第15話 逃亡者
夕凪は文芸部を満喫していた。
長い文章を書くのが苦手で、散文とイラストがセットになった作品を作っている。美術の先生が時々来てくれるので、その度にしつこくアドバイスを貰い、漸くイラストを一枚描き終わった。
そこからイメージして文章を添える。言わば空想絵日記だ。
上手い下手ではない!と自らを慰めて完成できた達成感に包まれながら帰宅の途についていた。
神社が見える位置までやって来たら、鳥居のすぐ前に人影があった。
『また古川さんが待ち伏せしてる』
お菓子かな?依頼かな?とぶつくさ呟きながら近付いた。
だが、近付くと全然違った。
小学校3、4年生位の男の子だった。
俯き加減で鳥居の前で三角座りをしている。薄汚れ、擦り切れた肘、膝までの長さの灰色の作務衣を着て、素足に草履をつっかけていた。
立ち止まったままよく見ると、男の子が剥き出しの腕や足のあちこちにあざが浮き出ており、荒い息をしている事に気付いた。
夕凪は急いで声を掛けた。
「どうしたの⁈大丈夫?」
男の子は夕凪の方を見上げて、驚いた顔をしていた。
夕凪もギョッとした。
男の子の目は黒く、くりっとして丸い。
だが、その片目の周りは黒ずんでおり、頬は腫れ、唇が切れており、顔色も悪い。
ますます放って置けなくて、その子の肩に軽く手を置こうとした。
途端に手と肩の間にピリッと静電気が起きた。
普通のより痺れるような痛さで、思わず手を引っ込めてしまった。
「お姉ちゃんが一緒に行くよ、病院行こうか。一旦家に帰った方がいい?近所かな?」警戒させないように明るく言った。
「ウチは、遠くだし、絶対帰りたくない」
吐き出すように大きな声で言った。
この様子じゃ、そうだよね。夕凪は適当に声を掛けたのを後悔した。
「やっと逃げてきたんだ。でも何処に行けばいいか、わからない」
男の子は俯いた。
何と言えばいいかわからなくなった。
『困ったな。警察に連れてって、お任せした方がいいよね』
すると神社の階段の上からたん、たん、と音が近付いてきた。
「やっぱり来た」
「それに触れるな夕凪!」
袂と髪を靡かせて古川が二人の前に着地した。
「また、捕まってる」
会うなりため息を吐かれた。
「本当に油断も隙もないな。どうして声を掛けたんだ?お互い認識してしまったじゃないか」
男の子は驚きで目を丸くして古川を見ている。
「凄い力だ。あなたは人間なのか?」
男の子は若干震えながら言った。
夕凪は二人を見比べた。
「うぇっ、この子も人間じゃ無かったの⁈」
「"も"?」
「古川さんも、充分人外です」
「酷いな」
古川は男の子に気にも止めず、張り付いた笑顔で夕凪へ言った。
「コイツ、神社に入ろうとして僕の結界に弾かれたんだよ。だから、そのうち他所へ行くだろうと放置してたのに、夕凪…帰り道は気を付けてって、いつも言ってるよね?」
「あー、すみませんね!お手数かけまして!」
と夕凪はむくれた。
「こんな可愛い男の子が怪異とか思えないよ!」
「はあ?可愛い?こんな怪我も治せない弱々チビが?」
古川は相変わらず男に対して辛辣だ。年齢は関係無いらしい。
「古川さん、弱ってる人に追い討ちかけるの止めてあげて」
再び男の子を見下ろして驚いた。
先程までなかったのに男の子の頭に白い毛の生えた三角の耳が出ており、お尻には同じ色の尻尾が出ていて力無く垂れている。
「こ、古川さん、
夕凪は驚きの後、可愛さの余りぷるぷるしながら指差した。
男の子はハッとして両耳を手で覆ったが消えなかった。
「僕が来たから化けてんのが取れて、余計実体化されたんだ。お稲荷さんの神使だろう」
「お稲荷さんの神使、てことは、この子、狐なの?」
「本当に狐じゃなくて、狐に似た怪異だ。稲荷神社なんて、近くに無いから結構遠くから来たようだ」
「それで具合が悪くなったの?」
「元々神力が余り無いのに僕の結界に当たって余計に弱ってるんだよ」
「神社なら休めると思ったんだ。まさか入れないなんて」俯いて弱々しく言った。
