第19話 蠢く
「今日はお母さんの誕生日で、外に食べに行くのは毎回決まってるから、仕方ないよ。前から予約もしてるし」
夕凪は電話で不貞腐れて古川に言った。
「こんな時期に、しかも夜!襲ってくれって言ってるも同じだ」
古川は低い声で応えた。
「一人にならないようにするし、護符も多めに持ってくから」
「それは当たり前だ。それが神使に効くかどうかもわからないのに、よく平然としてられるね」夕凪も古川が不満有り有りなのはわかる。
「心配だけど、だって…」
古川はため息をついた。
「今の所、何の動きもないけど、相手の意図が読めないから油断できない。と言って夕凪を拘束したいんじゃない」
「うん」
「だから、夕凪に何かあったら直ぐに駆けつけるから。どんな状況下にあっても、僕がいる事を忘れないで。僕は強いから滅多な事で傷つけられたり、死んだりしないし、この世界にいる限り夕凪を守る。わかった?」
古川の改まった口調に夕凪はいつも安心する。
「わかった。古川さんを信じてる。何も起こらないで欲しいけど」
「じゃあ、行っておいで。お母さんに、お誕生日おめでとうございます、素敵な夕凪ちゃんを産んで育ててくれてありがとうって言っといてね」
「ふふっ、伝えとくね。ありがとう、古川さん」
それから少し他愛も無い話をしてから電話を切った。
こんな時じゃ無ければ、もっと純粋に母の誕生日を祝えたのに。夕凪は歯を噛み締めた。
誕生日の夕食会は、車で10分位のところにあるレストランだ。家族の誕生日の他にも時々食事に行くので、店長と顔見知りになっている。
今日は特別なケーキと父があらかじめ持って行った花束を用意してもらっている。
父が嬉しそうに、こっそりと夕凪に教えてくれた。聞いてる夕凪がくすぐったい気持ちになる。
父が車を出しに先に出て、夕凪と母はその少し後に出ると、玄関横に車が停められていた。
母は助手席、夕凪は後部座席に乗り込んだ。
「じゃ、行くぞ」
車は静かに発信した。
夕凪は新学期が始まって、文化祭で文芸部が展示と販売する作品の話をした。
母は夕凪の作品を全て見ていたが、文化祭用のものはまだなので楽しみにしてると言ってくれた。その他にも隣の人事件(と夕凪達は呼んでいる)の後仲良くなった村雨の事や、そのほかの子達の話をした。
「もう直ぐだよね?お父さん」
父が話に入ってこないので話しかけた。
「もう少しだ」
夕凪は何気なく外を見た。
レストランは家の側の住宅街を抜けていく道で、そこからは大通りを経て違う住宅街を入った外れにある。
だいぶ経つのに、まだ次の住宅街に入るはずの大通りの道をまだ曲がっていない。
「お父さん、行き過ぎてないよね?」
「大丈夫。もう少し先だよ」
「そっか」
父に言われたら否定はできない。
母とも会話が途切れたので、何となく外の景色を眺めていた。
『何だろう?でも、この道は覚えがあるし』
何故か段々不安になってきた。
「お母さん」呼びかけたが何も言わない。
「お母さんは寝てしまったようだ」
と父が返事した。
「直ぐなのに」
「そうだな、疲れていたんだろう。夕凪は寝ないのか?」
「今日のお父さんの仕込みが気になって寝るどころじゃないよ。不必要にニヤケないよう必死で顔押さえてる位」
「そうか、それは」
夕凪はもう一度外を見て、一気に青褪めた。
「残念だったな」
稲荷神社への道だったからだ。
「着いたぞ。降りろ」
男はぶっきらぼうに言った。
稲荷神社の前だった。
いつの間に催眠に掛かっていたのか、どうして気付かなかったのだろう。
男と父とは全く似てないのに!!
