2-4. 表と裏

「おい……」


 アロンソが言いかけたが、それを隣の男が制した。


 市が前に出した札が表になったままだった。

 本来は伏せて絵が見えないようにするべき札が。


 人狼のカードだけは、表裏のどちらにも傷をつけていない。

 市は勘違いをしたのだ。

 全員の目がお互いにそう確かめあった。


 このまま進めば、市はすぐに吊られてしまう。

 理屈の上では、市以外の人狼がそれ以外を全滅させてしまうこともできるが、その確率は低い。


 本来であればリカルドが指摘してやり直すのが筋だ。

 だが興じていた連中はそんな事はしなかった。

 これは博打なのだと、おたがいに声を殺して顔を見合わせた。


「最初の夜だ。全員目隠しを当てな……」


 リカルドは何事もなかったかのように指示を続ける。

 周囲は含み笑いを隠して従い、ゲームは始まった。


「よし。じゃあ翌日の昼になったぞ……」


 人狼の確認が終わると、待ってましたとばかりに、リカルドの隣にいた男が口火を切った。


「俺はな。その、なんだ。東から来た人じゃねえかと思うんだよな」


 続いて、すぐに別の男たちも笑いながら言いだした。


「なるほどなるほど。なるほどな。実は俺もそんな気がするぜ」

「奇遇だな、俺もだよ。なんとなくな」


 市がおやっと首をひねり、眉をひそめた。


「あたくしですかい。またどうして」

「なんというかな。その時、その時の気配ってのがあるからな。

 そういうカンってのが走るときがあるんだよ」


「ははぁ、カンが」

「そういうことよ。お前が人狼で決着だ」


 リカルドが分かったと答え、指先でトントンと机をたたいた。

 市が吊られ、その後、少しゲームが進んで二人目の人狼も見つけられた。


「決着だ。残念だったな……」

「いやはや、どうしてこうあっさりバレたんでございましょうかね。

 皆様、本当にすばらしいカンをしてらっしゃいますね」


 村人側はこれを見てほくそえみ、人狼側が金を出した。


「リカルド。こんなのでいいのかよ」


 もう一人の人狼はアロンソだった。

 負けが重なり、声に明らかな怒気が入っている。


「アロンソ、負けは負けだろう? 決めたのはリカルドじゃねえ、俺たちだぜ」

「いや、そういう話じゃないだろ!」


 それまで黙っていたが、割を食ったアロンソの不満は明らかだった。

 それをリカルドにぶつけようとしたが、その前に横の男が割り込む。


「人狼は持ち回りだぞ。割を食うこともあるって、なあ!」


 全員が戸惑いながらもお互いににやにやと笑う。

 このチェーコは人狼に慣れていない。

 カードの扱いが下手だ。


 そういう意味が周囲のうなずきの中にあった。


「おい冗談だろ。本当にこれでいいのかよ!」

「アロンソ、引き際が悪いぜ」

「そうよねえ。ゲームなんだし、いろんなことがあるわよ」


 ヴァレリアがけらけらと笑う。


「次を配るぞ……」


 リカルドが次の札を全員へ滑り込ませた。


「ところでチェーコ、今晩の宿は決めてるのか……」


 リカルドが、少し慎重に市へ聞いてきた。

 来たな、と思ったが、市はそれをさとられないよう、自然に札を受け取った。


「どこで寝てても一緒ですよ」

「ロレンツォの家に泊まるのはよしといたほうがいい……

 ここにも空き部屋はあるだろう、ヴァレリア……」


 ヴァレリアはそれを聞くと、一瞬だけ鋭く視線をリカルドに合わせたが、それから作り笑いを浮かべた。


「そうねえ。お酒も飲んだしその目じゃ戻るのも面倒でしょう。

 どう、この酒場の二階に泊まったら」


 市が二人の口に交互に耳を向け、ふむ、と手を口に当てた。


「俺達はこの村に去年から来たんだが、ロレンツォたちは歓迎してくれねえ。

 しかも俺達を追っ払おうと、良くねえ企みもしているらしい。

 チェーコ、そのあたりの話は聞いてないか……」

「あっしはロレンツォさんの肩と腰をさすっただけですからねえ」


「そうか。まあいい、次に行くぞ」

「あ、じゃあ、こちらですね」


 市がカードを前に出す。そこでもう一度全員の目が市の手元へ向いた。


 転がったカードに村人の絵が描いてある。


 まただ。

 また出すべき面を間違えている。


 全員が声を殺して笑いをひそめた。

 傷をつけた時に表裏を勘違いしたのだろう。

 卓にいた全員の目は、市を単なるひどい間抜けだと決めつけており、誰もそれを疑わなかった。

 

