第12話 古川祥一郎が来た最初の場所

出かけるにあたって古川はふと気付く。

私服が上下2枚ずつしか無い。白い長袖シャツと白い長袖Tシャツ。ダークブルーのジーンズとダークグレーのチノパン。普段は斎服があるからな。



白いふんわりとした長袖シャツに細身のジーンズという定番の格好で、4階建ての白い建物にやって来た。一階正面にある両開きのドアのインターホンを押した。

中が通話状態になった途端

「ただいま〜、開けて〜」

と声を張り上げ、カメラ部分に向かって手を振った。


神祇一統会じんぎいっとうかい』と書かれた銅板がドアの横に貼られている。かつて古川が居て、逃げ出した施設。

「どなたですか?」女の人の訝しげな声がした。

下代理しもだいりの人に、反省した古川祥一郎が来たって言って」

「…少々お待ちください」



5分後。

「おっそいなー!やっぱ帰るか」

踵を返そうとしたらドアが開いた。

「あれ?」

わらわらと飛び出てきた男5人に取り囲まれ、両腕をそれぞれ捕まえられて中に入らされた。

「遅いよー、しかも出迎え多いよ」


入ってすぐに三和土のある玄関で両横に棚があり、その上に松の巨大な盆栽がそれぞれ置かれている。だれかが古川の靴を脱がせて上がる。

左右に畳敷で襖で区切られた小部屋が並ぶ、真っ直ぐ広い廊下が奥まで続く。

突き当たりに白木の鳥居が取り付けられた壁の下にエレベーターがあった。


そのまま乗せられて四階まで上がった。

誰も口を開かず、昇降音が響く。


エレベーターの戸が開くと、また、観音開きの戸が正面にあった。

それは金色に装飾された赤い扉だった。


五人はその前に跪いた。古川は無理矢理降ろされたので尻餅をついてしまった。


一人が立ち上がって扉の横にあるインターホンを押した。

「連れて参りました」

戸が開いた。


五人いた内の二人が古川を両側から抱え上げ、広い畳敷きの部屋へ一礼して入る。古川は知らん顔だ。


左奥突き当たりに一段高くなった2畳ほどのスペースが有り、四角く囲まれた柱から薄い紗の垂れ幕が中程までかかっていた。


その中に濃い紫に金糸で刺繍された中華風の服を着て男が座っていた。

黒く真っ直ぐな髪が背中を覆うように伸びており、陶器のような白い肌と切長の黒い目をしていた。


2メートルほど後ろに古川は降ろされ、仕方なくそのまま胡座をかいた。その後ろに二人は正座して手を前について頭を下げた。


「ご苦労であった。下がって良い」男は手を中程まで上げた。


二人は不満そうだったが、何も言わずそのまま後ろに下がってから立ち上がり、部屋から出た。


しん、とした静けさが二人を包んだ。

『確か先に話しだしたら機嫌悪くなるから駄目なんだよな。話しかけられるの待っとくんだっけ?しょーもない事思い出しちゃった。黙っとけばいいか』


しばらくして男の方から声がかかった。

「帰ってきたのか?それとも何か用か?」


「少し聞きたいことがある」

古川は無表情に淡々と言った。


「あんた誰?逃げる前、僕は気が付いたら此処に居たんだけど、なぜ?」


男は首を傾げて片手を顎にやった。

「それ以前の記憶は無いのか?」

「無いから聞いてるんだ。此処にいるのはヤバいと思って逃げたけど、その根拠は無かった」

「祥一郎はそんな横柄な話し方じゃなかった。まるで別人のようだ。感じる気も力の質も変わった。本当に本人なのか?」

男は手招きしたので、顔を顰めたが古川は彼の側まで行った。

彼は立ち上がると古川の両肩を掴んだ。


「私の名は拓巳。神祇一統会の代表だ。

お前は霊を下ろす依代で、僕の代理で悪霊も祓っていた。そう、3年前に此処を創立してから私の元でずっと修行していた」


「依代?ずっと?僕にそんな力があったのか」古川は驚いた。依代だとは思ってなかったが、生来の霊の呼び寄せ易さを考えると納得だ。


「君が自分からやってきたんだ。悪霊や怪異がやってきて安らげる時がないから助けてくれって。僕が祓って修行させたら、すぐに君は私の役に立った。君がいない分、他の依代に負担がかかっている。此処にこのまま居ろ、祥一郎」

二人はしばらく見つめあった。


古川は意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「ギブアンドテイクの古川のギブが勝っていたのか。成る程ね」

男はハッとして手を離した。


「例えば、後ろの奴とか?」古川は目線だけ男の後ろへ逸らして言った。

後ろに白い作務衣を着た小柄な男が薄がけをかけられ、横になって目を閉じていた。


「彼は特に弱くてね、一回やる毎にああやって気を失うんだ」


「それで思い出した。貢ぐ水津久みつく君ね」ふん、と鼻を鳴らした。

「そいつはやめといた方がいい。自分の力だけじゃ足りてない。そのうち死ぬぞ」


「そんな事がわかるようになったのか。彼のことは気を付けている。やり方をどうしようと、我々の力になってくれれば良い。彼は私を慕って自ら進んで願いを聞いてくれてる」


「勝手にすればいいけど、他人の生死を巻き込むのは違うだろ?」


「君がちゃんと戻ってきたら、しばらく彼は下がらせよう」


「嘘つき。まあ、今はいいや。彼は休む必要がある。身も心もね」


「だが、彼は僕の恋人でもある。その彼の代わりはいない」

「そんな余計なことまで負担させるから倒れるんだろ。もしかしてお前の恋人も僕が代わりをやってたのか?」

古川は両手で身体を抱いて震えて見せた。

「残念ながら諦めたよ。嫌がるのに強いるのは好きじゃない。しかも、その身体だし」


「最後は余計だ」

拓巳が古川の身体の秘密を知っていると思うとムカついたが事務的に尋ねた。

「依代はいつからすればいい?」

「一週間後に一件入ってる。久しぶりだけど大丈夫か?」

「さあね。やり方は忘れたから、お前が恥をかきたくなければ教えろ。それと、水津久と一緒の部屋に泊めて」


「手配しよう」男は古川を抱きしめて頭を撫でた。

「相変わらず君は本当に優しいな」

「水津久を休ませてくれるなら、協力する」

古川は締め殺してやろうかと思いつつ、実際筋肉は無いなからワザと強めに抱きしめ返してやった。

「こんな事しょっちゅうやってるのか?」

「何を?」

「抱っこだよ」

「そうだね、でも依代達だけだよ」

白檀の香りが鼻についた。なんとなく前も嗅いだ気がする。

具体的な記憶は全部は戻っていない。

ただ、目を見た後に抱きしめるのは、この男特有の行為のはずだ。これだけは逆らえなくなる人は多い。

前の古川も、同じく洗脳されていたようで、そのせいで此処にいた記憶が曖昧なのだ。


今の古川は勿論違う。

この世界に転移して来た途端洗脳は解け、逃げ出せた。

『催眠をかける奴が、かかる訳にはいかないよな』


古川が迎えに来た作務衣の男とエレベーターで二階に降りると一階よりは広い区切りの部屋に通された。

4畳半の大きさなので格別広いわけではない。後から寝たままの水津久が運ばれて来て、布団を敷いてもらった上に置かれた。

古川の分の布団も置かれ、食事は朝と夜だけで、此処に配膳してくれる。作務衣も借りた。

依代は幹部とはまた違うが丁重に扱われるそうで、好きなようにさせといた。


誰もいなくなって、小さな棚に置かれたポットと緑茶のティーバッグが置かれていたので自分の分だけ入れた。


『夕凪の買ってきたお茶の方が遥かに美味しいな』

お礼に持ってきただけはある。文句を言われるが買って来てくれるので、また頼もう。


お茶を飲み終わると、まだ目が覚めない水津久の側に行った。


「おーい、水津久、聞こえるか?祥一郎だ。帰ってきたぞ」

顔に近付いて呼びかけた。


うう、と唸り声が聞こえたが、目は開かないし、身体も動かない。かなり弱っている様だ。


「ちぇっ、嫌だけど」

少し迷ったがため息をついて水津久の額に手のひらをつけて軽く固定した。

片方の手は顎を掴んで口を開けさす。

「あーあ」

もう一度ため息をついて、水津久の開いた口に自分のを合わす。夕凪への時と違って、力をほんの少しだけ入れた。

数秒後に水津久は目を開けて咳き込んだ。古川は水津久の吐く息を吸い込んでしまってむせた。



「「何すんだよ」」

二人は同時に言って見つめ合った。


「目が覚めた?久しぶり」

古川はにっこり微笑んだ。

「祥一郎!なんでキ、キスしてんだよ」

「僕が力を入れれば、どんな奴でもどんな状態でも、死体以外は起きるからな。救急のAEDみたいなもんだ」

「馬鹿か。いつの間にそんな事できるようになったんだ?あー、もう、唇がピリピリする。あれ?お前やっぱり捕まったのか?」

水津久は起きあがろうとしたが、まだ力が入らない様で無理だった。


古川は急須の残りのお茶を飲んで

「はー、野郎の合わない力に触れるのは苦痛以外何も無い。あの子なら気兼ねなく楽しめるのに」

とぶつぶつ言った。

「何言ってるんだ?お前どうしたんだ?」


古川は貼り付けた様な笑みを浮かべた。

「逃げ出せたけど、追いかけてくるし、ちょっと聞きたいことがあって立ち寄っただけ。そしたら水津久のせいでまた依代やらされる事になった」

「は?なんで戻ってくんだよ、そうなるのわかってただろ?俺のせいにすんなよ」

「冗談だよ。気が済んだらまた出ていく。取り敢えず良かった、気が付いて」

古川はわざとらしく喜んでみせた。


「お前、変わったな」

「どこが?」古川は水津久の顔を覗き込んだ。

「そういうとこだよ。前はもっとビクビクしてて、人と目を合わさないし、無口で笑うことなんてなかった。

神代(神の代理即ち拓巳を指す)の言うままおとなしく従ってた。お前がまさか逃げるなんて誰も考えもしなかっただろうよ」

「ふぇーそんな奴だったのか。情けないな」


朧げながらこの施設に入るまでの記憶が浮かんできた。


夜な夜な現れる悪霊に布団をかぶってガタガタ震えている。外へ出ると怪異達に脅されて走って逃げる。

見えるだけで、怪異や悪霊を惹きつける力だけダダ漏れで、満足に祓うことはできずに、子供の頃からただ怯えていた。慢性的な睡眠不足で、時々眠気に耐えられなくて気絶する様に寝てしまうと夢の中までやって来て飛び起きる羽目になる。


