第24話 肉じゃが

 舞さんはヒュッと息をのみ、額に軽く手を当てて、目を閉じた。貧血になった人が倒れる前にやる仕草に似ていて、私はとっさに身を起こした。


「舞さん、大丈夫?」


 舞さんは質問に答える代わりに、目を少し開けて、刺すような視線を私へ向ける。普段はふわふわのマシュマロのような雰囲気の舞さんがそうやると、背筋が凍るような衝撃があった。


 双子がまだ生後四週間くらいのころ、私が『双子を一人で育てるなんて、物理的に無理だよ』とよく考えずに言ってしまった時も、同じように睨まれたことを思い出す。


「いくらなんでも、それは変だって思いますけど」

「う……」

 にべもなくそう言われて、脇の下に冷たい汗がつたった。常識外れなことはわかっているけれど、ここ数ヶ月考えて考えて、一番いい方法は、やはりこれしかないと思うのだ。


「あのね。哲夫、双子ちゃんのお世話をするようになって、生まれ変わったみたいに生き生きしてるの。舞さんだって、哲夫がいると助かるでしょ? 双子ちゃんにとっても、すごくいいと思うんだ。舞さんと哲夫が一緒になっちゃえば、みんな幸せになれるんじゃないかな」

 怖い目をした舞さんの前でチビりそうになりながら、アワアワと言葉を重ねた。


「鼓も琴も、私の子どもです」

 舞さんのきっぱりとした言い方に、その場がピリリと緊張したけど、舞さんの目は、もういつもの優しいものに戻っている。


「ごめんね」

 私が謝ると、舞さんは肩くらいまでのストレートヘアーをサラサラと揺らして、首を横にふった。


「いいえ。私こそ、ごめんなさい。哲夫さんにも美波さんにも、感謝してもし足りないです。実際、お二人がいなかったら、私も双子もどうなってたかわからないです」

「そんなことないよ。舞さんだったら、どこ行ってもなんとかなってたと思うよ」


 舞さんはまた、首をフルフルと横にふった。


「私、美波さんと哲夫さんが偶然となりに住んでて、本当に幸運だったと思います。世の中、優しい人はたくさんいるけど、お二人は別格です。その……、双子にとってってだけじゃなくて、私にとっても、特別なんです」


 ほおがカーッと熱くなった。舞さんの顔と声でこんなことを言われると、どうしようもなく照れてしまう。舞さんはこういうことを真顔で言える人なのだ。 


「でも、それと、私と哲夫さんがどうこうというのは、別の話です」

 舞さんが申し訳なさそうに視線を落とした。


「哲夫、すごくいいやつだよ」

 私がそう言うと、舞さんは頭の悪い子どもでも見るような、困った表情になる。


「哲夫さんがいい人なのは知ってます。でも、哲夫さんの気持ちもありますし。妻に離婚してと言われたら、誰だってショックなんじゃないですか」

「……うーん。それは、まあ、わかってはいるんだけどさ。舞さんはどうなの? 哲夫とじゃ、ダメかなあ?」


 舞さんは、すっかり呆れた様子で、はぁとため息をついた。

「美波さんは、それでいいんですか?」


「うん。私は哲夫が幸せだったらそれでいいんだ」

 我ながらウソくさいセリフだなと、表情がくもったままの舞さんを見ながら思う。本当のことなのだけれど、そんな単純な話だろうか。自分のことなのに、うまく言語化できない。


「私、たぶんちょっとズレてるんだと思う。嫉妬とか独占欲とか、誰に対しても感じたことがないんだ。でもだからって、哲夫のことを軽く考えてるわけじゃないんだよ。舞さんのことも、哲夫のことも、双子ちゃんのことも、本当に大事だと思ってるの。私なりに」


 舞さんは、とびきり渋いお茶でも飲んだみたいな顔になり、うーんとうなった。舞さんの頭の中でいろんな思考が飛び交っているのが、パチパチと聞こえてきそうだ。しばらくして舞さんは、何か思い出したように私の目を見た。


「美波さん、お二人が離婚しても私は哲夫さんと結婚できません。私の気持ちがどうこうという以前に、まず無理なんです。その、前提として」


 舞さんはそこで背筋を伸ばした。


「どういうこと?」

「私、結婚してるんです」

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