第11話 隣の人

古川が出かけている間、特に怪異もやって来ないので心安らかに中学校生活を送っていた。

怪異よりいつも絡んでくる古川がいないのがその理由だ。

ペースを乱されることもなく、加賀谷と観月の部活の朝練が始まるまで一緒に登下校した。


夕凪の束の間の安らぎの一端はあらかじめ古川が夕凪の登下校道や家の周りにおびき寄せ、ノコノコやってきた怪異や悪霊を殲滅させてから出て行ったとは知る由もない夕凪だった。


休んでいた先生や生徒も次々と登校し始めた。

準備室の備品に紛れて人骨が見つかった事は学校に多大な衝撃をもたらした。


学校の七不思議も、噂ならともかく本当の事だったらと怖いだけだ。あの区画は誰も行きたがらず、やむを得ず用事がある時は二人以上で行動すると言う暗黙の了解が知らぬ間にできていた。


夕凪は何事にも動じない古川がいたから何とか行動できただけだったので、二度とそこは行かなかった。取り憑かれたのも恐怖だった。

古川によると、骨に憑いているので触らなければ大丈夫らしいがあまり信用していない。


一部の生徒の考察で一連の出来事がそれのせいだと次第に全校生徒に受け入れられたが、話は尾鰭をつけて広がっていく。しばらくは落ち着かないだろう。


観月や加賀谷は固く口を閉ざし、夕凪や自分達に起きた

一連の出来事の顛末を語らなかった。夕凪は二人の誠実さに感動していた。


二人との絆が強まって、今では3人で気軽に交流するようになって、昼ごはんを一緒に食べたり、勉強会や遊びに出かけたりする仲になった。


夕凪は加賀谷が観月には特に優しくしていると感じて、付き合えばいいのにと思い始めた。

これは加賀谷にとって大いなる誤解で、彼の思慕は夕凪にはちっとも伝わっていなかった。

加賀谷は夕凪に対しては意識し過ぎてしまい、多少つっけんどんになってしまう。そのせいで余計に夕凪の中で彼が益々友達枠に納まっていくのを手をこまねいているしかない。

その上、あからさまに古川が牽制してきて、せめてと登下校を一緒にしても、度々邪魔をする。学校時間外は古川がほぼ独占しているのも癪に触る。

二人で出かけたくても必ず夕凪は観月も誘う。

どんどんため息が多くなる加賀谷だった。



新学期の予定をずれ込んで、ようやく始まったクラブ体験で夕凪は文芸部を選んだ。

そこの創作が小説だけではなく漫画やイラストもOKだったので、そのまま入部することにした。

密かに10行程の小話を書いていたが、長編どころか短編も書けず、イラストもイマイチだったのでそれらの向上が目的だ。

結局どれも上達せず、美術系学校の進学は諦めることになるが。


観月と加賀谷はなんと剣道部に入った。二人共興味はあったらしいが、密かに怪異に負けない心身を育てる決意で入部したらしい。

夕凪はだいぶ後になって二人から入部動機を聞いて申し訳なく思った。

駄目だったら文芸部に転部してほしい。



古川は一週間と言ったが、二週間過ぎても帰って来なかった。

少し心配していたが、連絡の取りようが無く、帰って来たら是非携帯を持ってもらおうと思うだけだ。


そんなある日、観月が女生徒を連れてきた。

同じクラスの村雨涼子むらさめ りょうこだ。黒い髪で少しクセがあるようだが、襟足でぴっちりと括られてその先がくるりと丸まっている。黒い瞳は切れ長で色白の美人さんだ。


「神影神社の神主さんと知り合いって聞いて。二人が一緒にいるとこ見たことあったし」

みんな言わないだけでクラス中知れ渡っているのだろう。頭が痛い。


「ごめんね、頼まれちゃった」

観月はすまなさそうに言った。

「婚約者?って聞かれたので全力で否定しといたよ」

「タスカリマス」

どこまで広がっているんだろう?少なくともクラスでは普通に受け入れられている。からかわれないだけましか。泣きたい。


古川本人から冗談でも直接夕凪が婚約者だと言われたこともない。3年後に結婚できるねーと何かの折に言うが誰かに夕凪を結婚相手と紹介されたこともない。


僅か三年後でこの男の面倒をあらかた引き受けて、26歳でサヨナラされては残された夕凪は堪らない。

 何回も夕凪の両親と会っているが、お互いあくまで小学校の先輩後輩で友達と言う態度で親に見せているのだ。


なのに中学校の同級生(何故か夕凪のいるクラスの子、特に加賀谷が多い)や夕凪だけの前だけ過剰にベタベタしてきて惚気る。


夕凪と同じクラスだと本人より把握しているのは何故だろうか?彼の能力は性格と共に捻じ曲がっていると思う。


関わりたくないのに、意に反して、ほぼ向こうがちょっかいをかけてくる。不思議で仕方ないが、よく待ち伏せされている。学校では古川さんの仕事受付嬢みたいになって、神社の紹介もしている。


何故そうなった。

古川の陰謀(と呼んでいる)に巻き込まれている。


この世界で如何に楽しく愉快に過ごせるかが、彼の唯一の課題だ。その為の取っておきが、力の性質が同じと言う理由で夕凪になってしまった。

彼は悪人では無いが、悪意は有り、善悪の判断は気まぐれでその時の情動で決まる。


男に絡まれている女性を見てワザと捕まえた怪異を男の背中にくっつけて転ばせていた。しかもそのまま放置して去って行く。

夕凪は必死に目で訴えたが、古川はニッコリ笑って通り過ぎるだけだ。

取り憑かれた途端どんよりしている男を見送るしかなかった。


横断歩道の前で信号待ちをしていた時、たまたま横にいた女性に憑いていたを払ってしまった。

うっかり間違えた、とか言ったが嘘っぽいし全く反省してなかった。

生霊がこっちを睨んできたから鬱陶しくて払ったと暴露した。

「ストーカーだからいいよね?」

「心配性の彼氏や身内だったらどうするんですか⁈」

「それの方が無理がある」と思い切り笑われた。

「本体はどうなったんですか?」と聞いたが「さあ?」と微笑まれて終わった。

微笑まれても、それの裏にあるのは拒絶だ。


彼は過去居た世界でも同様に過ごしてきたので生きているモノの定義に無関心だ。

人殺しはしないが、自分が怪異に関わって結果的に人を殺しても、怪異や霊を殺しても、それの差異を感じず、倫理観も低くて独善的だ。


自分本位でなければ生きていけなかった。この刹那的人生は、未来永劫続くであろう罰ゲームと同じで何も良いことなんてない。

古川は何かの折にポツリと話した。



黒沼で知り合ってしまった事がついこの前なのに、色々有りすぎて、遥か昔の出来事のように感じる。


遠い目をしつつ「今、古川さん居ないし、いつ帰ってくるかわかんないから、本当に話聞くだけになっちゃうけど」と言うに留めた。

村雨は頷いて「取り敢えず聞いてほしい」と言ったので放課後に聞くことにした。



村雨には大学生の亮一という名の兄がいる。2年前から単身者用の古いマンションで一人暮らしをしている。多少生活音が響くものの、他には気になる事は無いと言っていた。


最近、亮一の様子を尋ねようと彼女が電話して話していると雑音が入ってきた。

混線してると思って、それを言うと

「俺も聞こえる。隣の部屋の人が来て電話してるけど、それのせいかも」

と返されて、来客中なら悪いと思ってそこで切り上げた。


ところが、電話するたび、メールする度いつも最後に「今隣の人が来ている」と返ってきた。


この前電話するとまた「隣の人が…」と言うので

「仲良いんだね!お兄ちゃんがお世話になってるなら電話代わって?お礼言いたい!」

と言うと兄は

「えー、ちょっと待って」

と、おそらく周囲に居るらしい彼に「妹が代わって欲しいって」と言う声が聞こえた。


その時、微かに聞こえたのだ。


「いらない、切れ」


「しょうがないな、恥ずかしいからいいって!俺の妹可愛いぞ?お前にはやらんがな!」

兄は笑いながら言った。


「切れ」先程よりはっきり聞こえた。


その直後、キーンと硬質な音の後バリバリとひどい雑音が入った。

頭に響き、思わず携帯から耳を離した。


「お兄ちゃん?」

恐る恐るもう一度耳を付ける。


「もう電話してくるな!鬱陶しいんだよ!!」

笑い声から一転、人が変わったように不機嫌に大声で言われ、電話を切られた。


それから電話しても出てくれず、メールも返ってこなくなった。


両親からの電話にも応答しなくなり、ついに母親が心配して訪ねて行く時に村雨も付いて行った。


住んでいるマンションの部屋のドアのインターフォンを鳴らしたが応答が無く、試しにドアのノブを回すと鍵がかかっていなかった。

嫌な予感に二人は中に飛び込むように順番に入った。

綺麗好きだった兄の部屋の中は一変し荒れていた。

流しは汚れた皿やコップ、汁の残ったカップ麺で埋もれていた。ゴミはかろうじてゴミ袋に入れられていたが、開いたままで臭気が漂っていた。下は埃だらけな上、来ていた服だろうか、Tシャツや下着までも床のあちこちに脱ぎ散らかしている。