「よし、よし、よし。リカルド、始めろよ」


 三戦目が始まった。

 全員の合意で、 今度の掛け金はかなりの額になった。

 決められていた金額の三倍が机に集まったのだ。

 アロンソも渋い顔は崩さなかったが、掛け金を示す紙を出した。


 最初の晩に別の一人が殺された。

 だが人狼は見つからず、市以外の相手を次々に仕留めていった。

 占い師も霊媒師も殺され、騎士が護った相手はことごとく避けられる。

 一人目の人狼は吊られたが、もう一人が見つからない。


「残ったのはニノ、ダニエレ、ヴァレリア、そして市だな」


 リカルドが全員を見回し、よしとつぶやいた。


「決着だ。人狼方の勝ちだ……」

「はあ?」


 全員が一斉に市を見た。

 リカルドが自分の前に投げ込まれた硬貨と証文を半分に分けて布で縛る。

 市ともう一人の人狼の前に放った。


「どうもどうも」


 市が袖の下から人狼の札を差し出した。


「まさかこうなるとはねえ」


 もう一人の人狼だったヴァレリアが、苦笑いしながら残りの金を引き取った。


「はあ?」

「じゃあそりゃなんなんだよ!」


 何人かがいきり立って机を叩く。

 市の前に置いた村人のカードが、ひらりとテーブルの上を動く。


「おや?」


 市がそれを手に取った。


「いや、なんでしょうねこれは。

 ああ、さっきリカルドさんから見本で渡してもらったやつだね。

 いつの間にかたもとから飛び出しやがったんだな」


 市が当たり前のようにそれを袖に戻す。

 全員がぽかんと口を開け、それから急に顔を赤らめた。


「おい待て。待て待て待ちなてめえ!」

「は、なんでございましょう」


「お前の人狼の札! どこにあるんだよ!」

「あ、それははい。こちらにこの通り」


 市が懐から人狼の札を取り出す。


「で、何か」

「なにかだと?」


 アロンソが机をたたいた。並ぶジョッキがガタガタと音を立てる。


「てめえイカサマやりやがったな!」


 アロンソの剣幕と対照的に、市は拍子抜けしたように顔を四方へ向けた。


「あたくしが」

「あたりめえだろてめえ!

 どう見たってそっちの札がお前の札だって思うじゃねえかよ!

 おい、リカルド! こいつはとんだペテンだぜ!」


「ま、ま、まってくだせえよ」


 市が両手を前に出した。


「するってえとなんですか。

 


 怒鳴りつけたアロンソが、しまったという顔で周囲を見て押し黙った。

 ヴァレリアが吹き出し、リカルドも笑いながら顔を伏せる。


「は、は、は。そんなべらぼうな話ってあるもんじゃねえや。

 人狼ってのはね、本人だけがカードを見るんでございましょう。

 皆さんがおっしゃった通りですよ。

 はい、じゃ、これはあたくしが持っていくってことで、よろしゅうございますね」


 いそいそと市がテーブルの上の硬貨をかき集めようとする。


 アロンソが椅子を蹴った。


「このチェーコ野郎、よくもぬけぬけと!」


 懐から短刀を抜く。

 だが、刃物は振り下ろされることなく宙を舞った。

 市が人狼のカードを投げつけ、手の甲に突き立てたのだ。


「あっつ!」


 ナイフははじけ飛び、机に突き立った。

 市が無造作にそれを取り上げる。


「あっしは面白い遊びがあると聞いたから来たんですよ。

 それが間違いは教えてくれねえわ。負けたら刃物で脅かすわ。

 しかもチェーコのくせに、チェーコなんかにと。

 失礼がすぎるんじゃございませんか。


 胴元さん、こりゃいったいどういう事になるんでしょうかね?」


「まあそいつの言う通りだな。

 俺は表を向いたのがチェーコの手札だと言った覚えはねえよ……」


 リカルドは薄暗い声で言い切った。


「リカルド、それでいいのかい?」


 ヴァレリアが笑いながら言う。


「いいのかいって、プレイヤーの味方になるディーラーがいるかよ。

 ルールの外でお前らが何をやろうが、俺の知ったことか……」


「その通りです」


 リカルドに続いて、そのテーブルの上とは違うところから誰かが話しかけてきた。


「マテオか……」


 リカルドが上目遣いにつぶやいた。


「さっきから拝見していましたが、卑怯な事は何も見受けられませんでしたね」


 市の後ろに、背の高い男が立っていた。


「東洋の方、突然驚かせて失礼しました。

 マテオ・サリエリ。この村の司祭です」


 男はカトリックの礼服である黒い詰襟に身を包んでいる。

 丸い顔の上に並んだ目がやけに細い。


「人狼は、この村ではただの遊びではないと伝えました。

 一度始まったら規則には従っていただきます」


 マテオが一方的に続けた。


「リカルドさん。今日の勝敗はいかがですか?」

「アロンソの負けだよ。またな……」


 リカルドが苦笑交じりに言う。

 びくっとアロンソが身をすくめた。


「アロンソ。前に言ったよな。今晩負けたら立場を認めるってよ……」

「おい待てよ、リカルド」


「もう待たねえよ。俺たちは何度も公平な勝負をしたんだぜ……」

「待ちなよ、今日はよそ者がいたじゃねえか!」


「さっきも言ったぜ。俺たちは待ったんだ。今日までよ……」


 アロンソはそれでも大声でわめいたが、それまで卓についていた二人の男が立ち上がるなり、両腕に組み付いて後ろ手を取って布で縛り付けた。


「待て! 違う! 俺じゃねえよ!」


 突然のことに市がぽかんとしている間に、アロンソは足も縛られ、三人がかりで担ぎ上げられた。


「なんです、こりゃ?」

「知りたければ、ご一緒にどうぞ」


 マテオが振り返り、暴れるアロンソの後ろについていった。


「今日は閉めるよ! 酒代を置いたら表に行きな!」


 ヴァレリアが口に手を当てて、楽しそうにホールへ声を上げる。

 歓声をあげ、残りの客もぞろぞろとリカルドたちへついていく。

 市もつられて、わけもわからないまま足音の方角へ杖を向けた。

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