幕間1 グイード

「ねえ、起きて。ねえ起きてよ、グイード」


 誰かの声がする。

 目を開ける。

 夜は明けていた。


「起きてよ、グイード。家が燃えているよ」


 焦げた上着を脱ぎすてながら、子供が飛び込んで来た。

 ぱちぱちと火の粉が爆ぜ、ドアの外を飛んでいる。


 少年を抱えて外へ出た。

 煙が立ち込めている。

 窓の外も、家に面した路地も、何もかもが見えなかった。


 広い通りへ目を閉じて走った。

 途中、いたるところに何かがぶつかった。

 それでも気にしてはいられなかった。


 広場に出た。

 するどい痛みが体に絡みついた。

 何か、かぎ針のついたような網で地面に引き倒されたのだ。


 どういうことだ。

 私はなにか、こんな目にあうようなことをしたのか。


 派手な鎧を着た帝国の兵士が、私の前に立った。


「こいつは誰だ」

「彼がグイードです……」


 後ろからリカルドの声がした。

 問いかけた兵士はうなずくこともなく、無機質な目で私を見下ろしている。

 槍を突きつけながら、侮蔑を織り交ぜた声で続けた。


「お前は人狼か?」

「私はグイード・ディズラエリ。この村の住人だ」


「人狼かと聞いている」

「なぜ貴様らに答えねばならん?」


 鼻先に突き出された金属から、不快な臭いを感じた。

 銀だ。


「人狼かと聞いている」

「……そうだ」


 私の答えを聞くと、兵士が上官らしき男へ顔を向けた。


「これで十三体目です」

「もう十分だ。多すぎても扱いきれん」


 帝国の鎧を着た男たちが何かを囁いている。

 リカルドは鎖につながれ、首枷をかけられていた。

 私のほうにも首枷と手枷を持った兵士が近寄ってくる。


「まて、この子を」


 抱えていた子供を差し出そうとして、気づいた。

 すでに息絶えている。

 煙を吸い込み、目を見開いたまま。


「貴様!」

「大人しくしろ。

 お前たちには帝国の臣民として力を発揮する機会を与える。

 そのうち我々に感謝するようになる」


「感謝だと? 人の村に火をつけ、首に鎖をつけて引き立ててか?」

「犬の幸福は飼われることだ」


「犬といったな! 私たちを犬と!」


 空を見上げたが、そこには曇天が広がっているだけだ。


「グイード、落ち着いてくださいよ……」


 リカルドがぼさぼさの髪の中から、かすれた声を出した。

 いつもは強気な二歳下の義弟の目に、諦めの色が浮かんでいる。


「今日は新月。連中の武器はどれも銀です……」


 リカルドが舌を打ちながら告げる。

 彼の言葉と両腕にかかる遺体の重さに、ようやく理解できた。


 もう、戻れないのだと。


  ◆ ◆ ◆ ◆


 村を追われ、わずかな仲間と共に、私たちは帝国の軍隊に入った。

 最初の半年は、家畜の調教のような扱いを受けた。

 次の半年になると、やや訓練のような体裁を整えられていった。

 

 不幸だった。

 苦痛だった。

 帝国の下にいることも、差別されることも、耐え難い屈辱だ。


 そう訴え続け、一年が過ぎたある日。

 仲間を探せと言われた。


 深夜にミラノの裏通りを歩くように指示され、そこで私は放たれた。


 見なれぬ街。

 心の休まらぬ街。

 銀の矢で武装した兵士が遠くから見張っており、下手なことはできない。


 私は帝国の兵士から受け取った指示書を手に取る。

 読みやすい字でヴァレリア・カッシーニと書かれたところが、いびつな楕円形で囲んであった。


「遊ぶ相手、決まらないの?」


 閉店したカフェの裏道。

 壁にもたれかかった娼婦が私に声をかけてきた。

 長い煙管から灰を落としながら。


 メモをポケットに戻した。

 きつい香水の向こうに、同族の匂いがした。


「ヴァレリアだな」

「あたしを知ってるのかい?」


「知っているさ。お前がどういう女なのかも含めてな」

「あら、怖い狼さんね」


「それはこちらの言うことだ。

 一度も客を取ったことのない娼婦。

 一度も客を帰さない娼婦。

 帝国は、お前の情報を既につかんでいる」


「……なんだい、あんた」

「知りたければ来い。それが嫌なら、ここで死ぬだけだ」


「ああ」


 ヴァレリアが煙管を放り投げて、目を大きく開いた。


「やっぱり、狼さんだ」

 

 ヴァレリアは手袋を脱いで私の手を取ると、微笑を添えて私の頬に接吻した。

 村を離れて、初めて得た仲間だった。


   ◆ ◆ ◆ ◆


 村から引き出されて二年が過ぎた。

 私たちは半島をくまなく埋めるように歩いた。

 雨季に血を流し、乾季に涙を流した。


 その日はベニスから少し離れた農村へ派遣された。

 私は夕暮れに、古びた教会に到着した。

 銀の丸屋根。血のような夕日。蝶番が錆びついたドアを開ける。


 聖堂の中には、典礼聖歌と人の死体が転がっている。

 書見台の聖書は大きな爪痕で引き裂かれ、祭壇の上のカップは怪力でひしゃげられている。


 その先、十字架に貼り付けられたキリストへ向かい、何かを必死に祈る男がいた。


「失礼する」


 私の言葉に、黒衣の男がゆっくりと振り向いた。

 仮面のような無表情の奥に、深い怒りを宿しているのが伝わってきた。


「旅行者ですか」

「いいや」


「警察ですか」

「いいや」


「……では、人狼討伐隊でしょうか?」

「どれでもない」


「誰です、あなたは」

「お前を救いに来た」


「救いに。私は神父ですよ」

「いいや、お前は私の仲間だ。マテオ・サリエリ」


 男が黙ってこちらを向いた。


「何をしにきたんです」

「言ったはずだ。救いに来たと」


「どうやって」

「私と来い」


 途方もない道行きだが、それでも成果はある。

 少しずつ、私は新しい喜びを感じ始めていた。

 

  ◆ ◆ ◆ ◆


 三年が過ぎた。

 私は認められた。


 帝国の尖兵として。

 半島の脅威として。

 人狼の長として。


 だが、餓えることも、乾くことも終わらなかった。

 足りないものがあった。


 どれだけ働いても、私は犬だ。

 私たちは犬だ。

 帝国の飼い犬だ。


 人とは何かという問いがある。

 人であったら、どうであろうかという問いがある。


 人になりたい。

 人でありたい。

 だが、人とはなんだろうか?

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