その奥の部屋に、兄はいた。

首のよれた古いTシャツと太ももの中程の長さの部屋着らしいズボンを履いてベッドにだらしなく横たわっていた。

髪はボサボサでフケが浮き、その顔は痩せ細り、青白くて明らかに調子が悪そうにしているのに、ニコニコ上機嫌だ。

あまりの惨状に母親の目には見る見るうちに涙が溜まっていった。

「亮一!」「お兄ちゃん!」二人が駆け寄って側に座り込み、母親が兄の両肩に手を置いてゆすった。


「ああ?」途端に兄は歪んだ顔で母と涼子を寝転んだまま見上げた。

「何しに来たんだよ!」

二人は吐き捨てるように言った兄の態度に愕然とした。


「今、隣の人が来てんだ、邪魔するなよ、帰れ!」

普段優しくて声を荒げたことのない人とは思えない、恐ろしい剣幕だった。

「隣の人って、その人この部屋のどこにいるの?」

玄関に出ていた靴はスニーカー一足だけだった。

涼子は辺りを見回した。


「ベッドの上に座ってるだろ?何言ってんだ」

兄は頭を起こしてベッドの足元を見ている。

「ごめんな、失礼な妹だろ?母さんもだ!いきなりやって来てさ。気にしない?心広いな」


ひっ、と母親が我慢しきれず悲鳴を上げた。

「亮一⁈何言ってるの!ベッドには誰もいない!この部屋には私と涼子だけよ、しっかりして!」

涼子は辺りを見回して、トイレと風呂などを開けたがむろん誰もいない。


「お兄ちゃん、誰もいないよ、隣の人ってどっちの部屋?」

「出て左だよ、でも大抵ここに居るけど」

母親は腰が抜けたようで、村雨に目配せした。


村雨は嫌な予感で玄関を出ると左を見た。

「左、左??部屋無いんだけど!」

村雨は玄関から叫んだ。

「えー?じゃあ、右か。外で騒ぐなよ、苦情くるからさ」


母親は震えを抑えながら

「私達と一緒に家に帰りましょう!こんなに痩せて、倒れちゃうわ!少し休養しましょう、ね」

「駄目だってこっちに来いって助けて欲しいって」

「何処にいくの?それなら尚更体調を整えて行かなくちゃ、相手にご迷惑でしょ?うちで身体の調子を整えてからでもいいでしょ?」


兄は「『じんぎいっとうかい』ってとこなんだ。ちょっと行って来るよ行かないとあいつが困る」

と言って起き上がるとベッドから降りて立ち上がった。


「じんぎいっとうかいって何⁈」

しかし、彼はそのまま白目を剥いて前に倒れ込んだ。

「お兄ちゃん!」「亮一!」

二人で抱き起こすと意識を失っていた。迷わず救急車を呼び、入院させたのだ。


「今はこっちの病院に移ってる。ひどい栄養失調で、意識もあやふやなんだ。身体の状態が少し良くなったら、精神科に転院させるかもって。ひどいよ、信じらんない」


村雨はしくしく泣き出した。

話の内容と村雨の様子は夕凪が思ったより深刻で、すっかり動揺したが、必死でそれを抑えて慰めた。


「隣の人はどうなったの?」

「わかんない。お兄ちゃん目が覚める時があるんだけど何も言わなくなったから」


「怪しいと言えば怪しいし、お兄さんの精神的な問題と言われればそうかなと思いたいけど宗教みたいなのが絡んでるとすればややこしいね」

「それまで普通に大学行って生活してたのに、居ないはずの隣の人が現れてからおかしくなったし」

「居ないはずの隣の人?お兄さんは確か…」

「隣には誰も住んでいなかったし、その横の人にも聞いたけど知らないって」

途端に薄ら寒くなった。


「じんぎ何ちゃらは本当にあるの?」咄嗟に会の名を覚えてなかった。


「パソコンで調べたらホームページあった。プリントアウトしてきたんだ、見て?」

机の上にあったプリントを夕凪に渡した。

『神祇一統会』

神道系の宗教団体で、意外と近所だったが、全く知らなかった。

神の代理者とされている神代が霊障を払い、信者に施す精神修行によって鍛錬を重ねると同様の力を得られると謳っている。


写真には神代の姿、建物、修行中と見られる信者の様子や、お祓いをしている様子が写っている。


「お兄さんは信者なの?」

「わかんない、最後にそこへ行く行く言い張ってただけ」


夕凪はある写真を見て目を見開いた。神代がお祓い棒を掲げている前で斎服を着た男が何人か写っていた。


その一人が

どう見ても古川だった。

写真の古川は今より幼い感じだったが、茶色の髪と目、見慣れた微笑みは無く無表情だが、整った顔立ちは間違いなさそうだ。


その時、突然。


古川が遠くから細い手を伸ばしてきた。ような気がした。

物理的に有り得ないし、この前からの幽体離脱もどきとも違う。

でも夕凪は躊躇いなくその手を取った。

すると間違いなく古川と繋がった感覚がして、微かだがふわっと胸が暖かくなった気がした。

古川に力を入れられる時と同じだ。

離れていても、確かにこの世界に古川が居るという安心感。

『心配、してくれてるのかな』


まもなく消えてしまったが、夕凪は村雨に自信を持って力強く言った。

「古川さんが何とかしてくれると思う。帰って来たら、お兄さんの所に一緒に行ってもらおう。そしたら絶対元通りになるよ」

村雨を安心させるようにニッコリ笑った。

「古川さん、もうすぐ帰ってくるよ。泣かないで。大丈夫だから。私を、じゃなくて古川さんを信じて」


村雨はまだ涙を溢していたが、笑顔を作ってうんうんと頷いた。





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