苦しくて26歳までに転移が起こるのを今か今かと待ち構えていた毎日。

拓巳が現れて自分を受け入れ、庇護してくれた時の安心感。

絶対的な信頼と洗脳で成り立っていた古川祥一郎の此処での最後の3年間の人生。


「虚しいな。でもまだここに来た時は中学生だったもんな。可哀想な奴だ」

「変なの。その他人事みたいな言い方」

他人だからな。思わずふふっと笑ってしまった。


「客観的と言ってくれよ。

水津久ゴメンよ、無理矢理起こして。このまま起きないんじゃないかと思って。相当心身弱ってるぞ。拓巳が好きなのわかるが、自分を壊してまで尽くす事ないよ」


「お前に俺の気持ちなんてわからねーよ。俺は神代様を本当に尊敬してるし、好きなんだ。お役に立ちたいんだよ」

そう言って目を閉じてため息をついた。

「そうだな、全くわからない。今まで生きてきて、尊敬したり好きなんて感情、他人に持った事ないよ」うんうんと頷いた。


また、眠ってしまった様で返事は無かったが起こす前より顔色は良くなっていたので、そのまま夕食の時間まで寝かせといた。


異変が起こったのは夜だった。

古川はいつも通り夜早々に寝てしまったが、不意に水津久の声がして目が覚めた。


部屋は真っ暗だったが、目を凝らすと水津久の身体が少し光って見えた。

しかも胸の辺りから細い線が伸びていき、天井から何かを引き寄せた。

「やあ、お邪魔するよ」ボソボソと言い始める。

「そうだな」

「ちゃんと食べなきゃ駄目だろ?」


誰かと会話している。小川が天井を見ると引き寄せたものは人の形の輪郭をしていて、胸同士が繋がっている。


引き寄せているモノが何なのか分からず、困惑して、起こすべきか放っておくか悩んでいると、水津久は最後に身体を痙攣させた。


それが収まると、人の輪郭は水津久の中に入ってしまった。

すると弱々しくなっていた水津久の力が少し戻っている。


しばらくすると、また人の輪郭を引っ張ってきてボソボソと喋り始めたが、どうも先程とは違う人のようだ。そして同じ様な過程で終わると彼の力が増していく。


面白くなって見ていると3回繰り返して終わった。


ガバッと水津久は起き上がった。だいぶ息が上がっていたが深呼吸すると立ち上がった。

古川はその前から寝たふりをしていると、少しこちらを見たようだが出て行ってしまった。


気配を追うと階段の方へ向かい、そのまま上に行った様だ。


拓巳に会いに行ったのか。


「あ、嫌な事思い出してしまった」

ここに来て依代を務め出してから、しばらく古川もその度に気を失っていた。


ある日儀式が終わって気がつくと、拓巳が座る台の前に寝かされていた。

どこにいるのかが分からなくて、とにかく疲れていたのでそのまま辺りを見回した。


すると台の上の紗の幕が下ろされていて、中に人がいた。

幕が薄いのでぼんやりと見えるシルエットが重なって動いている。拓巳と水津久だ。


『???何やってんだ?』

しばらくすると二人が中から裸で出て来たのは驚いた。

古川に触れようとした拓巳に水津久は泣いて取りすがっていた。

二人から耐え難い異臭がしてきて嫌悪感も高まり吐きそうになった。


ここに居ては不味いと古川はだるい身体を必死に起こして自分の部屋に逃げ帰ったのだ。

途中で吐いたが、ちゃんとトイレまで我慢できたのは我ながら偉いと思う。


次の日に水津久は拓巳を愛してるから、そうじゃない古川は絶対に身体を触らせるなと激しく注意された。

ゾッとした古川はなるべく近付かないよう気をつけ、失神する前に止めれるようになったので、拓巳に裸を見せる事は無かった。その筈だが身体のことを知っているので以前の失神している時に触られたのだろう。


普通の身体だったら水津久と同じ目に遭っていただろうか?

水津久と違って拓巳に何の感情も湧いてこなかったので、気持ち悪さに鳥肌が立った。

アレが『愛する』行為なら、愛する事も分からない方がいいと更に嫌になった。



次の日も、暇さえあれば誰かに話しかけている。

そして、顔見知りとして男二人が順番に水津久を訪ねて施設へやって来た。


古川はチラッとそれぞれ二人を見たが、痩せて顔色が悪く、今にも倒れそうなのに拘らず、水津久に抱きついて恋人のようにキスをしたりベタベタしていた。


すぐに水津久が力を取り込んでいる人間達と気付いた。

やはり幽霊ではなかったのか。せめてそうであって欲しかったが絶望の中に一つの可能性を含みたかっただけだ。


水津久とたまたま繋がった人間を、弱ったら呼んで回復させ、また吸い上げるのだろう。結局二人とも言われるまま入会した。

あと一人は来なかったので、間に合わずに死んだのだろうと思った。


それから、水津久のあの奇怪な行動は無くなった。

一週間後、それを気分悪く思いながら、午後から2階の修練の間に行った。

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