第4話 出張の助手

古川は夕凪を狙っていた化け物「イレテ」(また古川が名付けた)をやっつける際に受けた穢れで、二日ほど寝込んでしまった。その場で浄化したものの、一瞬でも触れてしまえば心身にダメージは残る。

それでも、後々残らないのは古川の能力が高いからだ。


しかし、もともと身体は強くないのに、不調を押して頼まれていた祈祷をしにいったので、帰ってきたらそのまま倒れてしまった。

呼び出しを受けた夕凪は、責任を感じてお粥を作ったり、洗濯を引き受けた。

後は水道とガスは通っているので、湯沸し器のお湯で体を拭く布と洗面器を用意した。

さすがに拭いてやるわけにはいかない。やって欲しそうに甘えてたが、事務的にタオルを渡して、襖を閉めた。


学校から家に帰り、毎回123段の階段を登るので、体力も気力も無い夕凪は上に着いたらしばらく休まなければならなかった。

その上に慣れない家事で、疲れ切っていた。しかも。


「また、掃除しないと寄って来てる」

古川は布団でゴロゴロしながらため息をついた。

「結界この部屋だけしか貼れなかったから」


夕凪はブスッとしながら隣の部屋でちゃぶ台に置いたお茶を飲んだ。

「それは申し訳ないです。早く元気になって下さい。と」

「と?」

「と言ってから1週間経ってます。随分お元気そうですけど」

じろっと睨んだら、バツが悪そうに笑った。

「あーバレたか、もうちょっと使えると思ったんだけど、鋭くなったね」

「いつもいつも!」


やはりか!飲み終えた湯呑みをダン!とちゃぶ台の上に勢いよく置いた。

「しかも、物怪?の類、辺り見たけどいないじゃないですか!」

「そんな事ないよ、ああ、一緒に見に行こう?」


古川はダルそうに身体を起こすと薄い青色の浴衣の襟を正し、紐を結び直した。

襟から覗く胸は骨が浮き出るほど痩せている。

「なんだい?」

ついじっと見てしまって、古川が不思議そうに聞いてきた。


ハッと気付いて目を逸らした。

「痩せてるのがいいとしても、行き過ぎです。もうちょっと肉ある方がいいです」

「そうかな」古川は自分の手足を見回した。

「夕凪がそっちがいいって言うなら、努力するよ。お菓子よろしく」

「もう、子供ですか!三食きちんと食べないとお菓子は無しです」

「はいはい」


古川は夕凪を促すと玄関から出た。

「退治するのに、いい方法を思いついてね」

「いい方法?本当に?」古川の言う方法が良いわけ無いと夕凪は確信している。


少し歩いて本殿の裏手にやってきた。

「ほら、そこの隅見て」

古川が指差した本殿の角の下を見ると小さな黒くて丸いモノが30センチくらいの高さまで積み上がっている。

「ぎゃっ、固まってる!」

慌てて古川の後ろに隠れた。


「退け!」

普段とは全く違う鋭い声で、指差したまま横に払うと固まりはてんでバラバラになって去っていく。

すると下にのっぺり地面に張り付いた黒いモノが現れた。

しかし、すぐに消えていく。


「いつもとどう違うんです?」

「アイツら、黒丸こくまる達脅した」

にっこりと彼は笑った。

「小さい奴らに、みんなで大きい子消さないと、すぐ殺ると伝えたら言う事聞いてくれてさ」


夕凪は唖然とした。

「こくまる、なんてカレールーみたい。相変わらず容赦ないですね。なんか不憫だ、ちっちゃいのに」

「あんまり働きすぎると大きくなっちゃうから、そん時は結局僕が消すんだけど」

「やっぱりひどーい」

「そうすると僕が一々消していくより効率的だろ?勝手に探してやっつけるから、こっちは動かなくて良い。妖気の大きさだけ時々チェックしてれば」


「この前みたいな感じね」

「そんな大物は当分来ないと思うけど、僕が引き寄せてるのもあるし。夕凪は護符より御守りの方がいいかな」

「また、5千円とか」

「一万円」

「一緒!高過ぎるよ!千円にして」

ふふっと古川が笑った。

「でも、一番効果あるのは直接僕の力を入れるのがいいんだけど」

「それは結構です」すげなく断った。


「いつでも言ってね」

「ないです」再度念を押す。

「じゃあ、いいよ」古川は手を出した。

「何?」

「御守り千円にしてあげよう」

「ちゃんと消えるの?」

「もちろん!他の人より特別に力込めて上げる」


夕凪は言ってみるもんだな、と思った。今迄古川の言い値だと何万使ったのだろう、ちっとも返せないのは悪いなとは常々考えていた。

だから代わりに世話焼きに来ている。

間違っても好きだからではない!


後日、御守りが普通に千円で売られているのを見て、してやられたとガックリきた。

古川は夕凪に値段の感覚を麻痺させていたのだ。


ちなみに、ご祈祷付きはやっぱり1万円だった。

そんな高額で誰が欲しがるか!と憤慨していたが、若い女性に人気で土日は予約でいっぱいになるらしい。


前の神主さんもやっていたが、足腰が弱って通えなくなったので古川に頼んだそうだ。

彼はSNSで自分自身(マスク付)と123階段も紹介しているのだが、ヒールでやってくる猛者もたまにいるらしい。


ほとんど古川目当てで、怪異に苦しむ人は一割にも満たない。中にはしつこい元彼を怪異と言ってる人もいた。

古川は承知していて、

「あんまり力使わないから楽」

とのんびり微笑を浮かべて参拝受付をこなしている。


不思議なことに、夕凪に対してはセクハラで意地悪な言動を繰り返す古川だが、参拝にくる女性には一切触らないし、発言もセクハラどころか最低限で、事務的だ。


土日に忙しい時はわざわざバイト代を出してまで夕凪に手伝いを頼みにくる。

ただ、忙しいと昼ご飯を普通に抜き、夕飯は疲れたと言って食べない時もあるので、参拝者を待たせてでも30分休憩を取らしてお握りやサンドイッチを食べてもらっている。参拝者からの差し入れはどこから伝わったのか菓子類ばかりだからだ。


御朱印は護符もあって古川が書いてる暇がなく、あらかじめ神主さんに書いてもらって持ってきたのを、帳面に貼るようにスティック糊が置いてある。

誰が書いたと書いてないので、古川と思っている人が多数だが、あえて訂正してないのが彼らしい。


来た時無一文だった古川は、あっという間に大金を稼いでしまった。

彼が楽観的だったのも納得だ。


風呂がある小屋の横に念願のドラム式洗濯乾燥機を買って置いた。

風呂もガスに変えてシャワーを付けてもらったが、銭湯によく行くようになった。

帰り冷めるのでは?と聞くと階段に結界を張ってると冬は暖かくて夏は涼しいらしい。便利な結界である。


夕凪は古川に神社のザコ物怪相手に祓い方を習って実践を重ねた。

何回かに一回の割合だが祓えるようになったおかげでゾロゾロ怪異を引きつれることは無くなった。


小さいのを連れていると次にそれを食べに中位、それに釣られて大物も興味を持ってやってくると、古川は言うのだ。


この前のイレテを退治したことで、それを知った大抵の大物達は夕凪に興味を失ったらしい。

しかし、夕凪の魂の味は黒沼を通じて広く知られてしまったのでザコは惹かれてしまうのだ。


古川は息を吐くように嘘と真実を織り交ぜて言うので、どこまでが本当か分からない。

でも、御守りは夕凪しか見えないが、金色に見える位古川の力がこもっている。


時々どうしてわかるのか、クラスで同じ方向の帰り道の男子に声をかけられている時に、よく中学校の校門に現れる。

ごめんね、危ないから、と強引に手を引かれて、露払いと言って道中の怪異や不浄な空気を祓いながら連れ帰る。


中1の男子を牽制してどうしたいんだ。

ずっとニコニコしているのでさっぱりわからない。

しかも、そのまま夕凪に誘われたと言って晩御飯を必ず食べて帰る。強引さに腹が立つが母の機嫌が良くなるので良しと思うようにした。いつの間にか父親とも仲良くなっている。