「よその神社に本神の許可なく入れるかよ」
「ごめんなさい」
古川は夕凪の肩を後ろから押した。
「はいはい、帰った帰った!関わっちゃダメだ、碌な事にならない」
「このままにするの?」
「こんだけダメージ受けてるんだ。そのうち消えるよ。稲荷の社に戻らない限り」
「そんな!」
「あんな所には帰らない」
立ち上がった男の子の足先の前にポタポタと落ちてくるのは涙だ。
古川は呆れて投げやりに言った。
「でも、お前が生まれた場所だよ?離れたままじゃ、本当に消えてしまうだけだ」
「いいんだ!どうせ彼処に居たら、兄達に消されていた。兄達から酷い目に遭わないだけ今の方がましだ」
うーん、どうやって夕凪を遠ざけるか、唸りながら古川は夕凪の方へ視線を向けた。
彼女は泣いている男の子にオロオロしながら持っていたミニタオルで顔をそっと拭いてやった。
「古川さん…」彼女の大きな瞳が潤んで見返した。
古川が目を逸らした。本人には秘密だが、夕凪のこの表情に弱い。
夕凪以外絶対関わりたく無い。いずれ別れる世界に深く関わると、辛くなるのは自分だ。
男の子が消えるとしても、数年単位かもしれない。
その間に転移が起こったら結局この子は一人で残される。
夕凪も、古川がいなくなれば、彼からの影響が消えて怪異を見る力を失うだろう。そうなった時また居場所が無くなり、どうせ消える。
「これは早期解決が望ましい」
古川は無感情に言った。
「虐める兄達がいなくなれば、元の神社に居れるだろう?お前が回復次第手伝うから、全員殺ろう!」
それでいいよね?と古川は面倒くさそうに両手を叩いた。
夕凪は慌てて首を横に振った。
「短絡的過ぎます!古川さんが退治しちゃったら、もう二度と蘇らないんでしょ?いくらなんでも神の使いをやっつけたら怒られますよ!」
「あんなの、怪異と変わらないよ」
しれっといつも通り不敬な発言だ。
「いやいや、それとは違う。仮にも兄弟だし消しちゃうのはちょっと…話し合いで解決できないかな」
男の子は首を激しく横に振った。
「アイツら相手に、そんなの無理だよ。力強いんだ。しかも、躾とか言って、僕に酷い仕打ちするんだ。寄ってたかって叩かれたり、蹴られたりして、気を失ったら水かけられて、裸で木に縛られて放置されるのもしょっちゅうだった。ご飯だって僕が作ってるのに何回もメシ抜きにされて。
お稲荷様に言いつけたらもっと酷い目に合わすって!あいつら、僕を欲求不満をぶつける玩具としか思ってないよ」
「それ神使のすること?酷すぎる!やっぱり、退治してもいいよ、古川さん!」
夕凪は一転して考えを変えた。
「強いのか」古川は憮然と言った。
「うん、兄は3人もいるし、みんな僕より遥かに大きいし強いんだ。逆らうのは無理だよ」
「お前は弱々だから全く参考にならないけど、神使3人か…ちょっと厳しいかも。一人ずつ誘き寄せたら、いけるかな?」
男の子は泣きながらも無理矢理笑顔を作った。
「ありがとう、気にかけてくれて。あなた達に迷惑掛けられない。どうでもいいんだ。どうせ僕は『余りもの』だから、この世から消えても何の支障も無いし」
「そんな事思っちゃ駄目!」
夕凪ははっきり大声で遮った。
「生まれてきて、神様に仕えてるんでしょ?立派な使命があるのに余りものとか無いよ!」
「いや、神使が3人もいるなら、この子いなくてもいいと思うんだけど」
「ひどい!」
「敢えて存在させたのには、よっぽど理由があるのかもしれない。後の三人には無い何かがあるとか」
突っ込んでみたものの、理由は思い付かず古川は考え込んだ。
「そんな事どうでもいいよ。今弱ってるの何とかして」
「僕が?」
「古川さんの力を渡してあげて!私のも使っていいから」
「嫌だよ。いつも隙が有れば襲ってくる怪異に力をやるなんて考えた事もない。ゾッとする。僕は奪うの専門なんだけど」
「神使だって!そこを何とか!そしたら家に泊めてあげられる」
「夕凪!」古川は厳しい顔で言った。
