第16話 チョコレートパフェ

 大学時代の優希は、なかなか恋多き女だった。ワンダーフォーゲル部の部員として知り合ったのだが、当時、優希を狙っていた男子は多かった。


 大学三年の終わりに僕と優希がつき合い出したとき、僕のようなモブキャラが、なぜ優希を射止めたのか誰もが疑問に思った。


 実際に僕の目の前で「大野のどこが好きなの?」と優希が聞かれたこともある。


「え〜っとね。人の話を真剣に聞いてくれるし、絶対浮気しなさそうなところ?」

 酔っ払った優希がヘラヘラ笑いながらそう答えていたのを記憶している。


 要するに、失恋した優希を慰めるというポジションに、たまたま居合わせたのが僕の勝因だったのだと思う。


 特に何の問題も進展もないまま、穏やかに続いていた優希と僕の関係は、いったん壊れた。大学を出てすぐに就職した先がとんでもないブラック企業で、底辺のプログラミング作業を昼も夜もなくやっているうちに、優希とほとんど音信不通になってしまい、優希の心が僕から離れて行ったのだ。

 

 それから何年も経ち、お互い三十歳を過ぎた頃、僕らはバッタリ再会した。元ワンゲル部員の結婚式に二人とも招待されたのだ。


 酔った優希といい雰囲気になり、二次会のあとにホテルへ行った。そのときにできたのが、さくらだ。


 妊娠を告げられたとき、僕から優希にプロポーズした。優希に惹かれていたのも、妊娠させたことに責任を感じたのも事実だが、「この機会を逃したら、僕は一生結婚することはないかもしれない」という気持ちも少しはあった。 


 優希には絶対に言えないが、「さくらは本当に僕の子どもだろうか?」という疑問が、頭の片隅にこびりついていた。そして、それは優希も同じだったのではないかと思っている。


 さくらの髪質や指の形など、細かな部分がどんどん僕に似てくるのを、僕と同じくらい優希が喜んでいるのを、僕は知っている。



「ユナ、さくらちゃん、一緒にサッカーしようか」

 原田さんが持参したサッカーボールを抱えて立ち上がった。どちらの弁当もほとんど空になっている。原田さんがうまく会話をリードしてくれたおかげで、あっという間に時間が過ぎていた。


 原田さんが子どもたちを芝生のあるほうに連れて行ってくれて、優希と僕は花びらの舞う河原で二人っきりになった。


「女の子がサッカーかぁ……」

 三人がサッカーをしているのが、遠くのほうに小さく見える。


「そうだよ。最近は女の子だって、みんなサッカーも野球もするんだよ。

 原田さん、高校まではアメリカに住んでたんだって。日本語が完璧だから、最初はぜんぜん知らなかったんだけど、知り合ってみると、やっぱいろいろとアメリカンだよね」


『アメリカン』の部分を、優希が変に英語っぽく発音し、ひとりでへへ、とウケている。


「帰国子女か」

 通りで嫌味なわけだ。アメリカに単身赴任にでもなればいいのに。


 桜の花びらが、優希にひらひらと降り注いでいる。こういうとき、僕はいまだにドキドキしてしまう。いや、ムラムラというほうが正しいかもしれない。


 優希は、あまり胸の目立たない服を好んで着るが、実はDカップの美乳の持ち主だ。花びらの一枚が、優希の鎖骨に乗っかっているのを、さっきから舌で舐めとってしまいたくてしょうがない。


 今日の装いは、角度によっては胸の谷間がバッチリ見える。原田さんには絶対に見せたくない。帰りに優希が好きなロゼワインでも買って帰ろうか。さくらが生まれてから、そういうことも間遠になってしまったが、今日はいけるかもしれない。


 僕がそんなことを考えているうちに、息を切らせながら、原田さんが帰って来た。

「はー」と大きく息を吐きながら、ピクニックシートの上に、豪快に大の字になる。


「パパ、かくれんぼしよう?」

 原田さんを追いかけて来たユナちゃんが、彼のお腹に乗りながら言うと、さくらも「かくれんぼ!」と原田さんの腕をつかんだ。


「おじさん、ちょっと休憩〜」

「え〜」

 二人の女の子がふくれっ面になる。


 原田さんが僕のほうを見た。

「僕、もう年なんで、息切れちゃって」荒い息をくり返しながら笑う。

「大野さん、まだ若いでしょ。ちょっと交代してくださいよ」


 原田さんに言われて、反射的に立ち上がった。人が気持ちよく引き受けてくれるように、仕事を振るのに慣れている感じがする。


「よーし、かくれんぼしよう」

 目をつむり、両手で顔をおおうと、イーチ、ニー、と数えはじめた。

「えー! パパ、待って」

「さくらちゃんパパ、待って!」

「サーン、シー」

「きゃー!」


 さくらとユナちゃんが笑いながら走って行く。ゆっくり三十秒数えてから目を開けた。


 僕が目をつむっていた間に、原田さんは起き上がっていて、優希の右隣に座っていた。距離が近くてイラッとする。アメリカンめ。


「もういいか〜い」

 大きな声を出しながら、女の子が走って行ったほうへと歩き出して行く。


 しばらくして振り返ると、お似合いの夫婦にしか見えない原田さんと優希の二人が、笑顔で手を降っていた。


 ボスザルにメスを取られたサルは、こんな気持ちかもしれないと思った。



 たっぷり遊んで日が沈む頃に、僕たちは河原をあとにした。ユナちゃんもさくらも『疲れた』とグズり出し、僕と原田さんはそれぞれ自分の娘をおんぶした。おんぶされた二人が、五分もしないうちに寝息を立てはじめたので、優希は愛しそうに目を細めた。


 夕焼け色に染まった優希は美しく、彼女が僕の前でこんな顔になったことがあっただろうか、と変なことを思ってしまう。


 わかっている。僕が原田さんに対して抱えている感情は、ただのやっかみだし、余計なことを考え過ぎるのは、僕の不毛でどうしようもない性分なのだ。


 不毛だとわかっていても、時々考えてしまうことがある。母と離婚してから再婚もせず、ひとりで寂しく逝ってしまった父の、罪はなんだったのだろうかと。弱さだろうか? 父は、弱かったから負けてしまったのだろうか。


 人の話を真剣に聞き、浮気をしそうにない。そんなことで選ばれた僕は、いつか優希に置いて行かれてしまうのではないか。父のように。

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