第12話 チョコレートパフェ

 僕が小学校に上がったころ、両親が離婚した。母は僕を連れて実家へ帰り、父とは二週間に一度、日曜日に会う決まりになった。


 父は、子どもと遊ぶということがよくわかっていない人だったし、僕もひとりでいるのが好きな子どもだった。父はいつも、僕を図書館の一角にあるキッズコーナーへ連れて行ってくれた。僕はそこでひとりで絵本を眺め、積み木やパズルで遊んだ。父は、僕が見える場所で本を読んでいた。


 僕は引っ込み思案だったから、他の子どもと遊んだりはしなかった。ときどき、ガキ大将にちょっかいを出されそうになると、父がやって来て「そろそろ帰ろうか」と僕に声をかけた。


 図書館のあとは、喫茶店で昼ご飯を食べ、デザートはチョコレートパフェと決まっていた。僕が半分食べ、残りを父が食べる。このルーティンは、僕が小学校を卒業するまで続いた。


 特別なことはしなかったし、会話もほとんどなかったが、僕は父と過ごす日曜日がわりと好きだった。


「すまない」


 チョコレートパフェを食べていると、急に父の最後の言葉を思い出した。

 スキンシップなどほとんどしなかった父が、僕の手を握って離さなかった。骨ばった手で一生懸命に僕の手を握りしめながら、朦朧とした意識の中で「すまない」と何度も口にした。


「大丈夫だよ、父さん。大丈夫だ」

 何が大丈夫なのかわからないまま、父の手を握り返しながらそう繰り返した。

 父は、なにをあんなに謝りたかったのだろう。


 両親が離婚して一年が経ったころ、母が再婚した。継父は、実父とは正反対の賑やかな人だった。


 母は、誰が見てもわかるくらい美しくなった。

 いつもため息ばかりついていた人が、よく笑うようになり、痩せて活動的になった。


 アクティブな継父に連れられて、僕たちは家族で一緒にテニスをしたり、公園でピクニックをしたり、海水浴へ行ったりした。実父はまるでそういうことをしない人だったから、何もかも初めての経験で楽しかった。


 ただ、たとえば継父とキャッチボールをするとき、継父と仲良くしている僕を見る母が、あまりにも幸せそうで、そのことが悲しかった。


 僕や母を喜ばせるために、一生懸命に努力していた継父のことを、それなりに慕っていたし感謝もしていた。それでも僕は、実父と過ごす時間のほうが好きだった。二週間に一度の日曜日。僕が、ただの僕でいられる時間だった。


 コトリ。さっきの店員がさりげなくテーブルに湯呑みを置いた。

「あ、どうも」と礼を言う僕に向かって、彼は控えめな笑顔で会釈すると、すぐに次のテーブルへ向かう。少し混んできたようだ。


 置かれた湯呑みから湯気がふわりと浮かんで消える。三月になって、日中は暑いくらいだが、夕方はまだ少し肌寒い。


 気がつけば、パフェのグラスは空になっている。けっこうな量だったはずだが、あっという間に平らげてしまった。これから夕飯だというのに、食べ過ぎだ。冷たいものを早食いしたから腹が冷えている。


 お茶をズズっとすする。ほうじ茶のいい香りがする。冷たかった胃が温まる。

 いい店だ。気取ってなくて、ほっと一息できる。少し元気が出た。


「ごちそうさま」

 会計を済ませるとき、「ありがとうございました」と挨拶をする店員と目が合った。父のような優しい目をしている。大柄な彼は、平均的な身長の僕よりも頭一つぶん背が高く、僕の二倍ほど肩幅があった。


 たとえばゾウのような、大きな草食動物を思わせる。物腰が柔らかいのは、人に警戒心を与えないように気をつけて生きてきたからなのかもしれない。


「またお越しくださいませ」

 威勢の良い声がカウンターの後ろから聞こえてきた。「一番テーブルです」とさっき言っていた彼女だ。ウェイターの彼と対照的に、ずいぶんと小柄だ。そういえば、前に家族で来たとき、優希が「小さくてかわいい女の子ね。ぴょんぴょん跳ねて、ウサギみたい」と僕に耳打ちしていた。


 前に来たときも同じ店員だったから、二人で店をやっているのだろうか。男性はともかく、女性はやけに若く見えるが。ゾウとウサギの珍しいコンビだ。


「また来ます」

 そう言って店を出た。




 少し急ぎ足で家へ向かう。

 娘のさくらは、まだ起きているはずだ。今日は幼稚園へ行っただろうか。子どものころの僕と同じく、極度に内向的なさくらは、友達がなかなかできず、幼稚園も行ったり行かなかったりしている。


「ただいま」

 自宅のリビングのほうがやけにさわがしい。いつもなら、さくらは夕飯を済ませて風呂に入っている時間だ。

 変だなと思いながらリビングのドアを開けたら、きゃー! と笑い声の混じった叫び声が聞こえてきた。

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