第46話 慶美のサプライズと千秋のトラウマ

  その後、わたしたちがバンガローにて関所や資料館で得た情報を整理していると、外に出ていた松平先生が戻ってきて、「そろそろ夕食にしましょう」と提案した。


「夕飯って、何食べるんですか?」


「ふふふ。それは見てのお楽しみよ」


 圭夏ちゃんの問いに、いたずらっぽく松平先生は答える。


 ひょっとしたら、この人が一番浮かれているんじゃないだろうかって感じだ。


 よっぽど自信のある、サプライズを用意しているんだろうか――


「じゃーん!」


 そう考えながら先生に付いて行った先でわたしが目にしたものは、大きな東屋だった。


 屋根の下にはいくつかのテーブルがあり、その中心には――



 バーベキューに使うのであろう、網が設置されていた。



「え? もしかしてバーベキュー?」


 圭夏ちゃんの弾んだ声が、妙に遠く聞こえる。


 いつの間にか、わたしの手足は小刻みに震え、手のひらは汗でぐっしょりと濡れていた。


 体が思うように動かない。


 足が地面に縫い付けられている――いや、全身が金縛りに遭っているかのようだ。


 目の前の光景が、現実だとは思えない。


「ええ、そうよ」


 そう答えて、松平先生はテーブルの近くに置かれていた段ボールを開く。


 するとその中から、当然のように木炭が顔を出した。


 木炭。


 バーベキューの網。


 予告なしでいきなり見せられたそれらの物体は、わたしのもっとも忌まわしい記憶を、否応なくフラッシュバックさせていた。



×       ×       ×



 小学校から帰宅した、幼き日のわたし。


 開かない部屋の扉。


 何度も何度も、全体重をかけて引き、やっと開いた扉。


 なぜ、その扉は開かなかったのか。


 それは内側から、ガムテープを貼られていたから。


 なぜ、そんなものが貼られていたのか。


 なぜ、こんなにも煙臭いのか。


 それは――



×       ×       ×



「お母……さん……」


 気が付くとわたしはその場でうずくまり、泣きながら吐いていた。


「え、榎本さん……?」


 永井先輩の、困惑した声が聞こえる。


「い、いったい、どうし――」


「……先生、千秋はあたしがバンガローまで連れて行きますから、先輩たちとバーベキューの準備を続けててください」


 圭夏ちゃんが松平先生の言葉を遮ったのだと、口調や声色からかろうじてわかった。


「で、でも……」


「今はそうするしかないでしょ? 千秋、大丈夫? 立てそう?」


 わたしの背中をさすりながら、優しく声をかけてくれる圭夏ちゃん。


「な、なんとか……」


 正直、今は一歩も動きたくない気分だったけど、いつまでもここでこうしていたら、みんなに迷惑をかけてしまう――


 そう考えて、わたしは圭夏ちゃんの助けを借りながら、かろうじて立ち上がった。



×       ×       ×



 圭夏ちゃんはバンガローに布団を敷いてわたしを横たえると、水の入ったペットボトルを手渡してくれた。


「はい、これ」


「あ、ありがと……」


 死にかけの老婆のようなか細い声で応じながら受け取って、口を付ける。


 すると、少しだけ気分が楽になった。


「…………」


 何も言わず、体育座りでわたしのそばにいてくれる圭夏ちゃん。


 その存在は今のわたしにとって、何よりもありがたかったんだけど――


「お腹……空いてるでしょ? みんなのところに、戻ったほうが……」


「確かにお腹はペコペコだけど……でも、今はそれより、千秋のことが心配だから」


 そう言って、圭夏ちゃんは微かに笑んだ。


「圭夏ちゃん……」


 わたしの双眸から、さっきとは違う種類の涙が溢れてくる。


 この人と、友達になれて良かった――


 今この瞬間ほど、そう強く感じたことはなかった。



×       ×       ×



 そのまましばらく横になっていると、二人の先輩がわたしたちの分の料理を持って、バンガローまで来てくれた。


「ちょっと冷めちゃってるかもしれないけど、我慢してちょうだい」


「どもども」


 圭夏ちゃんは軽い調子で、中島先輩からタレがかかった野菜とお肉の乗った紙皿を受け取る。


「榎本さんはどう? 食べられそう?」


「は、はい……ちょっと、びっくりしちゃっただけなので……」


 と答えて、わたしも永井先輩から料理が乗った紙皿を受け取った。


 おそらく、あらかじめ「夕飯はバーベキューだ」と聞かされていれば、多少嫌な気持ちにはなったかもしれないけど、急に吐いたりはしなかったと思う。


 あの件はもう、四年以上も前の出来事だし。


「そう? ならいいんだけど……無理はしないでね」


「そうね。しっかり休んで」


 すると、先輩たちはそう言って立ち上がった。


「あっ、あの……」


『?』


 わたしに呼び止められて、一斉に首を傾げる二人の先輩。


「聞かないんですか? わたしが急に、吐いちゃった理由……」


「榎本さんが話したい、って言うのであれば、もちろん聞くけど……」


「そうじゃないのなら、無理に聞き出すようなことでもないでしょ」


 どうやら、永井先輩も中島先輩も、今のわたしに対するスタンスは同じらしい。


 たぶん、何も言わずにずっとそばにいてくれた圭夏ちゃんも。


 ああ。


 わたしは本当に、仲間に恵まれた。


 だからこそ、みんなにはちゃんと話しておきたい。


 サプライズのバーベキューを台無しにして、迷惑をかけちゃったわけだし――


 そう考えて、わたしはお母さんが亡くなった時のことを話した。


「……以上です。どうしてお母さんが急に自殺なんてしたのか、その理由は今でもわかりません。お父さんに聞けば、わかるのかもしれませんけど……」


 とはいえ、この年になれば、大方の予想はできる。


 たぶん、どちらかの不倫が発覚して、離婚をするかしないかとか、親権をどうするかとかで揉めたんだろう。


「そう……だったんだ……」


「榎本さん……」


 圭夏ちゃんも永井先輩も、かける言葉が見つからない、といった雰囲気だった。


 でも――中島先輩の表情は、他の二人とは少し違うような気がする。


「…………」


 憐憫れんびんや同情よりも、困惑の色が強いというか。


 もしかしたら、お母さんと仲が悪い中島先輩は、「母親を失った悲しみ」という感情を、理解はできても共感はできないのかもしれない。


 でも、そのことを正直に口に出すのはまずいとわかっているから、何も言わないでいるんだろう。


 大好きだったお母さんを失ったわたしと、そもそもお母さんを好きになれなかった中島先輩。


 この二人は、どちらがより不幸なんだろうか――


 比べても仕方がないことかもしれないけど、そう考えずにはいられなかった。

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