第14話 チョコレートパフェ

「さくら、原田さんによく懐いてるんだな」

 さくらを寝かしつけたあと、優希ゆうきに聞いた。


「ユナちゃんパパ、幼稚園で大人気だから。送り迎え、ママと交代でやってるから、よく会うんだ」


 ニコニコと話す優希は、いつになく上機嫌に見える。パジャマ兼用の部屋着を着ていて、化粧を落としている。ああ、今日は原田さんがユナちゃんを迎えに来るから化粧をしたままだったのだろう。そう気づいてしまって、なんだか複雑な気分になる。


「なんかあった?」

 優希が僕の顔をのぞき込んだ。

「え?」

「元気ないから」

「いや……」


 僕は中嶋が辞表を出したことを話した。

「ええ!? このタイミングで辞めるってひどくない?」

 優希が眉根を寄せた。


「神崎さんも戻ってこないんでしょ? せめて、神崎さんの後任の人が入ってから辞めてくれればいいのに。今だって三人分の仕事を二人でやってるのに、中嶋さんまで辞めたら、貴志たかしくん、ひとりになっちゃうじゃない」

「まあ、そうなんだけど」


 神崎が辞めるから中嶋も辞めるのだ、とは優希に言えない。「そんなわけないでしょ」と一笑に付されるに決まっている。


 でも、僕は自分のこの考えが馬鹿げているとはどうしても思えない。神崎が産休に入る前までは、中嶋は職場で割と楽しそうにしていた。二人で談笑しているのをよく見たし、たまに二人に誘われてお昼を一緒に食べたりした。神崎がいなくなってから、中嶋は職場でほとんど口を聞かなくなった。仕事はきちんとこなしてくれたが、笑顔がめっきり減った。


 優希に言わせると、僕は何事も考え過ぎる傾向があり、余計な心配をするのが趣味なのだそうだ。


 たしかに僕は物心のついた頃から心配性で、さくらはその性分をしっかりと受け継いでいる。


 小学校の先生をしていた優希は、さくらが一歳になったら復職する予定だった。さくらがあまりに内気で保育園に馴染めなかったため、優希は復職を断念したのだ。

 さくらが二歳になったら、幼稚園に入ったら……と延ばし延ばしにしたまま、今に至る。


 僕も、幼稚園に行ったり行かなかったりの子どもだった。母から離れるのが怖くて、いつも母のあとを付いて回っていた。母がいないと不安で、幼稚園を抜け出そうとしたことも何度もある。もっとも、こういった話はあとから母から聞いたことで、自分ではすっかり忘れていたのだが。


「人事には事情を話してあるし、次の人もすぐ雇うように手配してあるから。しばらくはひとりだけど、なんとかなるよ」

 優希に内心の不安を悟られないように、明るい声を出した。


「貴志くん、人を採用するのも、新人教育するのも初めてだよね」

 そう言われて、ギクリとする。


 そうなのだ。曲がりなりにも課長という肩書きだというのに、僕は人を採用した経験がない。この歳になっても、新しい人と関係を築くのが苦手で、新しい人も中嶋のように逃げて行くのではないか、そんな不安がどこかにある。


「誰だって、最初は初めてだろ」

 変な日本語だったが、優希は理解してくれたようで、うんうんと頷いた。

「大丈夫だよ。大丈夫」

 優希と自分の両方にむかって、そう言い聞かせた。



 その晩、夢を見た。僕は幼稚園にいて、ぎゃあぎゃあと走りまわる園児を見ながら、部屋のすみに座っている。


「大丈夫よ。大丈夫」

 頭上から母の声がした。僕は、母のひざに抱かれているらしい。

 母が僕をひざから下ろそうとするので、とっさに抱きついた。母が僕を置いて行ってしまうのが、怖いからだ。

「はあ」と母がため息をつく。


 そういえば、優希もよくこうやってため息をついていた。さくらの世話と家事だけやっていると、頭がおかしくなりそうだと僕に泣きながら訴えたこともある。僕だけの収入だと家計だってかなり厳しい。


 あのころ、優希の息抜きにと、週末に僕がさくらの面倒をみると、さくらは声を枯らして泣いた。

「大丈夫だよ。大丈夫」

 母が僕によくそうしていたように、僕はさくらを抱いて何度もそう言い聞かせた。


 それは、大人の勝手な祈りでもあった。大丈夫になってくれないと困るのだ。さくらが優希と離れても大丈夫じゃないと、優希や僕までおかしくなってしまう。


「たかしくん、大丈夫よ」夢の中で母が辛抱強く続ける。

「お母さん、ぜーっっったいにいなくなったりしないから、ね?」

 母はとうとう僕をひざから下ろして、僕と指切りげんまんをした。


「じゃあ、お願いします」母が頭を下げて去って行く。

 僕は一人になる。心臓のトクトクという音が聞こえる。そのうち、チクチクという痛みに変わる。


「大丈夫だよ、たかしくん」

 母ではない女の人が僕の手を握ろうとするので、僕は手を振り払って逃げた。


 大丈夫なんかじゃなかったじゃないか。母さんは、父さんを置いて行ったじゃないか。



 胸に激痛が走り、目が覚めた。ハアハアと荒い息を繰り返す。額や脇がじっとりと汗ばんでいる。隣で寝ていた優希も目を覚ました。


「ねえ、大丈夫?」

 僕の背中を優希がさすった。胸はまだジンジンと痛むが耐えられないほどではない。


「……ああ。ごめん。大丈夫」

「ほんとに? 顔色、真っ青だよ」

「うん。なんか、変な夢みた。もう大丈夫」


 無理に笑ってみたけど、優希の表情は曇ったままだった。

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