「この状態じゃなくても、如月家に入れたら余計ダメージを受けるだけだ。夕凪の家はこの前結界を張り直したとこだし」
「いつの間に…」
「それに兄達が探し当てて襲ってくるかも知れない。そしたら、一緒にいる夕凪がどうなるか!無知な上に危機意識低すぎる」
「だって、可哀想過ぎるよ。死ぬために逃げて来たなんて」
夕凪は頑として主張する。
「私だけでも力をあげればいいかな?」
「絶対駄目だ。怪異相手にほぼ素人の夕凪から力を渡す?全部取られて死ぬ恐れがある。何故僕の言う事聞かないかな⁈」
いつもの笑顔が消えて、ついに無表情になっていた。
「そうだ!もっと簡単にできる。僕がコイツを消す。それで解決だ。どうして気付かなかったんだろう。一番いい方法じゃないか」
夕凪はすっかり様子の変わった古川に慄いて悲鳴を上げた。
「良くない!古川さん何言い出すのよ⁈」
「いつも僕達がやってることだよ。何の違いがある?本人も望んでる」
「違うよ。この子、良い子だよ…」夕凪は男の子を背に庇って古川の前に出た。
「僕達に厄介事をもたらすモノは、全て怪異だよ。排除する」
そう呟くと、古川は夕凪の顔を両手で挟んで目を合わす。
「眠れ」
不意を突かれた夕凪は古川の茶金色に光る目を見てしまった。
途端に目の前が暗くなって意識が遠のいていくが必死で言った。
「そんなことしたら古川さんを一生嫌いになるから!」
「お菓子も、お茶も、ご飯も持って行かないし、巫女も止めるって。え、結婚もしない⁈こんな小さな女の子に普段何させてるの?」
男の子は、驚いて夕凪の言葉の続きを言った。
神使だけあって人の心を読めるようだ。
「うるさい。黙れ!」
グッタリした夕凪を取り敢えずそっと寝かせると、一瞬微かに笑った。
「教えてもらわなくてもわかるよ、夕凪の言いたい事は」
古川はまた無表情になって立ち上がり、目を閉じた。
男の子は震えながらも必死に言った。
「僕を消して。その方がいいよ。兄達は容赦無い人達だ。夕凪さんの気持ちはありがたいけど、後はご機嫌取って何とかして下さい」
男の子もじっとしたまま動かない。
二人の間に緊迫した空気が流れた。
「あー本当に面倒臭い!」古川は徐ろに空に向かって叫んだ。
男の子は驚いて身体をビクッと震わせた。
「夕凪のわからずやー」
叫んだ後、はあ、と息を吐いて、古川は男の子の方へ近付くと右手を伸ばした。
「覚悟はいいな?動くなよ」
「!お願いします!」
今度は男の子はぎゅっと目を閉じて、更に身体に力を入れて動かないようにした。
古川は、男の子の胸に正面から手の平を容赦無く叩きつけた。
正確には手と身体の間は10㎝程開いていたが、それでも衝撃で後ろにふっ飛ばされて転がっていった。
「これ一回だけだからな!あー、やっぱりかなり持ってかれた!」
男の子は起き上がり、自分の体を確かめて呆然とした。さっきまで空っぽだった力が、半分ほど戻っている。
「消すんじゃなかったの?」
見るからに疲れた感じの古川はふんっと鼻を鳴らした。
「夕凪はお馬鹿なお人好しだけど絶対僕に必要なんだ。仕方ない、必要経費だ」
古川は夕凪を必死で抱え上げた。自分の結界外では非力だ。
「見た目が悪いから早く怪我治せ。やれるだろ?夕凪が余計な心配をする」
「うん、今ならできる」
「行くぞ、着いてこい」鳥居を潜って階段を登り始めた。
「え、でも、僕は結界を通れなくて」
「バーカ、僕が作った結界だぞ。僕の力をかなり奪った今のお前なら通れるよ。何だったら、僕の真後ろを上ればいい」
古川は振り向きもせずに、夕凪を抱えたまま階段を二段飛ばしに小走りするスピードで上っていく。
「ええっ⁈ちょっと待って」
結界を無事通り抜け、階段に足をかけて安堵していると見る見る内に遠くなる古川の階段登りの速さに驚いた。
「本当に人間?」
男の子はとてもそんなスピードには付いていけず、一段ずつ踏みしめるように上った。