「嫌です。お父さんとお母さんは何処?」
「父親ならガレージ、母親は今、この助手席で眠っている」
夕凪は後ろから助手席に飛びついた。
「お母さん!」覗き込むと首を横に傾けて目を閉じている母がいた。何度も呼びかけて揺すってみたが、反応は無い。
「お母さんは本物なの?」
夕凪は運転席の父だった筈の男を睨んだ。
「さすがに二人を演じるのは無理だ」
「あなたは流のお兄さん?」
「紫都だ」
二番目の兄、紫都は軽薄な笑みを浮かべた。
「降りなくてもいいけど、母親は連れてくぞ」
紫都は車を降りると反対側のドアを開け、母親を抱え込んだ。
慌てて夕凪もショルダーバッグを肩から斜めに掛け、車から出て、紫都の袖を強く掴んで引っ張った。
「何だ?」
「お母さんは関係ない。私達の事情は、何も知らないの。私が居ればいいでしょ?帰してあげて」
1人残されるのは本当は泣きそうに怖いけど、必死に言った。
「豊兄が言うには、お前は直ぐ逃げるから、コレは足枷だとよ」
せめてお母さんだけでも、と思う気持ちはすぐ打ち砕かれた。
紫都は夕凪を払い除けるとスタスタと神社の境内に入っていく。
すぐ逃げるって、あの縁日のことを指しているのだろう。古川さんの言う通り、本当にあの時既に私も狙われていた。
確かに、母は足枷だ。眠らされているお母さんを連れて逃げる事もできない。逃げても直ぐに感知されるだろう。重く沈む心で紫都の後に付いて行った。
境内の突き当たりの正面にある神殿の下にたどり着くと紫都は止まった。そこから階段を4、5段上がると中と同じ高さになる。
『また来てしまった』
正面の格子戸が、開いた。
「今晩は。待ってたよ。また会えて嬉しい。靴を脱いで上がっておいで」
麗しい顔の長男、豊が上から顔を見せて促した。
前から約束していたみたいな軽い物言いに腹が立つ。
「私は全く嬉しくない!」
どうせ心を読まれると思って口に出した。
「正直な子は嫌いじゃないよ」クスクスと笑いながら向こうへと姿を消した。
夕凪は躊躇したものの、紫都が踵が潰れた靴を脱いで上がっていくのを見て、仕方なく後に続いた。
靴は手に持ったが「置いとけ。後で片付ける」と紫都に言われて、仕方なく下に置いた。
「どうせ処分するんでしょ」
「置いておくって言ったろ」
紫都は母を抱えたまま、祈祷台の横の奥にある続きの廊下へと歩んでいく。
廊下は薄暗かったが見えないことはない。長い廊下を何度か曲がり、幾ら夕凪でも、おかしいことに気付いた。
「こんなに奥行き無かったよね」
「そうだ、ここは異界だからな」
「えっ!私は帰れるのでしょうか」
紫都は意地悪そうに言った。
「豊兄が巫女として雇うってさ。お前の力が欲しいんだと」
ムカムカと怒気が上昇してきて思わず叫んだ。
「何それ?ホント腹立つ!勝手に連れてきて!人を何だと思ってるのよ!神使が聞いて呆れるわ。ちょっと顔が良いからって図に乗ってんじゃない!」
紫都は無表情のまま何も言わずに夕凪を左の部屋の襖に紫都の身体で押し付けた。
するとそれが勝手に開いて、襖で仕切られた和室の中に押し込められた。
「ちょっと!」
夕凪だけを部屋に残して襖は閉められ、母親は連れて行かれてしまった。
夕凪は閉まった襖を開けようとしたが、引いても押してもびくともしない。周りも普通の襖のようだが、試していっても一つも全く動かない。叩いても壁のようで紙と木枠らしい弾力が無い。
最後に蹴りまで入れたが、ついに諦めた。
中は20畳以上有りそうな畳部屋で、部屋の隅の方に置かれた腰ぐらいの高さの屏風の向こうに布団が二組敷かれていた。
真ん中に一枚板で作った木目の美しい天板がついた長方形の足の低い机と座布団が2枚。それしかなかった。
バッグは取り上げられなかったので、中の携帯をすぐ見たが、案の定圏外だった。
「お母さん、後で連れてくるのかな」
とりあえず、座布団を拝借して座ったが落ち着かず、美味しい夕食を食べる予定だったのを思い出すと、お腹がクゥと鳴った。
本当に酷い。怒りが再燃してきた。
どうして、今日という日を選んだのか。とことん夕凪に嫌がらせするつもりだろうか!
