたまま豊が言った。
『こんな事までするなんて!』
拘束から逃れようと残った力をぶつけようとしたが、それより先に夕凪の身体から力が抜かれていく。
『マズイマズイマズイ…』意識がぼんやりしていく。
目を閉じてくったりした夕凪を抱えて耳元で囁いた。
「僕は君の一番上の兄、豊兄だからね。巫女としても、よろしく」
『何言ってるの?』
豊は夕凪の髪の毛を手で軽く梳きながら言った。
「前からだろう?僕達兄弟は力を合わせてやってきたじゃないか」
夕凪は耳から頭の中に緩く響く声に頷いていた。
『そうだったかな。私は何もしてない』
「大丈夫、夕凪はこれから一番役に立つのだから」
豊はうっとりして夕凪の顔を両手で挟み込んで顎を上げさせた。
夕凪にいくら加護があろうとも、破ってしまえば、人間は弟達より簡単だ。ゆっくりと洗脳しても朝までなら充分だろう。
「花梨とは全く違うけど、また違った魅力がある。この力とか、ね」
花梨。久しぶりに声に出して言った。
遠い昔に亡くなったのに、今だに忘れられない僕の半身。
まだ、僕が弱いながらも神だった頃。
親無し子になった彼女が、村人からの心無い中傷や暴力から逃げてくるのを保護している内に好きになった。
花梨が長じて深い仲になり、嫁として迎える準備までしていた。
だが、暴れ川の氾濫を防ぐ為と、人柱として、橋の袂に埋められてしまった。
僕はなけなしの力を全て使って彼女を助けようとしたが叶わず、動揺して暴走した力は洪水を起こしてしまい、結果村は流され、村人は全て水死した。
そのまま力尽きて終えようとした折に、定住する場所を探しにきた稲荷に咄嗟に助けを乞うて神使になった。
そして、神として復活する為に、少しずつ力を奪っていった。
花梨の生まれ変わりを探す為に。
しかし、それから150年を経ても、彼女は生まれ変わって来ない。
夕凪が神社に現れた時、彼女の持つ力に興味を持った。
怪異や霊を引き寄せる力。退魔できる力。
彼女の力を使えば、リスク少なく花梨を引き寄せられる!
直ぐには無理でも、手元に置いて力を与え続ければ見つける事もできるかもしれない。
諦めてかけていた事が叶えられるかもしれない。
僕は嬉しい予感に有頂天になった。
もし、役に立たなくても、稲荷を吸収して神に戻れたら、ずっと永遠に置いて仕えてもらおう。僕の神使として。
早朝。
「如月さん、これ運んで良いですか?」夕凪は自分の母親をそう呼んで、並んだ小鉢を指差した。
「あ、待って、これ乗せてから、はいOK」
母親は特に気にせず、一心に鍋から小鉢に分けていっている。
夕凪は盆の上にせっせと小鉢を乗せていく。
「夕凪ちゃん、いっぺんにしたら危ないよ。分けて良いから」
「はーい、豊兄。お櫃は最後?」
「後で僕が持って行くよ」豊が言った。
「熱ーい!茶碗蒸しできたぞー」紫都が蒸器の茶碗蒸しに串を刺して言った。
夕凪と母親は割烹着を着て三角巾を付けている。その下は、母親は昨日と同じ服装だが、夕凪は普段用の斎服だ。髪は一つに括ってヘアゴムの上から赤い組紐が蝶々結びされている。
バタバタと土間の台所を動く様は、昔からそうやって食事の準備してきた仲に見えた。
やがて、全ての朝ごはんの支度を終えた。
土間の横にある12畳ほどの和室には、上座と下座に各3つずつ足付膳が並べられ、席に着いた。
上座には宇迦、古川、流。
下座には豊、紫都、夕凪。
「拙いですが、我々が心を込めて用意しました。召し上がって下さい」
豊が涼しげに微笑んだ。
「夕凪にも手伝わせたのか」
無表情のまま平坦な口調で古川が言った。
「ええ、自ら進んでね、そうだろう?夕凪?」
「はい、不慣れですが、豊兄や紫都兄、如月さんに手助けしてもらって」
夕凪はいつもと違ってゆっくりと静かな口調だ。
「如月さんは何処に?」流は恐る恐る尋ねた。
「後片付けしてもらってます。食事は後で良いと」
と、豊が答えて流を見ると、慌てて視線を避けた。
「では、どうぞ召し上がれ」豊は言うと汁物を手にした。
「「頂きます」」紫都と夕凪の声が重なった。
古川達は躊躇していたが3人が普通に食べてるので、自分達も「頂きます」と言って食べ始めた。
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