それでも半分を超えた頃から疲労困憊で、一段一段が高く見え、思わず四つん這いで上っていた。
「遅い!」いつの間にか横に古川がいた。
「え?」有無を言わさずヒョイと片手で担ぎ上げられ、抵抗する前に三段飛ばしで運ばれた。
ひどい揺れと慣れない結界の中で気分が悪くなり、降ろされた時は目が回って足がガクガク震えていた。
「夕凪より酷いな。百二十三段あるけど結界を上手く使えば早く楽にできるぞ」
「結界使うとか無理」
神使の能力は殆ど無く、結界も全く使えない男の子にはできそうにない。
「お前、本当に神使か?使えないなあ」
「いえ、そんなのあなたしかできないと思います」
「人間の僕にできて神使のお前にできないことはない!単に修行が足りないんだよ」
「雑用ばかり言いつけられて、そんな暇なかったんだ」
「言い訳は聞かん」
手を引っ張られて引きずられるように神殿横の住居へ連れて行かれた。
男の子が中に入ろうとするとまた結界の圧を感じたが、古川に押し込まれてなんとか進めた。
夕凪は隣の部屋の布団の上に寝かされていた。
はっとして男の子が夕凪の顔に耳を近付けて彼女の呼吸を確かめていると、ぐいっと背後から古川が肩を掴んで引っ張った。
「おい!何してるんだ!夕凪に近寄るな!」
掴まれた肩がビリビリ痺れて痛い。
古川は男の子を単に怪異として扱い、子供相手でも容赦ない。
「何もしないよ。一応命の恩人だから、様子を見ただけ」
「どうだか!絶対夕凪に触れるな!恩人は僕だろ。それよりお茶淹れろよ。お菓子そこにあるから適当に取って」
「僕がやるんですか⁈」
「当たり前だ、居候の癖に」
男の子はがっくりと肩を落としたが、教えられた通り用意した。
まもなく夕凪は目が覚めてぼーっと隣の部屋で座卓に座ってお茶を飲んでいる二人を見た。
二人も気付いてそれぞれ笑顔になった。
夕凪は目を見開いた。
「古川さん、ありがとう」夕凪は起き上がると古川に突進して首に抱きついた。
「非常〜に面倒くさいんだが、夕凪の頼みなら仕方ない。お礼はたっっぷりしてもらうからね」
夕凪の頬に音を立ててキスした古川に
「それは駄目だって!」と夕凪は顔を遠ざけたが身体をぎゅうっと抱きしめられた。
男の子の側に行きたかったが離してくれないのでそのままの体勢で話しかけた。
「良かったー具合良くなったみたいだね!ここにいれば安心だから」
「夕凪!危ないからくっ付くなよ」古川が声を掛けたが夕凪は知らんぷりだ。
「私は如月夕凪!あなたの名前は?」
「
「いい名前だね。ところでその…耳と尻尾触ってもいい?」
既に夕凪の手は触る前提の形になっている。
「え、う、ちょっとだけ、そっとなら、いいよ」
流は断れない。
「古川さん、ちょっとだけならいいでしょ?」
と訴えられ、渋々古川が夕凪を離すと、流に近付いて恐る恐る尻尾を触った。緊張したのか尻尾の先だけパタパタ動いている。
「はあー、夢のモフモフ尻尾だ」と喜んでいる。
次に耳をゆるゆると摘むと
「本当にくっ付いてる!アニメみたい!可愛い!男の子に可愛いはないよね、かっこいいよ」
「耳くすぐったい」流の顔が赤くなった。
古川は夕凪の脇の下に腕を入れて流から引き離した。
「だーかーらー、あまり近付くなって言ってるだろ?」
「えー大丈夫だよ、別に力持って行かれて無いよ?」
「僕でさえ、コイツに力やったら強制的に半分以上持ってかれたんだ、夕凪なら気絶するぞ」
「私は古川さんに気絶させられました!」ジト目で夕凪が古川を見た。
「それは夕凪が言う事聞かないから。今まで怪異に触れて良いことあった?」
「…無いです」しょぼんとした。
「僕はこれでも神使で人間に害は与えません」
とキリッと居住まいを正して言ったが、
「少なくとも今は死にかけの、神使、のような怪異だ!」
古川は断定した。
「古川さん、その言い方!」
「返す言葉もありません」流は素直に認めた。
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