そんなある日、できるだけ早く来て欲しいと連絡を受けた。

夕凪は家に帰った所だったが仕方なく出かけた。


神社の階段を悲壮な覚悟で登ってきた。


結局古川の言葉と態度に本当に怒りと諦めが同居することになった。


古川はニコニコして家に迎え入れた。

「見て、これ!かわいいでしょ?コスプレみたいだけど本物だよ!ちょっと着てみて?手伝うからさ」


包まれたたとう紙を出してきて、下に置いた。

包みを開くと白い上衣と紅の袴が出てきた。

「巫女服だよ。足袋と草履も用意してるから」

「わざわざ、これのために、私を呼びつけて、123段の階段を上らせたと?」

ぷるぷると震える足を摩って夕凪は低い声で言った。


「配達業者に階段登らすの悪いと思っていつも神主さん家に届けてもらってるんだけど、そこじゃまずいでしょ?」

「そう言う問題じゃなーい!なんで、私がこれを着なきゃいけないんですか!」大声で言った。


「普段から手伝いの時着て欲しいなと思ってたんだ」

古川はキリッとした顔をしたつもりだろうが口元はニヤけている。

「それと今度、退魔の仕事が来てさ!出張料最低10万って言ったんだよ?なのに成功したら更に上乗せするからお願いしますだって」

「よかったですね。プラス護符代とかあるのでは?」

「当たり前だよ!電化製品の修理だって出張料プラス技術料プラス部品代だよ?僕は良心的だよ」

「なんか違う」


「でさ、助手をやって欲しいんだけど」


唐突に言われて目を見開いた。

「なぜ?」

古川はふふっと笑いながら

「荷物多いんだ。それに、巫女さん連れの方が、本格的に見えるでしょ?」

「はあ?」

「どうせなら箔をつけて十万円を気持ちよく払ってもらうと思って!もしかしたら二人だと二人分くれるかも。いや、してもらおう!退魔師もそれらしく本格的に見せた方がいいだろう?それに、お金持ちだからお昼に懐石料理取ってくれる。ご飯付きだよ?それだけで一日分浮く。素晴らしい!」


「私のメリットは?」

「あるある!なんと、2万払うし、高級ご飯付き、祓うのは僕がやるから君は立っとくだけでいい。楽々」

夕凪の心が少し動いた。いやいや、だめだめ!