そして、更にイラついたのは、トイレに行きたくなってきたからだ。
イライラが最高潮に達して、ヤケクソになって大声で言った。
「私はただの人間なのよ!こんな所に閉じ込めて!せっかくのお母さんの誕生日ディナーを、あんた達のせいで食べ損ねて、お腹空いてるのに!トイレ行きたいし!お風呂も入りたい!豊!紫都!聞いてるんでしょ⁈何とかしなさいよ!ここでトイレして屏風齧ってもいいの⁈」
『もう少し待っててくれる?今ご飯用意してる。トイレも風呂も案内するから、そこで粗相しないでね』
豊の声が頭に響いてきた。
夕凪は少し我に返ってちょっと恥ずかしくなった。
此処に来たら思い切り文句言うつもりで待ち構えた。
それから間も無く、一枚の襖がスッと開いて豊が片手で大きな盆を持って入ってきた。もう片方には布を持っている。
「待たせてごめんね。お勝手使うの久し振りで、ちょっと手間取ってしまった」
襖は豊が入ると勝手に閉まった。夕凪は豊が入ってきた襖に素早く近寄って引いてみたが、全く動かなかった。
「どうして?」腹立ち紛れにバンバン叩いたが手が痛いだけだった。
「ここは異界だと紫都に言われなかった?外へは僕達がいないと繋がらない。僕達のテリトリーだから逃げ出そうとしても無駄だよ」
豊は夕凪の行動を諌めることも無く、食事を机の上に置いていた。よく見ると二人分ある。
「そんなの信じない。早く出して!」バッグを下げたまま、豊から充分に距離を取る。
豊は座布団を机を挟んで対に置き、一方に座った。
「お腹空いてるのでは?冷めない内に頂こう。精進料理しか出せないけど、無いよりましでしょう?」
豊は静かに夕凪を見上げて言った。
「まさか、あなたと一緒に食べるの?」
「僕は自分の部屋で食事を取るからね」
「ええっ⁈ここ豊の部屋なの?」驚き過ぎだが、気にしてる場合では無い。
「ほら、食べよう?ね?」
口調は優しいが、頑として妥協してくれない。
「お母さんは?」
「別の部屋で休んでる。紫都の催眠が効きすぎて、まだ起きないんだ」
「生きてるよね⁈」
「当たり前じゃないか。神使は人の命を奪えない。起きたら会わせてあげるから、ね?」
母親が無事だと言われ、少し安心した夕凪は緊張による疲れと空腹に耐えかねて、嫌々豊の向かいに座った。
「頂きます」
「…頂きます」
精進料理など食べたことない。食べ物を残すのは良心が咎めるので完食した。肉類が全く無いのに意外とどれも食べられた。向かいに豊が居なければもっと美味しかったのに、と夕凪は思った。
思いは筒抜けだったようで、「ごめんね」と謝られた。
「もういいですから、心を読まないで下さい。下品です」つんとして言った。
食後にトイレへ行きたいと言うと、違う襖が勝手に開き、その先はトイレだった。
「もしかして、お風呂は?」恐る恐る聞くと、また、違う襖が開く。覗くと奥に曇りガラスの戸が見えた。
「もう入る?」
「…入りたい」
豊が食事と共に持ってきたのは綿生地の浴衣と帯だった。
「ここは汚れないけど、後で今着ている服洗ってあげるよ。良ければ下着もね」
「そ、それは…そのまま取られるのは困る」
「大丈夫、綺麗にして返すよ」
夕凪は悩んだ末、洗濯機で洗うと聞いて下着以外預けることにした。
いつまでここに居るのか聞いても「いつまでも、どうぞ」と言われるだけだったからだ。
浴衣の着方を教えてもらって、ガラス戸を開いて覗いてみた。
湯気が顔にかかる。
「露天風呂だ、幻かな」夕凪は中に一歩踏み出した。
手前にシャワーする場所があり、奥が岩風呂で、その向こうは庭園が広がっていた。
「ここまで幻を作る?凝りすぎでしょ」夕凪は服を着たまま岩風呂へ行き、しゃがんで湯に手を入れてみた。良い湯加減で、お湯で手も濡れた。
『心配しなくても、本物だよ?』豊の声が頭に響く。残響が残って少し不快だ。
夕凪は迷った挙句、入る事にした。カゴに着ていた服を入れ、カゴに入っていた身体を洗う手拭いと石鹸を持って入った。バッグは中に持ってきた。
身体を洗って湯船に浸かったら、気持ちよさにため息をついた。
外の庭を眺めながら、すっかり寛いでる自分に気付いた。
『古川さんと流、心配してるだろうな。古川さん怒って、いやブチギレてるだろうな』
夕凪は古川の全力を知らない。長く生きてきた割に気が短い古川の暴走が恐ろしかった。稲荷神社そのものを潰しかねない。
豊達はその事をわかってるのだろうか?
