第8話 煮込みうどん
赤ちゃんのいる家庭をお邪魔すると、赤ん坊というのは、泣いていない時間がとても短いことに気づく。
起きたばかりだと言って泣き、おっぱいがほしいと泣き、オムツを変えろと泣く。機嫌がいい時に遊んであげて、少し一人にしておくと、また泣く。
「疲れちゃったね。おねんねしようね」とママが抱っこして、私は「さっき起きたばかりなのに」と驚く。
「うぎゃあ」
美由紀がリビングで叫んでいるのが聞こえてきた。
「え、なに? 大丈夫?」
「木華史上、最大のウンチ爆弾落とされた〜!」
美由紀がすっとんきょうな声を上げた。
火を一番小さくして、リビングに行ってみると、美由紀がわんわん泣く木華ちゃんを抱えて泣き笑いの顔になっている。
木華ちゃんのロンパースの背中部分にべったりと茶色いものが付いていて、木華ちゃんがさっきまで寝ていたマットにも茶色いシミが出来ている。
「うぎゃあ」
私も同じような奇声を上げると、美由紀がぶはっと笑った。私もつられて吹き出した。
「木華さん、やりましたね。記録的快挙ですよ、これは」
私が木華ちゃんに向かって真面目な顔でそう言うと、美由紀がゲラゲラ笑った。木華ちゃんの雄々しい眉毛が八の字になっているのを見て、申し訳なく思いつつ、私も一緒に爆笑した。
「これ、どうすんの?」
「シャワーで流すほうが早いかも」
「手伝うよ」
「ありがとう。助かる」
二人で四苦八苦して木華ちゃんをきれいにし、汚れた服やマットを下洗いした後、美由紀は「授乳してくる」と寝室へ引っ込んだ。
二人が寝室にいる間、私は煮込みうどんの続きにかかる。野菜が煮えているのを確認してから、冷凍うどんを投入する。うどんが煮えたらいったん火を止めて、お味噌を入れた。お味噌が溶けてから味見をする。
「うまっ」
口をふうふうさせながら独りごちた。昨日、リスさんが作ってくれたものと少し風味が違うのは、使っているお味噌が違うからだろう。でも、昨日のとほとんど引けを取らないくらいおいしいものができた、と思う。
ちょうどいいタイミングで美由紀が寝室から出てきた。ふと窓の外を見ると、きれいな夕焼けが見えた。
「ねえ。煮込みうどん、できたけど。食べる?」
「食べる食べる。すごいいい匂いする」
私がうどんを装って、最後の仕上げに刻んだ小葱を散らしている間、美由紀は木華ちゃんをバウンサーに入れた。二重アゴが強調された木華ちゃんは、小さいお相撲さんみたいで、つい笑ってしまうくらいかわいい。
「木華ちゃん、ケンさんにそっくりだね」
「え〜、やだあ」
美由紀が幸せそうに苦笑いをした。ケンさんはブサイクじゃないけど、小太りでひょうきんな顔をしている。
「いただきます」
「いただきま〜す」
二人で、ふうふう冷ましながら食べる。
食べながら美由紀が足で時々バウンサーを蹴り、バウンサーの揺れが止まらないようにしている。バウンサーの揺れが止まれば、木華ちゃんがグズるからだ。
木華ちゃんを乗せたバウンサーは、ダイニングテーブルをはさんで向かい合って座る私たちの、ちょうど中間地点に置いてあった。木華ちゃんからは、私と美由紀の両方の顔が均等に見えるようになっている。きっと、美由紀とケンさんは、こうやって一緒にご飯を食べているのだろう。
「私も手伝うよ」
バウンサーの揺れが少なくなってきたころを見計らって、私もバウンサーをそっと蹴った。お行儀が良くないし、製造側も足で蹴って揺らすことを想定して設計してないのだろうけど、こうやって足でバウンサーを揺らしてる人は、きっと世界中に星の数ほどいるんじゃないかと思う。
私と美由紀は交互にバウンサーを蹴りながら、夢中で煮込みうどんを食べた。食べ始めてみたら、二人ともとてもお腹が空いていることに気づいたのだ。リスさんを見習って、心を込めて作ったうどんは、とびきりおいしい。
女二人で、赤ちゃんの乗ったバウンサーを蹴りながら煮込みうどんを食べる風景は、幸せで、間抜けで、可笑しかった。翔くんのことも、さっきの険悪な雰囲気も、どうでもよくなっていた。
「ふふっ」
と美由紀の声が聞こえて、美由紀も私と同じように可笑しいのだろうと思って顔を上げたら、美由紀が涙を流していたのでびっくりした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます