第29話 肉じゃが

 食堂『まどか』で、舞さんが大きく口を開けて肉じゃがをパクリと食べた。


 先ほど号泣したばかりで、まぶたはまだぽってりと腫れているというのに、この人は強い。華奢で可愛らしい見た目とは裏腹に、舞さんは本来、かなりの豪傑だと思う。


「おいひいですね」

 哲夫と同じく、ほっほッとと肉じゃがの熱を逃しながら舞さんがしゃべった。そうやってほほ笑む舞さんは、キラキラオーラが少し回復していて、私はふう、と安堵のため息をついた。


 あれから四人でひとしきり泣いたあと、哲夫が双子を「散歩に連れて行くよ」と機転をきかせてくれたので、私は舞さんを『まどか』へ連れてきた。

「美波さん、ごめんなさい」

 舞さんが長いまつ毛を伏せて、目元に影ができる。


「え? え? なんで舞さんが謝るの?」

 突然謝られてびっくりしてしまう。舞さんはなにも悪くないのに。


「以前、美波さんがおっしゃってたこと。一人で双子を育てるなんて物理的に無理だって。二親が一人の赤ちゃんを育てるのだって大変なのに。その……本当に、その通りだと思います。でも、だからって、人の旦那さんに甘えてしまって。美波さんにも。ごめんなさい」


 美波さんは、肉じゃが定食のお盆の上に深々と頭を下げた。一体なにを言っているんだ、この人は。

「え、ちょっと待って。舞さん、なんか誤解してるよ」


 舞さんは、テーブルの一点を真剣に見つめていて、私の言うことはあまり耳に入って来ないようだ。


「情けなくって……。双子のことは、何をやっても死んでも守るって、そう思ってたんですけど。知らない街に引っ越して、勝手に一人で子どもを生んで。子育ての大変さをまるで知らなかったんです。私なんかが母親で、あの子たちがかわいそうだって……思ってしまって」


 舞さんの泣きはらした目から、また涙が盛り上がって来るのを見て、私はあわてて舞さんの手を握った。ギュッと力を込めると、舞さんが顔を上げる。


「そんなふうに思っちゃダメだよ。『私なんか』とか舞さんらしくないこと言わないで。鼓ちゃんと琴ちゃんを、かわいそうだなんて思っちゃダメだ。あの子たちは、絶対に幸せになるんだから」


 舞さんの眉尻が下がって、とうとう目尻から涙が出てきた。でも、それはたった一粒だけで、舞さんはそれ以上泣かないように、キュッと唇をかんだ。


「私も哲夫も、舞さんと双子ちゃんのこと、勝手に家族みたいに思ってるんだよ。今まで通り、一緒にがんばろうよ。家政婦さんを雇うのはいいって思うけど、私たちにも手伝わせてよ。一人で全部抱え込まなくていいんだよ」


 舞さんは、私が握っていないほうの手で涙を拭うと、ピッと背筋を伸ばして涙を引っ込めた。


「本当に、ありがとうございます」

 うるんだ目でにっこりしてみせた舞さんは、どこか他人行儀でモヤモヤと不安が残る。


 私の言葉を、ただの優しさだと思われると困るのだ。舞さんは、きっと全然わかっていない。哲夫にとって、どれだけ双子ちゃんが大切なのか。舞さんが気を使って私たちと距離を置くと、窮するのはこっちのほうだ。


「舞さんはさ、旦那さんと離婚は考えてないの? その、選択肢として」


 地雷かもしれないと思いつつ、聞かずにはいられない。嫌な男だった。双子のことにこれっぽっちも関心がなくて、それどころか、私たちのことも含めてただ迷惑そうにしていた。いくら顔がよくたって、あんな利己的な人、さっさと離婚してしまえばいいのに。


「結婚してても親になりたくないって思うのは、別に悪いことじゃないですよね」

 舞さんがポツリと言った。ただ事実を述べた、みたいな平坦な言い方で、私は逆に胸を突かれた。結婚してても親になりたくないという点では、私も彼と同じだ。


「夫の達也とは、十六歳の頃からずっと付き合ってたんです」

 舞さんの涙は本格的に引っ込んだようで、舞さんは話をしながら、ご飯を食べるのを再開した。


「あの頃の私、すごく暗かったんですよ。女子には嫌われて、男子にはセクハラされて、親とも仲が悪かったですし。誰にも愛されてないというコンプレックスがあって、自分なんてなんの価値もないって思ってた時に出会ったのが達也だったんです」


 イスに座り直して、舞さんの話に耳を傾ける。暗い話をしているのに、彼女の声は変わらず愛らしくて、かえってかわいそうな気がした。私みたいに呑気な人間でも、三十路を半ばを過ぎた今なら、舞さんのような顔と声をしていたら、いろいろと苦労もあったのだろうなと想像がつく。


「達也も、その……容姿で目立ってしまうほうで。だから、わかってくれたんです。見た目だけで判断されて、中身は勝手に決めつけられちゃうっていうか、結局は誰も私の中身なんか興味ないんだろうな、って他人に対して最初から諦めているようなところがあって。そういうことを、すごくわかってくれました。

 達也は、あの頃の私の中身を好きになってくれた、唯一の人でした」


 目で相槌を打ちながら、私も肉じゃがを食べた。この前哲夫と半分こしたのがおいしかったから、今日は二人とも肉じゃが定食だ。ほどよく冷めたじゃがいもの優しい味がする。


「結婚しても父親にはなれない、って最初から言われていました。子どもは嫌いだって。それでも構わないと思って結婚しました。私も別にもともと子どもが欲しかったわけじゃないんです。寂しかったら犬でも飼えばいいや、って思っていました。


 二十代も終わりに近づいて、まわりにも出産する人が増えて、ふと思ってしまったんです。私ってそもそも妊娠できるのかなって。十代のころから十年以上ピルを飲んでたので、このままずっと妊娠できなかったらどうしようって。産む予定もないのに、怖くなってしまったんです。


 それで、気の迷いというか勢いというか、なんとなく、一ヶ月ピルを飲まずにいたら、すぐに妊娠しました。はっきりとした意思があって妊娠したわけじゃないですけど、うっかりってわけでもないです。わかっててやったことです」


 舞さんの声は穏やかで、私に告白しているというよりは、誰ともなく語りかけているような感じだった。もしかしたら、誰かにずっと言いたかったのかもしれない。

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