「どうでした?湯加減は?」襖を開けると机に座っている豊が見えた。お茶を飲んでいる。
「良かったです。お先でした」渋々言った。
「あなたは冷たい麦茶の方がいいでしょう?こちらへどうぞ」
豊は言いつつ夕凪に近付いた。
「何?」夕凪は警戒して後退した。
「髪を乾かしてあげようと思いまして。背中を向けて」
「無理です」
豊は少し首を傾げてから元に戻した。
「成る程、背中を見せるな、ですか。躾が良く行き届いてますね。では正面に立って下さい」
夕凪は恐る恐る近付いた。好奇心と、髪の毛が濡れたままなのが嫌だった。
豊は両腕を伸ばすと、そっと夕凪の髪の根本を持ち上げた。ふわっと暖かい風が髪の毛の間を通り抜けた。
「はい、乾きましたよ。艶があって綺麗な髪ですね」
と頭を撫でられた。
髪の毛は完全に乾いた筈だがゾワっと悪寒がした。思わず後ろに下がろうとしたが、浴衣なので足捌きが上手くできない。
白い袖が目の横を通る。思わず手に持っていたままのバッグを取り落とす。
「可愛いですね。ずっと此処にいて下さい。あんなのより、僕の方が優しいですよ」
「どこが!流、あんなに怖がってたのに!」
文句を言うと、覆うように抱かれていた。
「彼は出来損ないですから。あなたはここに居る価値が大いにある。此処の巫女になって下さい」
「嫌です!こんな訳わからない空間で、あなた達と…」
こんな時なのに、一瞬気が遠くなった。
しまった!護符もお守りもバッグの中!
「そうそう、これを待ってたんです。大丈夫だとは思いますが、進んで痛い目に合いたくないですから」
頭の中がふわふわしてくる。
今の所私も何も痛い事されて無いし、どちらかと言えば快適。しばらくは大丈夫そう。そのうちホントに巫女として働かせるんだろうな。二人も居ないもんね。
お母さんは大丈夫なのかな?不甲斐ない娘でごめんね。必ず助けるから。
古川さんは、あーもう!また怒られ案件が増えた!あの得意げな顔でねちねち説教されるの腹立つんだよ〜。
古川さんの説教は正しい事言ってるから逆らえないんだよ。
そして私はイケメンに弱い説が補完されて、またいやらしい仕返しが待っている!
「それは絶対嫌!」
頭を振って意識を保つと、夕凪はなるべく上体を逸らしてから、両手で力を込め、豊の胸を思い切り押した。
ピリッと刺激があったが、抱擁から脱して豊は2mほど後ろに飛ばされてよろめいた。
「あれ?見かけより、弱っちい?」
夕凪は急いでバッグを拾い上げ、中から護符を2枚取り出して折り畳まれたそれを胸の合わせに差し込んだ。
「そんな事はありませんよ。油断してしまいました。あなた自身の力を過小評価してたようです」
「そんなの大した事ないよ」
「催眠もかかりにくいようです」
「古川さんにしょっちゅうかけられては逃げてるので慣れてます」
「独占欲の強い男と付き合うのは大変ですね」
「付き合う、はあなたが思ってる意味と違うと思うけど、そうですね」
「取り敢えず、もう何もしませんから休みませんか。お疲れでしょう?」
「もしかして、寝るのもあなたと一緒?」
「そうですよ。ここは僕の部屋ですから」
「冗談でしょ⁈他の場所がいい!」
「僕の居ない部屋だと、どこが違う場所に行ってしまう事があるので、お勧めしません」
何それどんな部屋だよ!
「う〜。じゃあ、布団の位置変える!」
「僕の横で寝て下さい」
いやと言おうとした夕凪は意図せず強烈な眠気に襲われた。
『しまった、目を合わせ―』
夕凪の足が勝手に敷いてある布団の方へ向かう。
「触れないと不便ですけど、完全に催眠がかからないのでは無いんですね。僕の近くにさえ居れば、護符の効果も切れます。もうちょっと言う事を聞いてくれないと」
『お休みなさい、夕凪さん』
豊は布団の上でうつ伏せになって目を閉じている夕凪に屈み込んで耳元で囁いた。
『お休みなさい。豊兄』
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