第4話 煮込みうどん

「……みたらし団子、食べます?」

「へ?」

「ちょっと待っててください」


 リスさんは椅子から立つといそいそと厨房へ行き、みたらし団子を一つづつお皿に入れて持ってきた。


「これ、お醤油じゃなくてお味噌のみたらし団子なんです。冷蔵庫に入れると固くなっちゃうから、今日のうちに食べたほうがいいんです。ナベさんがいないから、私が二つ食べようか迷ってたんですけど、ちょうどよかった」


 私が食べることを百パーセント確信したような顔で勧められたので「ありがとう」といただくしかなかった。

 リスさん、ぽわんとしているのに、意外と押しが強い。


 リスさんが、すでにおいしそうにお団子の一つをほおばっているので、私もかぶりついた。

「え? うわ。なにこれ」

 びっくりして思ってたことがそのまま口に出た。


 ふんわり柔らかく弾力のある団子に、甘さと塩辛さが絶妙なタレ。飲み込む時に、鼻に抜ける香りがなんともいえない。これがみたらし団子なら、今まで食べてきたみたらし団子はなんだったんだろう、と思うくらいだ。


「おいしいでしょう?」

 リスさんは心から嬉しそうに口をもぐもぐと動かしている。そうしていると、本当にリスみたい。


「うちのお味噌の仕入れ先で売ってる、みたらし団子なんです。お味噌そのものがおいしいから、タレがちょっと他にないおいしさなんですよね」

「ほんろねぇ」

 私も口をもぐもぐ動かしながら相槌を打つ。

「ウチみたいな食堂で使うには、贅沢すぎる調味料なんですけど」


『まどか』のメニューは、いわゆる『おふくろの味』系の、いたってふつうの家庭料理のようなものばかりだ。味噌や醤油にまでこだわってコストをかけても、高級料理店のような値段設定にはできない。


 ほとんどの飲食店が三年以内に潰れることを思えば、『まどか』の経営だって簡単ではないはずだ。調味料のように、一般的なお客には気づかれなさそうなところにコストをかけるのは、商売としては間違ってるのかもしれない。


 私の雑貨屋も、フェアトレードでやるのは正直キツい。だからこそ来てくれるお客さんもいるけど、同じようなものなら、安くで買えるお店を選ぶお客さんのほうが圧倒的に多い。


「コスパ、大事だよね……」

 嘆息しながら言った。お店が儲からないのはお客さんのせいじゃない。要領の悪い店が生き残れるほど、商売は甘くないだけだ。


「あはは。ですね〜。ナベさんにもよく言われます」

「でも、このみたらし団子は本当においしい」

「そうですね。絶品です」

「煮込みうどんも、本当に本当においしかった」


 ぶっ、とリスさんが変な声を出したかと思うと、顔がにわかにピンク色に染まった。

「……ごめんなさい。改まって言われると、照れますね。いや、あの、ありがとう……ございます」

 そこまで照れることでもないと思うけど、リスさんにはとても大事なことなんだろう。私も、このくらいひたむきだった頃があった気がする。


 会計を済ませ(まかないなので要らないと言われたけど、無理やり払った)、スライド式の店のドアをカラリと開けると、雨がまだしつこく降っていた。

「あの、これ使ってください」

 リスさんが背後からビニール傘を差し出してくれる。


「お客さんが何本も忘れて行かれるんですよ。二ヶ月くらいは保管しておくんですけど、その後は処分するしかなくて。たまにこうやって、傘を忘れたお客様に差し上げたりするんです」

「ありがとう」


 安っぽいプラスチックの持ち手をにぎり、傘を広げると、少し錆び付いた骨の一本が歪んでいた。でも、まだ使える。リスさんの気配りがうれしい。店を出てからも、煮込みうどんやほうじ茶の温かさがまだ残っていて、身体中がこそばゆかった。


 リスさんの照れた笑顔がうつったように、私の顔もヘラヘラとゆるむ。『まどか』があってよかった、あの店に行ってよかった、と心から思う。


 私もリスさんのように、一生懸命だった頃があった。お客さんに「この店に来てよかった」「買ってよかった」と思ってもらえるようなお店にしようとがんばっていた頃が。今では、先行きの不安のほうがどうしても先に立つ。真面目にがんばるだけではダメなのだ。効率が悪いとどんな努力も無駄になってしまう。


 かけるくんのことだってそうだ。好きで好きで、彼に嫌われたくなくて、彼の喜ぶことはなんでもした。翔くんよりも私のほうが仕事が忙しかったけど、家事は私が全部やったし、いつでも身ぎれいにして、すっぴんでもブスじゃないようにスキンケアだってがんばっていた。


 がんばりすぎたんだろうか。努力の方向がダメだったんだろうか。


「僕は千遥さんにふさわしくないと思う」だなんて、「口からでまかせ言ってんじゃねぇ」と殴ってやりたくなるようなセリフを言われたあとで、

「千遥さんといると、正直疲れる」と心臓をザクっと一突きにされた。


 私はいつも何を間違えてしまうんだろう。今までの恋人も、誰も私を選んでくれなかった。こっちがどんなに好きになっても、誰も同じだけ愛してくれる人はいなかった。私のことが「重い」とか、似たようなことを言って、みんな離れて行った。


「男を見る目がない」と美由紀は言う。私は効率が悪いのだと。甲斐性もなく、結婚する気もないようなダメ男ばかりに尽くすから、いつまで経っても見返りがないのだと。


 翔くんがダメ男だとは思わないし、見返りが欲しくて人を好きになるわけじゃない。でも、いつまでも子どものような恋愛ばかりを繰り返しているうちに、こんな歳になって、いまだに孤独で不安な毎日を送っている。 


 ビニール傘の水滴が泣いているように見えて、嫌な気分になる。傘を差していてもどうせ濡れてしまうような、モヤモヤと不快な雨だ。


 ビニール傘は好きじゃない。可愛くないし、すぐに壊れる。役に立つ短い期間だけ利用されて、後はゴミになるような物はできるだけ所有したくない。


 ここに、あの傘があればいいのにと思う。十年以上愛用している私のお気に入りの傘が。ここに、翔くんがいればいいのにと思うのと同じように。


 別れて半年も経つのに、願ってしまう。アパートのドアを開けるたびに。ソファに座るたびに。一人で遅いご飯を食べるたびに。


 もう失くしてしまったものを、いつまでも恋しく思うのは無駄だ。私は、もっと効率よくやらなくちゃいけないんだ。そう、わかってはいるのだけど。

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