「もう、怪異と関わるの嫌なんですけど!」


「もう関わってるから一緒だって!ただ」

古川がにっこりした。

「また、念の為、僕の力を入れさせて」

「立ってるだけなのに何故それ要るんですか?危ない奴じゃないですか!」


「違うよ!前も余裕で使うつもりなかったのに、誰かさんのせいで穢れ受けたから、ほとんど力を使い切って、寝込む羽目になったんだよ」

「う」

痛いところを刺された。


古川の口元は微笑んでいるが、目は笑っていないし、それは有無を言わさぬ強圧的で茶金色に見える。

「下に白いTシャツ着て来てね。その上に着るからさ。今週の日曜日ね。9時にこの下集合、下の神主さん家で着替えて、そこに迎えが来るから。よろしくね」


「何故私に拒否権がないの?」

この前貰ったとどら焼きを出されて、食べたくなかったけどヤケになって食べた。



当日、ため息をつきながら下で待ってると、古川が階段の上から大きな荷物を抱えたまま5段飛ばしで駆け降りてきた。

最後はふわっと両足で着地した。

「お待たせ、行こうか」白衣と袴姿で草履をペタペタ言わせつつ歩いて行く。

「いや、人間ならあの速度ありえないんですけど」

夕凪は後を追いながら驚きのまま言った。

「何かの能力ですか?」

「普通に降りて来ただけだよ。君の姿が見えたからちょっと急いだけど」

「ちょっとどころじゃない。飛んでるのかと思いましたよ」

「そう見えるんだ、面白いね。上りはそんなに早くないよ。速度落ちるし3段飛ばしがせいぜいだから」

「充分すごい」

神主さんの家はそこから5分くらいだった。

「こんなに近いのに通えないのは、やっぱりあの階段ですよね」

「そうだね、お年なのもあるけど膝痛めちゃったから。最初説明される為に登った時もすぐ辛そうになさるので、すぐおんぶして上ったよ」

「そんな細腕で?」

「おんぶはそんなに力いらないよ。ちなみに帰りも。降りるのがまた痛いそうだよ」


言ってるうちに着いた。

まだ先方は来ていなかった。夕凪は奥さんに連れられて支度部屋に連れて行かれ、着付けしてもらった。

着物に比べたら簡単だ。袴は長いスカート状で裾さえ何とかすればトイレも行けるので安心した。


「着れましたか?」襖の向こうで古川の声がした。

奥さんはさっと開けて

「見て、可愛いでしょう?」

と自慢気に言った。

「これは」一瞬目を丸くした。

部屋の中に入ってきて「意外といけますね」と言った。

「しょうちゃん、ダメよ!もっとちゃんと褒めなくちゃ」

奥さんは嗜めてお茶の用意をしてくる、と去った。

古川は静かに襖を後ろ手に閉めた。

「私達も行ってお手伝いしましょうよ」

と近付いて袖を引っ張った。

「そうだね」とにっこり笑った。


次の瞬間古川がガバッと抱きついた。

勢いがありすぎて夕凪の上頬が古川の鎖骨にもろに当たった。

「可愛いな〜思った通り!お稚児さんみたいになるかと心配したけど全然大丈夫だった」

「ちょっと古川さん、急に来ないで、ほっぺた痛かったよ!」抱きついたままなので顔を上にあげたが、ドキッとした。

古川が無表情に見下ろしていたからだ。心なしか彼の目が金色がかっている。

そっと手があごに添えられたが動けない。

「口、ちょっと開けて」言われたとおり口が開いた。

彼が夕凪の口に自分のを重ねた。口を閉じようとしたが、すでに甘くて温かいモノが流れ込んでくる。

『これ、古川さんの力⁈』どうしようと躊躇っていたら

「飲んで」ちょっと口を離して囁くとまた再開した。夕凪は必死で飲み込んだ。前と同じく胸がポカポカしてくる。

『前より長くない?』

と思い出すと、ようやく口が離れたと思ったらもう一度付けて、今度は舌を入れてくる。

⁈ぼんやりしていた夕凪は驚いて渾身の力を込めて古川を引き剥がした。


「今のは?」焦って聞くと

「ディープキス。一回してみたかった」とうっとりしている。

「へー、今のが。って私で試さないでください!私も初めてなのに…中1なのに(泣)」夕凪は結構怒っているのだが、古川はケロッとしている。

「大丈夫。責任取るから、3年後」

古川がそう言って、また抱きつこうとしたが、夕凪はサッと避けた。

「古川さんの責任が軽いんです!その前に、こういうのはやめて下さい」


古川は不満そうに「僕の癒しなのに」と言ったが、夕凪は彼の背中を押してせかした。

「早くお茶しないと来ちゃいますよ!行きましょう!」



神主夫婦と和やかにお茶を飲んでると、先方がやってきた。

「行って参ります」優しい夫婦と別れ、迎えの車に乗り込む。

「相楽です。本日はよろしくお願いします」

運転する男は重々しく、それだけ言うと車に案内した。


「状況はどうですか」

古川が尋ねた。

「頂いた護符では少しはマシと言う程度です。家鳴りは収まりましたが、本人は意識がほとんど無くて」

「そうですか、まあ、お納め頂いた時申し上げた通り、護符はこれ以上入ってくるのを防ぐ効果はありますが、すでに人の中に入っていると効果が余りないですからね」


「どうしてなんですか?」護符の強力な効果を知っている夕凪には不思議だった。

「憑かれた人そのものが中にいる怪異を守る盾になってしまうからさ」


古川はうっそりと笑った。

「逆なら効果あるんだけどね。怪異に飲み込まれてる場合とか」

夕凪は黒沼に飲み込まれた時を思い出してしまい、ぞっとした。

「普通はそうじゃないの?」

「普通じゃ無いから大変なんだ。それで呼ばれたんだよ」


「相楽さん!」古川は徐ろに声をかけた。

「はい、何でしょう」

「理解して欲しいのですが、僕があなたのところでやることは神道とはいっさい関係ありません」

「えっ?」「な、何ばらしてんの⁈」と夕凪もついバラしていた。


「神道でのお祓いはこれから起こり得る災いの兆しを払うだけであって、起こってしまった災いには殆ど効果はありません。特に怪異には」

「で、ではどうして引き受けたんですか?」


古川はいつもの微笑をやめて無表情になった。透き通る茶色の眼差しは怖いくらいだ。

「僕の本当の仕事は退魔師です。僕が渡した護符も僕の力を使っています。怪異を払うのは僕個人の能力によるものです。決して神の力ではない。何があっても、神社と神道には一切関係ありませんので、よろしくお願いします」


「わ、かりました。そういう事だったんですね、お祓いを受けても、一向に改善しなかったのは!あなたしか、もう頼む人がいないのです。こちらこそお願いします」


古川にいつもの笑顔が戻った。

「もうすぐですね、お家」

「どうして知ってるの?」

「そんなの夕凪でもわかるでしょ?空見てごらん?」

夕凪は空を見て、また、後悔した。


鳥の様な形の黒いモノが沢山いて空を飛んだり、屋根に降りたりしている。羽が孔雀の様に開いてるものや、コウモリのような羽を持つもの、どれも凶々しい。

「今回は鳥なのね」

「いや、アイツらは偶々来た奴ら。後で始末する」

「このお嬢さんも退魔師なのですか?」家に着いて車から出てくるなり聞いてきた。

「私の弟子です。優秀な子なんですよ」

古川はにっこり頷いて夕凪を引き寄せた。

夕凪はヒソヒソと古川に問いただす。

「いつの間に、弟子になってたんですか」

「婚約者とどっちが」

「弟子で!」夕凪はスッと離れた。

ちぇっ、と古川は残念がった。

「まあ、師匠と弟子も一心同体だからいっか」

「な訳ないでしょ」


広い屋敷だった。縁側の向こうの立派な庭を見ながら廊下を進み、突き当たりにある部屋の前で立ち止まった。

ドアには古川の護符が貼られていた。


夕凪は後ろにいたが、先に自然と足が止まった。

「ヤバい、黒沼やイレテとはまた違う」

身体が震え出した。

「すでに魂を掴んでいる」

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