第25話 肉じゃが
舞さんに衝撃の告白をされて、頭がぐるぐるした。それならなぜ、舞さんは一人で双子を産んで育ててるんだろう。舞さんの旦那さんはどこにいるのか。そのへんの事情は、舞さんは話したくなさそうだったから、とりあえず家に帰ることにした。
自宅へ戻ると、リビングのソファに哲夫が座っていて、私が「ただいま」と言うと「おかえり」と返ってきた。よかった。やっと口きいてくれた。
哲夫のとなりに腰を下ろすと、哲夫からぎゅーっと抱きしめられた。
「なんか、ごめんね、哲夫」
「……いや」
「双子ちゃんとこ、明日は会いに行きなよ」
哲夫は抱きしめていた両手を離すと、私に向き直った。
「いいのか? 美波は、その……」
複雑な目をしている。後ろめたいような、困惑したような、まだ少し怒っているような、いろいろな感情が混ざった目だ。哲夫も、私と同じくらい、自分の気持ちが整理できていないのかもしれない。
「いいもなにも。哲夫がいないと向こうだって困るんだよ」
哲夫は難しい顔をして点いてもいないテレビのほうを眺めた。
「美波は?」
「私はって聞かれても。その、それは全然いいんだよ。変な気の使い方しないで」
哲夫の表情は固いままだ。
「舞さん、結婚してるんだって」
哲夫が目を丸くした。
「え? じゃあ、なんで? 旦那さんはどこにいんの?」
「わかんない。言いたくなさそうだったから、追求してない」
「そうか……」
「だからってわけでもないけどさ、離婚の話は忘れちゃっていいよ。ごめんね。今まで通り、私たち二人で舞さんのお手伝いをするのでいいんじゃないかな」
哲夫が私をまっすぐに見つめた。また表情がビーグル犬みたいになっている。ご主人の顔色を気にする哀れな犬。哲夫にこんな顔をさせたくないのに、なんでこうなっちゃうんだろう。
「いいの? 美波はそれで」
「うん。哲夫が今のままでいいんなら、私もそれでいいよ」
哲夫は、何か言いたそうにして黙り込んだ。「ちゃんと話し合おう」なんて、哲夫が言い出しやしないかとヒヤヒヤする。
哲夫と私は、ほとんどのことは話し合わなくてもうまくいく。哲夫と私の間では、話し合わないとダメな案件は、話し合っても結局ダメで、むしろ話し合うともっとダメになるということを、結婚して八年の間に学んだ。
「おやすみ」
哲夫の目を見つめてそう言うと、哲夫も諦めた様子で「おやすみ」と私にハグをした。哲夫の胸に鼻をこすりつけてから、自分の寝室へ向かう。
私と哲夫は、ずっと別々の寝室で寝ている。
結婚してすぐに、哲夫は子どもがほしいと言った。哲夫とのセックスは、最初の気恥ずかしさを乗り越えてしまえば気持ちがよかった。生まれたばかりの子犬みたいに、裸で一緒に寝るのも好きだった。
そうやって一年が経っても、私は子どもができなかった。病院で二人とも検査を受けても異常は見つからず、医者に勧められるまま基礎体温を測り、排卵日に合わせてセックスするようになった。知り合いのアドバイスやネットで読んだ情報をもとに、食生活からエクササイズまで、いろんなことを試した。
それでも子どもを授からず、それどころか妊活のストレスで生理がこなくなった。
医者に相談すると、もっと掘り下げて検査をすることを提案され、哲夫がさも当然だとばかりに乗り気だったので、私は嫌と言えなかった。
私たちの関係に決定的な変化が訪れたのは、その時だったと思う。その日を境に私の体は哲夫に対して全く開かなくなった。何をやってもダメで、私も哲夫も、二人の関係もひどく傷ついた。もう二度と元通りにならないくらいに。
妊活というものが、私を少しずつ疲弊させ、私はほとほと嫌になったのだ。子どもを作るためにセックスをすることも、生理がくるたびに哲夫がガッカリすることも、自分の体のどこが悪いんだろうと思い悩むことも。
私は母親になんかなりたくないのだと気づいてしまった。子どもがほしいと思ったことは一度もない。それどころか、妊娠して体が変わってしまうことや、子ども生まれて自分の時間が犠牲になるのが本当は嫌だった。
哲夫が子どもを欲しがるから、私は哲夫の妻だから、ストレスでも妊活をしなくちゃならないのだと、心のどこかで哲夫や世間を恨んでいた……ということを、そのとき初めて自覚したのだった。
「もう妊活はしたくない」と哲夫に打ち明けたとき、哲夫は驚かなかった。「いいよ。無理しなくて。子どもができなくても、美波と一緒にいられれば、それでいい」と哲夫は答えた。
それっきり、哲夫とキスもしていない。そんな雰囲気になってもできなくて、傷ついてしまうのが二人とも怖いからだ。もう五年以上になる。
哲夫と結婚していることで、私は哲夫の何かを、例えば彼の優しさとか、手に入ったかもしれない別の未来とか、そういうものを、哲夫から搾取し続けている気がしてならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます