第2話 古川祥一郎と言う人

「やあ、来てくれてありがとう。疲れたでしょ?入って、入って!きみの持ってきたお茶で一服しようよ』


本殿の脇の引き戸が開いて、古川が顔を覗かせた。

やっと上まで到着した夕凪は、段上に座り込み、ぜいはあと息をするのも絶え絶えだ。


古川は相変わらず微笑んでのんびり言った。

「階段しんどかった?慣れたらどうって事無いからね」

「…」

「凄く綺麗になったでしょ?あれからと、毎朝早起きして掃除頑張ったからね」

「…」

「悪質な奴は皆消えてもらったから、もう安心だよ」

「…」

「まだ、しんどいの?仕方ないなあ」

古川は夕凪に近付くと、両手を差し出した。

「はい」

「いらない。自分で立てます」

夕凪はようやく言い返せた。


古川は夕凪の両手を強引に掴んで立たせた。

「ちょっと!」

「まあまあ」

片手だけ離さず、入り口に向かう。

「手を離して下さい」


古川は笑みを深めた。

「今、離していいの?」

夕凪はギクっとした。

「僕の字消えちゃったよ?」

「う」だから、ここに来るまで走る羽目になった。


「中に入るまでだから、ね」

宥めるように言った。もう、怪異は全然憑いてないのだが古川は自分の都合の良いよう話を進める。

「手は握ってなかったしな」

「またですか!セクハラです!」


夕凪は仕方なく引っ張られるようについて行った。

本殿の脇の居住スペースは10畳ほどの居間と台所、隣に襖を隔てて6畳あるだけのこじんまりした所だった。

風呂とトイレは外に出て別の小屋にある。

「不浄なモノを神聖な神殿にくっつけたらいかんと言う事でしょ。不便なんだ」

襖の上くらいの位置にしめ縄がぐるっと部屋全部に取り付けてある。

「本殿に迷い込んだ奴がこっちへ来ようとするから貼ってた。もう要らないんだけど万が一の時結界を張るのにイメージしやすいから、そのままにしてるんだ」


古川の言う事は浮世離れしていて、ついていけない。


彼はお茶とお菓子をうやうやしく受け取ると、すぐお茶を入れてきた。

一口饅頭も皿に並べている。


「今日のご飯をありがとう」古川が言って饅頭の包みを開けて口に放り込んだ。


「え?ご飯?何も食べて無かったの?」

古川はむぐむぐ食べて飲み込むとお茶を飲んだ。


「そうだね、ここに来たとこだから、まだ収入無い。無一文なんだ。残りは明日に取っといていい?」

夕凪は呆気に取られた。

「冗談でしょ?また、嘘ついて!」


「本当さ。明日は祈祷が2件入ったから6万位貰えるかな?」


「それならご飯持ってきてって言えばよかったのに!」

「米は奉納されたのがあるからいいんだ。一昨日と昨日はここを管理している神主さん家で頂いてるし、それより菓子がいい。甘いモノが好きなんだ。これ、美味しいね、また持って来て」

「またって…気軽に言いますが、大変なんですけど」

「1日一食しか食べないから、今日はこれで終わり」もう一つ口に入れた。

「えー」

よく見れば白いシャツの袖を捲っている腕は夕凪より細い。

「どう考えても栄養失調じゃないの⁈」

「最低限生きてりゃ、それでいい。ちょっと事情があって太れないんだ」

「化け物退治とかのせい?」


「いや、僕個人の体質の問題で力とは関係ないよ」

少し寂しそうに言った。


「それはそうと、寝不足なんだろ?クマができてる」

また微笑んでのんびり言った。

彼は笑い上戸で、常にネタを求めているのはわかった。

でも仕方ない。


「あれから変なモノが見えるようになって、夜中から明け方まで何かが入ってこようとするの。紙もらったけどドアと窓と2箇所からだから足りなくて」


古川は案の定クスクス笑いだした。

「紙って、護符と言ってほしいな。そうか、窓もあったのか!それは大変だったね。僕の名前書いといたからある程度弾き飛ばされるはずなんだけど」

「弾き飛ばされって、結局戻ってくるじゃない!何その中途半端な護符!」


「中途半端ってそんなこと言うの君だけだよ。みんな、金払っても欲しがるんだよ?普通それで逃げるんだけど、よっぽど君に執着してるんだな」

古川はもう一口お茶を飲んで考え込んでいる。


「このしめ縄じゃだめなの?」夕凪は不安になってきて言った。

「それは単なる藁を編んだお飾りだからね。僕が念を込めて初めて結界として作用するんだ。それより外には効かないし、外で騒がれたら結局一緒だし」

「藁を編んだお飾りって、信仰心が揺らぐなあ」夕凪は別の意味でもがっかりした。


「護符も効果短いし、退治できたらいいんだけど、また寄って来るだろうし。イタチごっこだな」

古川はお茶のお代わりを注いだ。

「でも、やらないよりマシか」

「…」嫌な予感がした。


「うん、今晩行くよ」にっこり微笑んだ。

「やっぱりそう来たか」夕凪は顔を顰めた。

「そんなの無理に決まってるでしょう!夜中に女の子の部屋なんて!!」


「それは流石に僕でも無理だよ。夕飯の時間に行くから僕の分もよろしく」

「そんな早くから?ってちょっと!1日一食じゃないの?」

「あれば食べる。コンビニ弁当は嫌いなんだ」


夕凪は気を落ち着けようと両手で顔を覆った。

何なんだろう、私が取り憑かれているのは一体何?お化けだよね?妖怪だよね?で、この人は?


「楽しみだな〜夕凪の家!夕飯何だろね?今帰るための護符渡すから」部屋の隅にある低い木の机の上にある引き出しを開けたら同じような紙が一杯だった。

「はい、1万円」

と、夕凪に渡す。

「何ですって〜」驚愕で目を見開いた。「こんな紙切れが1万円もするの?」

「護符だって。2枚目からは半額になるよ。良心的でしょ?」

「いやいやいや、2、3日で効果切れるのに高すぎる!」

「普通は一ヶ月か、それよりもっと持つんだって」

「えー信じられない」

「出張料は1回10万だけど?」

「そんなの払えるわけないでしょ!」


「ふふっ、だろうね。夕凪は友達だから護符代は要らないし、お菓子とお茶と夕飯と夜食と朝食だけでいいよ。布団は乾燥機か、日に干しといて。あ、風呂も入らせて。ここ、薪の風呂だから湯加減が難しくてさあ。シャワー無いし。洗濯機も貸して?まだ無いから手洗いなんだよね。あとは何かな」

「もう、好きにして下さい。その代わり、ちゃんと、勿体ぶらずに、怖がらせず、退治して下さい。そして、チラッと聞いたんですが『友達』って誰ですか」


古川はニッコリ笑顔で言った。

「やだなあ、僕と夕凪ちゃんだよ。黒沼を退治した仲じゃないか、何なら恋人と言ってもいいよ。抱っこしたし、足も触ったしね。さっき手も繋いだし。僕が年上だし頼りになるよ」

「友達でお願いします」

夕凪はピシリと言った。

「18と13だか5歳差かあ、でも後3年で君と結婚できるなんて犯罪だ」

「そう思ってくれてるならいいです。何で私の年知ってるんですか⁈古川さん18歳⁈」

「ふふっ年取って見える?」

「30歳くらいかと」

「ひどいな!そんなに生きた事今まで無いよ」

「30歳までの人全員そうでしょ?」


古川は変わらぬ笑顔で言った。

「うん、まあね、そうなんだけど。僕は26歳までに居なくなるから」

「どう言う事ですか?」

「そのままだよ。まだ先だし気にしないで」

「あと8年しか無いですよ?」

「また、次のところに行くだけだから」

「なんだあ、引越しか。紛らわしい。私の問題が片付いたら好きにして下さい」

「じゃあ、3年後に結婚…」

「やっぱりそうきますか。それは無しで」


「夕凪、眠そうだね」唐突に古川は言った。

「?そうですね、と言うか疲れました」

「階段か。夜寝られなかったなら、今ちょっと横になれば?ここは清浄で何も入ってこれない。枕貸してあげるよ」

古川はスッと立って隣の部屋へ行くと枕を持ってきた。

「嫌ですよ、なんでこんなとこで」

古川は夕凪の横に枕を置いて軽く叩いた。

「眠いんだから、しょうがないでしょ?ほら、枕持ってきたからちょっと眠りなさい」

片手が目の上に当てられた。

「ネムレ」


「あれ?」夕凪は気がつくと枕を頭に横になっていた。

意識が朦朧としている。身体が重い。

「うん、いけたね。久しぶりだから不安だったけど」

古川は夕凪の顎を取り、覗き込む自分の方へ向けた。

「仕方ないんだ、意識あると絶対嫌がるから」

古川は顔を近付けた。透き通るような茶色の瞳が夕凪を見ている。

「ごめんね」と囁くと夕凪の口を開けて自分の口を合わせた。


夕凪の口の中にじんわりと暖かくて甘い味がする液体のような何かが流れ込んでくる。

自然にこくんこくんと飲み込む。何故かちっとも嫌じゃ無かった。胸も暖かくなる。

口を離した後、もう一度軽くキスすると顎を離した。

「いい子だ、起こしてあげるから、もうちょっと眠りなさい」

聞いた途端、ふわっと柔らかいものに覆われてまた深い眠りについた。



「夕凪、起きなさい」誰かが肩を揺すっている。

「起きないならキスしちゃうぞ」

ぱちっと目が開いた。

正座して微笑んでいる古川が夕凪を見下ろしていた。

「えーっと?」3秒ほど見つめ合った。

「キスして欲しいの?」

夕凪は寝ぼけつつ無理矢理起き上がった。肩からふわっと毛布が落ちた。

「寝てた?」

「うとうとしてたから、ちょっと寝たらって言ったら、スヤァって1時間も寝てるからいい加減起こしたんだ」

「ここで?」

「うん、よだれかいてたから拭いてあげた」

古川は持っていたタオルハンカチを見せた。

「うぇっ、すみません!」

真っ赤になって俯いた。

「まあ、連日寝不足だったろうから仕方ない。早く帰って僕を迎える準備しておいてね。僕も準備あるから」


夕凪は魂が抜けたように帰っていった。


本人は気付いていないが、後ろ姿が少し金色に光っている。

古川はそれを見て満足した。自分の力を注いでも拒否反応なく受け入れてたから相性がいい。

万が一直接守れない時でもこれなら大丈夫だろう。

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