第48話 山歩き
次の日――合宿の最終日は快晴で、標高が高いので極端に暑すぎるということもなく、ハイキングには最適な気候だった。
「って言っても、長袖長ズボンじゃ流石に暑くないですかね……?」
と、圭夏ちゃんが疑問を口にしたのは、国道一号沿いで松平先生の車を降りた直後、探勝道の入口でのことだった。
今のわたしたちは全員、学校指定のジャージ姿である。
わたし以外の三人は稽古の時に動きやすいように、わたしはパジャマ用に持ってきたものを、山歩きにも活かすことにした形だ。
「半袖じゃ虫に刺されまくるし、転んだ時に危ないんだから、我慢して」
永井先輩は圭夏ちゃんにそう諭して、わたしたちを先導するかのように、砂利道を歩き始める。
そのまましばらく進んでいると砂利道が終わり、土がむき出しの林道に差し掛かった。
「まだちょっと、昨日の雨でぬかるんでますね」
中島先輩の言う通り、湿気を多く含んで柔らかくなった土の上は、少し歩きづらい。
こういう場合、大人の松平先生もいてくれたほうが安心できるとわたしは思うんだけど、ハイキングコースの入口には車を停められるような場所がなかったので、彼女は「滝から帰り始める時に連絡して」と言い残すと、そのままどこかへ行ってしまったので、ここにはいない。
「そうね。でも、気温的にはそんなに暑くないっていうか、結構涼しいでしょ?」
「ホントだ。マイナスイオンとか出てるんですかね?」
圭夏ちゃんは永井先輩の言葉を聞いて、軽く深呼吸をした。
実際、標高は同じでも、森の中は舗装された道路の上に比べるとかなり涼しくって、もう七月も下旬なのに、長袖長ズボンで軽い運動をしていても、汗まみれにはなっていない。
「……マイナスイオンじゃなくて、フィトンチッドだと思う。確か、植物の発するフィトンチッドのリラックス効果には明確な科学的根拠があったはずだけど、マイナスイオンはちょっと怪しかったような……」
「ほえー。千秋、よくそんなこと知ってるね」
「た、たまたま、本で読んだだけだよ……」
そんな話をしているうちに、整備されたなだらかな林道は終わり、わたしたちは高低差の激しい山道を歩かされることになった。
「……永井先輩、ほんとにこの道で合ってるんですか!?」
川沿いに転がっていたのであろう岩を積んで、階段っぽい段差を強引に作っただけの、石段とすら呼べないような何かの上を進みながら、圭夏ちゃんが尋ねる。
「大丈夫。合ってるから」
すると、一度ここに来たことがある永井先輩は、涼しい声で答えた。
観光客向けに整備された道なんて歩いても、関所破りを試みた人の気持ちに近付けるんだろうか――
そんな疑問が軽く吹き飛ぶ程度には、滝への道程は厳しかった。
笹が邪魔で歩きづらかったり、飛び石を使って靴底を濡らしながら、小川を渡らなくっちゃいけなかったり……。
今は下りだからまだ良いけど、帰りは上らなきゃいけないってことを考えると、かなり憂鬱になってくる。
でも――それだけ苦労して辿り着いた滝は、かなりの見応えがあった。
「わあ……」
立て看板によると、県内では最大級の瀑布らしく、高低差のある岩場をほとんど直角に近い角度で大量の水が流れ落ちていく様は壮観だったし、水しぶきが舞い散っているおかげか、林道よりも更に涼しい。
「どう? ここまで歩いた甲斐はあったでしょう?」
「は……はい」
永井先輩が得意気に問うと、圭夏ちゃんは滝に見入りながら頷いた。
「それにしても……ここ、鎌倉時代の人も訪れてたってありますけど……よく歩けましたよね。車もないのに」
立て看板を見ながら、中島先輩がぽつりと呟く。
言われてみれば、わたしたちは途中まで車で来たわけだけど、昔の人はずっと徒歩だったわけだから、現代人よりもっとずっと大変だったはずだ。
そう考えると、関所破りをしようとしていたお玉ちゃんの苦境を少しは理解できたと思い込んでいたさっきまでの自分が、急に恥ずかしくなってくる。
「そうね。だから、一昨日言った『お玉ちゃんが歩いていたのに近い道程』っていうのは、半分嘘……とまでは行かないけど、かなり誇張した言葉だったの」
中島先輩の言葉にそう反応したのは、もちろん永井先輩である。
「どうして、そんな誇張を?」
「百聞は一見にしかず、って言うけど、単に言葉で説明されるのと、実際にある程度キツい体験をした上で、『関所破りをしようとしていた人はもっと大変だったんだ』って考えるのは、実感の度合いが全然違うでしょう?」
「それは……確かに」
永井先輩の説明で中島先輩は納得したらしく、それ以上は反論しようとしなかった。
「まあ、単純にここの景色を、みんなに見せたかったっていうのもあるんだけどね」
そう言って頬を掻きながら、照れ臭そうに笑う永井先輩。
その仕草は、女のわたしでも思わず頭を撫でたり抱きしめたくなったりするほどかわいらしくって、「やっぱり、文化祭公演のヒロインはこの人しかいない」と思わされるくらいに、舞台女優としての風格が漂っていた。
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