第23話 肉じゃが
「哲夫さん、何かあったんですか」
舞さんが私にそう聞いた時は九時を回っていた。哲夫がいないと、寝かしつけに時間がかかってしまう。最初の二、三日は「哲夫は残業で」と言えば納得していた舞さんも、哲夫が一週間も双子ちゃんに会いに来なくなって、さすがに疑問に思ったようだった。
哲夫は、鼓ちゃんと琴ちゃんがまだ生後三週間くらいの頃から、ほとんど毎日舞さん宅に通っているので、こんなに間が空くのは初めてのことだ。
舞さんが引っ越して来たとき、哲夫も私も舞さんのことを、若くて可愛い独身女性だと思っていた。数ヶ月経つとお腹のふくらみが目に見てわかるようになり、臨月になる頃には、「こんなに小柄な女性がどうやって」と思うくらい大きなお腹を抱えていた。
なぜ一人で双子を産むことにしたのか、一度だけ本人にそれとなく聞いてみたら、うまくはぐらかされてしまったので、きっと言いたくない事情があるのだと思う。
双子を無事に産んだ舞さんは、赤ちゃんを二人連れて病院から戻って来た。子どもを産んだ姉や友人から、赤ちゃんのお世話は大変だと聞いていたので、出産祝いと一緒にカレーもタッパに入れて持って行った。舞さんがいたく感動してくれたので、二日後にハンバーグのおすそ分けをした。
そうやって舞さんのマンションを訪ねているうちに、双子の赤ちゃんを一人で育てるということの壮絶さを知り、哲夫と私は次第に大胆に舞さんを手伝うようになった。
舞さんはいちいち恐縮していたけれど、なりふりかまっていられない状況だった。哲夫は仕事から帰ったらとりあえず双子の様子を見に行くようになり、私は洗濯や掃除の手伝いをして、ご飯を作るときは舞さんの分まで作る習慣ができた。
そういう経緯で、私と哲夫は、舞さんのマンションのスペア・キーを持っているし、双子のオムツの種類から乳歯の数まで把握しているわけである。
「哲夫、私に対してすごく怒ってる。それから、たぶんだけど、なんか変な方向に遠慮してるんだと思う」
哲夫に何かあったのかと聞かれて、そう答えたのだけど、我ながら説明になってないなと思う。『まどか』で離婚の話をしてから、哲夫はしゃべらなくなり、朝は早く会社へ行ってしまうし、夜は深夜まで帰ってこない。哲夫は普段は温厚だが、怒ると長い。といっても、いつもは二日もあれば普通に戻るので、今回は異例である。
舞さんがクエスチョンマークのだらけの顔で、カモミールティーを入れてくれたので、この際、舞さんに全部話してしまおうと決心した。
「哲夫に、離婚しようって言ったの」
私がそう切り出すと、舞さんがもともと大きな目を限界まで見開いたので、目玉が飛び出すんじゃないかと思った。
「……え? え? あの、なぜですか? 仲良いですよね?」
そうなのだ。私は哲夫が誰よりも大事だし、哲夫も私のことを大切に思っていることは知っている。舞さんが驚くのも無理はない。
「うん。仲はいいんだけどさ」
「他に好きな人ができたんですか?」
「ああ、それ、哲夫にも聞かれたけど、そういうことでもないんだ」
舞さんは、アニメのヒロインのように、首をコテンと
「じゃあ、どうして?」
「……うーんと、いろいろ理由はあるんだけど。哲夫にもっと幸せになってほしいというか。つまりさ、哲夫は、お父さんになったほうがいいと思うんだ。でも、私は、その……ね?」
そこまで私が言うと、舞さんがゆっくり頷いた。子どもが欲しくないのか、生めないのか、そこは詳しく聞かずとも、大体で察してくれたようだ。
「だから、私とは離婚したほうがいいんじゃないかって、哲夫に言ったら、すごいショック受けちゃって。双子ちゃんにも会いに来ないのも、たぶん私になんか変に気を使ってるんだよ。あれからほとんど口も聞いてくれないし」
舞さんは、心配顔で「はあ」とため息をついた。
何か言いたそうにしているけど、言葉が選べずにいるようだ。私たち夫婦の間のことだし、舞さんがコメントしづらいのもわかる。
「あのね、舞さん。哲夫は、双子ちゃんのことを愛してるの。知ってるかもしれないけど」
舞さんが首をさらに傾けた。この話は一体どこへ行くの? とでも言いたげに。
「私だって、鼓ちゃんと琴ちゃんは大好きだよ。でも、あくまで姪っ子みたいな感じなの。でも、哲夫の愛は、もっとこう、本物なんだよ。本当の親子みたいな絆ができちゃってる」
舞さんは顔を強張らせたまま、傾けた首を起こして、もう一度ゆっくりと頷いた。
これから私が言うことは、たぶんものすごく突拍子もないことだけど、舞さんに言うなら今しかない。
「舞さん、哲夫と結婚してくれない?」
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