2-5. 断罪と冤罪

「俺はずっと前からこの村にいるんだ!

 俺なわけがないだろうが!」


 腕と足を荒縄で縛られ、アロンソは三人の男に引きずられながら夜の広場へ引き摺られた。


「こんなバカな話があるか! 離しやがれ! 人殺し!」

「そう言って私たちを騙し、あなたに殺されてきた人がいるのですよ」


 マテオが言う。

 上辺には悲哀をこめているような言い方だが、その声が作り物であることは市でなくてもわかるほどに明らかだった。


「違う! 俺じゃない! 間違ってる!」

「うるせえよ、もう決まったって言ってんだろ……」


 両足を抱えたリカルドが舌打ち混じりに言った。


「待ってくれ、俺は人狼じゃねえ! お前らだ! お前らの誰かだ!」


 市の周囲は誰一人声を上げない。

 異様な雰囲気にしびれを切らして、市が声をひそめてヴァレリアに聞いた。


「こりゃ、どういうことなんですかね?」

「あのゲームはね、本当の人狼を見つけるためにも使ってるのさ」


 ヴァレリアは楽しそうにアロンソを見上げながら答えた。


「ただのバクチって話でしたがね」

「アロンソは私たちにかなりの借金があるんだよ。

 あんまりだらしないから、人狼だって噂があってさ」


「へえ……?」


 市が不思議そうに小首をかしげる。


「博打で身を崩した人は何度も見てるけどね。

 ああいう感じにはならないと思うけどね」


 市は思わず持論を出したが、ヴァレリアは全く興味を示さない。


「市さんは人がいいね」


 広場には小さなガス灯が何本か立っており、その中央には簡素な階段に続く、縛り首の台が用意されている。

 その横にもう少し狭い台があり、司祭のマテオが立っていた。


 その後ろからもう一人、男が台に上ってくる。


「グイード!」


 群衆が叫ぶ。


 肩幅が広く背は高い。髪は一本もなく、鮮やかな青い目。

 蒼を基調とした礼服に、オーストリア帝国を示す双頭の鷲の徽章をつけている。


「グイード!」

「グイード!」

「グイード!」


 男が両手を広げると、全員が黙って身を沈めた。


「諸君、ご苦労だった。よく真実の追求に協力してくれた」


 男が言い、群衆が再び頭を上げる。

 突然、それまで黙っていた連中が足を鳴らし、歓声を上げた。


 ついにお出ましかい。

 思いながら、市は顔を上げてグイードの声を聞いた。

 

 処刑台の隣に置かれた大きな椅子に腰かけ、グイードがアロンソへ目を向けた。


「アロンソ。自らの罪を認め、自身の魂を救う準備はできたか」


「なにをわけわかんねえ事を言ってんだ!

 兄貴も友達も、てめえらが殺したんじゃないか!

 バカみてえなバクチに巻き込んで言いがかりまでつけやがって!

 ふざけんな、このド畜生!」


「憐れな子羊には自分の罪が見えていないのです。

 私たちから、主へお祈りいたしましょう」


 マテオが台の上で優しげな声をかける。

 ヴァレリアはけらけらと笑い、それから小声で呟いた。


「理由なんて、なんでもいいのにさ」


 乾いた声は誰へ向けてのものでもなかったが、市には届いた。

 針の落ちる音も逃さない耳が、外来のトスカナ語を聞き分けたのだ。


「へえ……」

「どうしたの?」


 ヴァレリアが市に向く。


「なるほど、なるほど、なるほどね。 

 どうもあっしには、この村のやり口が見えてきましたよ」


 市が一歩前に出た。


「こりゃひでえや。あんまりだ。

 あっしのイカサマなんざ比じゃねえや」


 ギイ、ギイ、と木の軋む音が響く。

 広場の中央に作られた処刑台に首吊りのロープが縛り付けられる。

 アロンソがその上に三人がかりで担ぎ上げられていった。


 マテオは書見台の最初を開くと、奇妙に明瞭な声で儀式を続けた。


「神よ、わたしたちの兄弟アロンソはこの世の生涯を終え、いま、みもとに召されようとしています。

 あなたはすべてを見、すべてを知っておられます。

 かれが、人のために流した汗のひとしずくをも、あなたは見逃しにはなりません」


「いい加減にしろ! そのクソみてえな口を塞ぎやがれ!」


「かれが人のために運んだ足の歩みを、あなたはすべて数えておられます。

 かれが、不幸な人を思って流した涙を、あなたは覚えておられます。

 あなたは、かれが人のために果たした愛の行いのひとつひとつを、ご自分になされた行いとして、受け取ってくださいました」


「黙れ! ふざけろ! こんなのねえよ!」


「慈しみ深い主よ。かれが、人間の弱さのために犯した数々の罪を、ひとり子のあがないのゆえに、すべてゆるし、かれが果たした愛の行いの数々を御ひとり子の愛のゆえに、永遠の命をもって報いてください」


「永遠に恨んでやる! くたばってからも呪い続けてやる! 覚えてろ人狼ども!」


「限りなく終わりないよろこびに満たされますように。

 私たちの主イエス・キリストによって。アーメン」


 マテオが顔を上げる。


「それではみなさん、兄弟アロンソとのお別れです!」


「やめろ! 誰か助けろーっ!」


 荒縄がアロンソの首にかけられ、足元の床が開く。

 その全身が、材木のように下に落ちる。


 そして、さらに下の地面へ転がった。


 ごぶっと変な声を出したが、アロンソは生きている。。

 首吊りの縄が斜めに切られていた。

 憐れな死刑囚への引導は、渡されていない。


「なんだ?」


 アロンソの正面、数メートルほど離れた場所へ、視線が殺到した。

 からん、と処刑台に金属の音。

 市が投擲し、ロープを斬った短刀が落ちたのだ。


「ちょっと、なにするんだい?」


 ヴァレリアが驚いて横を見る。


 アロンソが助かった理由は二つある。


 一つは、市の手元に先ほど奪い取ったアロンソの短刀があったこと。

 そして今一つは、伸びきる瞬間までアロンソが叫び続けていたことで、市の耳がタイミングを失わずにすんだことだ。


 吊られる前なら、ゆるんだ荒縄に命中しても断つことはできない。

 吊り終わっていたらアロンソの命は尽きている。


 彼を救ったのは、ロープが伸びきり、しかし首が締まりきらない一瞬。

 秒に満たない一瞬だった。


 マテオが群衆を左右に分け、市へ目を向ける。

 そちらを見るとグイードがおもむろに立ち上がった。


「どなたか」

「名乗るほどのものじゃありません。ただのチェーコでございますよ」


「やったことの理由を聞こうか」

「アロンソさんからお借りしたナイフを返そうと思いまして」


「面白いな、ただのチェーコ」


 市はグイードの声を気にすることもなく、アロンソへ歩み寄った。

 左右に分かれた者たちの目はすべて市へ向いているが、見えない市は気にもしない。


 地面に芋虫のように転がった男へ小声を伝えた。


「災難だったね、アロンソさん」


 アロンソの息はあったが、気を失ったままだ。

 市は仕込み杖で荒縄を断ち切ると、よいしょと若者の体を背負った。


 二つに割れた者たちの間を歩く中、リカルドの気配を横に感じた。

 男の前で立ち止まり、すっと手を出す。


「なんだ……」


 市の気配に押されながら、リカルドがうめくようにつぶやく。


「博打の勝ち分をくださいよ」


 リカルドは舌を打つと、銀貨を一枚とりだして市の手に握らせた。


「これだけですかい」

「残りはあとで届けてやる……」


 市が風の吹く方角へ緩やかに首を動かす。

 説教台にはグイードとマテオが立っている。

 広場には群衆が残っている。

 彼らの背には、これから満ちていく月。

 

御一統ごいっとさん。あんたたちの都合は存じませんがね」


 群衆は、それでも何も答えない。

 台の上の姿が、低い吐息を返す。

 群衆の目も、続けてめいめいに吐息を返す。


「こんなのは、人のやることじゃないと思いますよ」


 背を向け、杖をついて、市は教会から離れていく。

 静寂は続いていた。

 一人も、市を追ったりはしない。


 だが、そこには異様な変化が始まっていた。


 人ではない。

 その言葉の通りだった。


 市は知っている。


 自分へ向けられた視線は、本当に人間のものではないのだと。


 市は知っている。


 夕日が沈み、夜のとばりが下りていく。

 それに合わせるように、ある者は体毛が深くなっていくことを。

 口角が奥へ広がっていくことを。

 その変化が全身へと広がっていくことを。


 市は知っている。


 群衆の目が狼であることを。

 群衆の顔が狼であり、体もまた狼であることを。

 リカルドも、ヴァレリアも、マテオも、グイードも狼であることを。


 市は知っている。


 そこにいる者が、一人残らず狼であることを。


 市の全身へ、殺気が四方から突き刺さる。

 跳びかかる者がいないのは、グイードがまだ市を警戒しているからだ。


 グイードの命令さえあれば、全員が二人を襲うことができる。

 今すぐにでも襲うことができる。


 市は、それを知っている。

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