第28話 肉じゃが

 土曜日の午後、舞さんの好きなロールケーキを持ってお隣へ向かった。


 双子ちゃんがお昼寝してそうな時間帯を狙って行ったので、チャイムを鳴らすべきか、今まで通りスペアキーでドアをそっと開けるべきか、ドアの前で哲夫とゴモゴモと話し合っていたら、「あーん」と赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。


「琴が泣いてる」

 そう言って哲夫がスペアキーで鍵を開ける。

 私は泣き声だけで二人を聞き分けたりなんてできない。


「おじゃまします」

 小さな声で形ばかりのあいさつをして玄関に入ると、男物の靴があった。哲夫と顔を見合わせる。


「あーん」

 また赤ちゃんの泣き声がして、

「鼓が起きた」と哲夫が靴を脱いだ。


 いやだから、なんでわかるんだよ、哲夫。


 私も素早く靴を脱いで哲夫に続く。

 リビングへ行くと、舞さんと知らない男の人がローテーブルをはさんで向かい合って座っていた。床には双子ちゃんのオモチャがたくさん転がっている。


 私たちの気配を感じた男性が振り返った。イケメンだ。顔もかっこいいし、着ているものも上品でさっぱりしている。彼は私たちを、とりわけ哲夫を見ると、思い切り眉間にシワを寄せた。


 容姿が整っている人がそんなことをすると、すごく意地悪に見えるなぁと、この場に不謹慎な感想を抱く。


「誰?」

 イケメンは、私たちでなく舞さんに聞いた。


 私は舞さんを見て少し衝撃を受けてしまった。いつものキラキラオーラが全くなく、萎れた花みたいにしょんぼりしている。固く結ばれた唇には、普段の自信あふれる勝気さがなくて、もともと小さな体がさらに小さく見えた。


「すみません。お隣の者です。いつも舞さんと仲良くさせていただいてて」

 私がペコペコと挨拶をしている間、哲夫はソワソワと寝室のほうを気にしている。双子ちゃんの泣き声がどんどん大きくなっているからだ。


 舞さんも、哲夫と同じように落ち着かなさそうにしているのだけれど、なぜかその場を動けないようだった。


「ねえ舞さん。あの、お節介かもしれないけど、双子ちゃんみてよっか?」


 舞さんは一瞬目を見開いて、泣きそうな顔で私を見上げた。数秒の逡巡のあと、舞さんは「すみません。お願いします」とささやくような声で言った。


 哲夫と私は双子ちゃんのところへ飛んで行き、私は鼓ちゃんを、哲夫は琴ちゃんを抱き上げる。オムツを代えてからおしゃぶりを与え、哲夫に鼓ちゃんを任せて自分はミルクを作りにキッチンへ行く。


 私がゴソゴソとキッチンでやっている間、イケメンは不機嫌な様子でこちらをチラチラと見ていた。手早くミルクを作り、寝室へ引っ込む。


「あんまりお腹空いてないみたいだな」

 琴ちゃんを抱いた哲夫がこぼす。鼓ちゃんも、ミルクを口に入れても、プイッと顔を横に向けてしまう。


 さっきまでギャンギャン泣いていた双子は、抱っこしてあやすと落ち着いてくれたけど、まだグズグズと機嫌が悪い。


「なんか感じ取っちゃってるのかな。不穏な空気とか」

「そうだな……」


 私たちは、舞さんたちに聞こえないようにコソコソと話しているのだけれど、イケメンは私たちなんかいないかのように舞さんに話している。マンションの壁越しにいやでも会話が耳に入ってきた。


 彼は舞さんの夫らしい。見たときにそうかなとは思っていた。

 男の話によれば、舞さんは彼の元から突然姿を消し、ずっと音信不通だったようだ。偶然、舞さんが双子ちゃんといるところを見かけた知人が彼に連絡を取り、やっと居場所を突き止めたのだと言った。


 彼は舞さんが妊娠していたことを知らず、ましたや双子を出産していたなんて思いもかけず、すっかり当惑……というよりは、ぶちキレていた。


 ぶちキレているとはいっても、彼の口調は丁寧で暴力的なところはない。育ちがいいのだろうなと思う。でも、話を聞けば聞くほど自己中心的であった。


「子どもは欲しくないと最初から言っていた」「舞さんは避妊してるとウソをついていた」「父親になる気はない」「離婚したい」「養育費も払いたくない」


 要約するとこんなところを、繰り返し舞さんに話している。

 舞さんといえば、ほとんどしゃべっているのが聞こえない。


 ただ、男に「本当に僕の子どもなのか?」と聞かれたときだけ、「たっちゃんの子どもだよ」とキッパリと言い放ち、「離婚したい」にはノーかノーコメントを貫いているのはわかった。


 舞さんの夫『たっちゃん』は、一時間くらいねばって帰って行った。


 その間、哲夫と私は、狭い寝室の中で双子ちゃんをあやすために、変顔大会をしたり、抱っこしたまま小躍りをしたりと、地獄の祭りであった。


『たっちゃん』が舞さん宅を出て行き、玄関のドアが閉まる音が聞こえた瞬間、哲夫と私は双子ちゃんと一緒に、釈放された囚人のような勢いで寝室を脱出した。もう限界だった。


 双子ちゃんたちは、舞さんをみるないなや、うわーんと泣き出し、舞さんに手を伸ばした。舞さんは二人を両腕で抱え、腰が抜けたようにその場にヘタリこむ。


 舞さんの両目からポロポロと漫画みたいに涙がこぼれて、そのうち舞さんは赤ちゃんに負けないくらい大きな声で泣いた。鼓ちゃんと琴ちゃんを抱っこした舞さんを、私は双子ごと抱きしめる。


 すぐ隣で、哲夫もポロポロと泣いていた。

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